幻のイーリング・コメディあれこれ - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
幻のイーリング・コメディあれこれ

 日本で封切られた数少ないイーリング・コメディで最も有名なのはアレクサンダー・マッケンドリックの『マダムと泥棒』(55)である。この映画を当時、絶賛した花田清輝は、後年、同じ監督の『サミー南へ行く』(62)も誉めていたから、お気に入りだったのだろう。
 もし、マッケンドリックの代表作『白服の男』(51)が、当時、公開されていたら、花田清輝は、間違いなく『チャップリンの殺人狂時代』を論じた「ファルスはどこへいったか」に匹敵するような名エッセイを書いていたと思う。いかにも花田好みの皮肉なユーモアと諧謔な諷刺精神に満ちた傑作なのだ。
『白服の男』のプロットはシドニー(アレック・ギネス)という科学者が絶対に汚れず、いくら洗濯しても擦り切れない繊維を開発する。そのため繊維業界は大パニックとなり、業界の大立者たちは彼を買収し、量産をふせごうとする。一方、対立するはずの労働組合員たちも、衣類の生産が激減すると危惧してシドニーを指弾する。クライマックスは、労使双方が不気味な群集と化し、深夜、街中を純白の服を着たシドニーを追いつめていく悪夢のような場面で、実にコワい。『白服の男』は、資本主義の矛盾そのものを鋭く突いた社会風刺の寓話で、これに較べれば、ルネ・クレールの『自由を我等に』やチャップリンの『モダン・タイムズ』はあまりに牧歌的に見えてくるほどだ。
 アレック・ギネスの主演作では、チャールズ・クライトンの『ラベンダー・ヒル・モブ』(51)が、銀行強奪もの、いわゆる<ケイパー・ムーヴィー>の走りともいえる古典的名作である。実直に二十年間も勤め上げてきた銀行の金運搬係アレック・ギネスが、仲間と共謀し、盗んだ金塊をエッフェル塔の文鎮にしてパリに輸出するが、エッフェル塔のラウンジでイギリスから修学旅行で来た女学生に間違って売られてしまい――。アレック・ギネスがエッフェル塔のエレベーターで地上へ下降していく女学生たちを追って、階段を駆け下りていくシーンのシュールレアリスティックな可笑しさは圧巻といってよい。スコットランド・ヤードのパトカーを無線で混乱させ、追突事故を繰り返すギャグも秀逸で、なぜ、こんな無類に面白い映画が日本で公開されなかったのか、と不思議に思えてしまう。
 この奇想にあふれたユニークな脚本を書いたT・E・B・クラークは、イーリング・コメディの代表作をほとんど手がけたシナリオ・ライターで、日本では、未だDVD化されていないが、ヘンリー・コーネリアスの『ピムリコの旅券』(49)とアレクサンダー・マッケンドリックの『ウィスキー大尽』(49)が代表作だ。
『ピムリコへの旅券』は、ロンドンの一角ピムリコで、ドイツが投下した不発爆弾の処理の最中、十五世紀の英国王の署名した公文書が現れる。それによると、ピムリコは永久にフランスのバーガンディ領とするとあり、ピムリコは独立を宣言。突如、ロンドンに出現した独立国は、統制や配給制度を捨てて、独自の内閣を組織し、英政府に反抗し始めたため、大騒ぎになるというファンタスティックなコメディ。まるで、終戦直後に獅子文六が四国独立騒動を描いた「てんやわんや」を彷彿とさせるお話である。
『ウィスキー大尽』も、ウィスキーの本場スコットランドの小さな島を舞台にした第二次大戦中の物語で、戦争が長びき、すっかり酒に飢えてしまったイギリスでは、ウィスキーを求めてこの島に集まってくる。そこで巻き起こる悲喜劇を描いている。
 イーリング・スタジオでは、そのほかにもマイケル・パウエルの『血を吸うカメラ』(59)からハマー・プロのドラキュラ、フランケンシュタイン映画にいたるイギリスお得意の恐怖映画の原型となったオムニバス映画『夢の中の恐怖』(45)をつくっている。かつて、映画批評家のドナルド・リチーが「私がこれまで見た映画の中でもっとも恐ろしかった映画」と称したいわく付きの作品だが、中でも、アルベルト・カヴァルカンティが監督した「腹話術師の人形」のエピソードは、思わず総毛立つような不気味なショットが忘れがたい。
 コメディを中心に多彩なジャンルの作品を生み出したイーリング作品の中で、私が最も気になっているのが、バジル・ディアディン監督の『波止場の弾痕』(51)という犯罪活劇である。
 三谷礼二さんは、遺稿集『オペラとシネマの誘惑』(小社刊)で、亡くなる直前、『文藝春秋』の「心に焼くつく愛の名場面ベスト3」というアンケートに答えてジョン・フォードの『わが谷は緑なりき』とジョージ・キューカーの『スタア誕生』と一緒に、この小品を挙げ、次のように書いている。
「ある一日の出来事の中に、白人の女性と黒人の男性の淡い感情が描かれている。……おそらくほとんどの映画批評家も映画ファンもお忘れであろう。なにしろ、この二人だけのシーンはとても短くて、セックスはおろか確かキッスもせず、もしかしたら手すら握らなかったような記憶すらある。しかし、二人の短い午後の最後に、女性がさりげなくバスに乗って去っていくシーンを、私はいつも涙なしには思い出せない。実は、ストーリーもほとんど忘れてしまっていて、その日の夜、黒人が殺されてしまうという結末だけおぼえているのだが、二人の人種を超えた、ほのかな交情のさりげなく淡い美しさこそ、演劇や文学では絶対に描けない映像芸術の光と影と流れとモンタージュの勝利であって、まったく映画独自のものであったのだ。」
 稀代の映画狂であった三谷さんが最晩年に書いたこの美しいエッセイを読んで以来、『波止場の弾痕』という映画は、ずっと私にとっての<幻の映画>であり続けている。

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ラヴェンダー・ヒル・モップ

 

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波止場の弾痕

 

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白服の男

 

 

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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