パヴェーゼとあるファム・ファタール - 高崎俊夫の映画アット・ランダム
高崎俊夫の映画アットランダム
パヴェーゼとあるファム・ファタール

「あのころはいつもお祭りだった」――(『美しい夏』)
「ぼくらはとても若かった。あの年ぼくは一睡もしなかったのではないか」――(『丘の上の悪魔』)

 チェーザレ・パヴェーゼの小説の書き出しは、どれもあまりに美しい。わけもなく気持ちがささくれたり、意気阻喪が続くと、パヴェーゼの小説を手にとることにしている。なにげなく、数ページ、目を通すだけで、不思議な鎮静作用をもたらしてくれるからである。
 このイタロ・カルヴィーノと並ぶ戦後イタリア文学を代表する作家は、ミケランジェロ・アントニオーニの名作『女ともだち』(55)の原作者としても知られているが、1950年、トリノのホテルの一室で自殺している。
 原因はあるアメリカの女優に絶望的に執心した末の失恋だったとされるが、このパヴェーゼの最晩年の不幸な恋愛をテーマにした映画がつくられている。フランスの女流監督ディアーヌ・キュリスの『ア・マン・イン・ラブ』(87)だ。正確には、ローマを舞台に、映画を撮影中に、パヴェーゼを演じるべテランのアメリカ人俳優スティーブン(ピーター・コヨーテ)が、恋人役の新進女優ジューン(グレタ・スカッキ)と恋に落ち、作品内と外の恋愛模様が併行して描かれる、一種のメタ・フィクションスタイルの映画である。
 作品そのものは、急進的なフェミニストであるキュリスにしては珍しく、優柔不断な妻子持ちの中年男と血気盛んな若い女の煮え切らない関係がだらだらと続く、平凡なメロドラマだった。ただし、ヒロインのグレタ・スカッキがとても魅力的だったこともあり、あの大作家パヴェーゼを自殺に追い込んだ女優の存在もずっと気になっていた。
 最近になって、その女優のことがようやく少しずつわかってきた。ビリー・ワイルダーのオスカー受賞作『失われた週末』(45)に、アル中の主人公レイ・ミランドを優しく介抱するミランダというコール・ガールが登場する。演じたのは肉感的で鋭い眼差しを持つドリス・ダウリングで、当時、ワイルダーの愛人だった。そして、彼女にはうりふたつの美貌の女優の妹がいて、やはり、当時、『ブルックリン横丁』(44)で一躍、注目を浴びていた新進気鋭の映画監督エリア・カザンの愛人だった。このコンスタンス・ダウリングこそが、パヴェーゼの最後の恋人なのである。
 赤狩りの密告者としての自己弁明に辟易させられる『エリア・カザン自伝』は、いっぽうで、マリリン・モンローをはじめとする数多くの女優たちとの浮名、情事の一部始終をまるで露出狂まがいに記述した特異なメモワールだが、コンスタンス・ダウリングにも一章を割いて、克明に彼女との愛欲生活を暴露している。当時、ハリウッドに君臨していた大プロデューサー、サミュエル・ゴールドウィンは、彼女を「第二のキャロル・ロンバードにしてやる」と公言して口説き、我がものにしようとしたらしい。
 日本では、コンスタンス・ダウリングは、『ダニー・ケイの新兵さん』(44)ぐらいしか公開されておらず、彼女を知る映画ファンはほとんどいないと思う。彼女のフィルモグラフィをながめると、未公開作では、コーネル・ウールリッチ原作の『黒い天使』(46)というフィルム・ノワールが気にかかる。ポートレイトを見ると、切れ長の愁いを含む鋭いまなざしは、ヒルデガルド・クネフやヴェロニカ・レイクに似た妖艶さと官能性を漂わせ、男を破滅させるファム・ファタール(運命の女)が似合いそうだ。
 一時期、写真家のロバート・キャパの恋人でもあった、この恋多き女は、エリア・カザンと別れた後、姉とともにイタリアにわたり、何本かのイタリア映画に出演する。その頃に、パヴェーゼと出会うのだが、やがて、コンスタンスは、パヴェーゼを振り切るようにアメリカに帰国してしまう。失意の中、彼女宛に書き送った次の哀切な詩が、パヴェーゼの絶筆となった。

「君こそは光と朝だ
    死が来て、君の瞳を奪うだろう」
 

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チェーザレ・パヴェーゼ

 

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パヴェーゼの最後の恋人だったコンスタンス・ダウリング

著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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