高崎俊夫の映画アット・ランダム: 2010年4月アーカイブ
高崎俊夫の映画アットランダム
2010年4月アーカイブ

松浦弥太郎(まつうら・やたろう)

1965年、東京都生まれ。『暮しの手帖』編集長。「COW BOOKS」代表。文筆家。18歳で渡米し、アメリカの書店文化に関心をもち、帰国後に書店を開業。著書に『くちぶえサンドイッチ 松浦弥太郎随筆集』『最低で最高の本屋』『日々の100』『今日もていねいに。』『あたらしいあたりまえ。』『松浦弥太郎の仕事術』などがある。

呪われた作家の栄光 ジェイムズ・エイジー

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 ジェイムズ・エイジー

 

 傑作メモワール『王になろうとした男 ジョン・ヒューストン』(小社刊)には、豪放磊落なヒューストンに相応しく、さまざまな個性溢れる魅力的な人物が登場する。中でも印象深いのは『アフリカの女王』の脚本を書いたジェイムズ・エイジーである。
 エイジーは優れた詩人・小説家であり、なによりもアメリカが生んだ最初にして最高の映画批評家だった。「ライフ」に発表した「喜劇の黄金時代」は、チャップリン、キートンをはじめとする偉大なコメディアンたちを復権させた名論文で、小林信彦氏の名著『世界の喜劇人』は明らかに、このエッセイの深い影響下で書かれている。
 ジャン・ヴィゴの『操行ゼロ』、ルイス・ブニュエルの『アンダルシアの犬』などのアヴァンギャルド映画を初めてアメリカに紹介したのも彼であり、その功績は計り知れない。エイジーが「タイム」等に連載していた映画時評は、後に「エイジー・オン・フィルム」という大部の評論集として刊行されたが、映画嫌いで知られる詩人のW・H・オーデンがエイジーの映画批評だけは愛読したと絶賛の帯を書いている。
 一九三〇-四〇年代にはフォークナー、フィッツジェラルド、ナサニエル・ウエストといった著名な小説家たちが生活のためにハリウッドでシナリオライターになったが、彼らはみな内心では映画を軽蔑していたのではないかと思う。フィッツジェラルドの『ラスト・タイクーン』にせよ、ウエストの『いなごの日』にせよハリウッド小説というよりもハリウッド批判の名作なのだ。
 しかし、エイジーは違う。映画に演劇や文学以上の無限の可能性を見出していた熱烈な映画狂だったのだ。
 脚本家としてのエイジーの代表作は名優チャールズ・ロートンが監督した『狩人の夜』である。この映画史に残る異様なカルト・ムーヴィーのシナリオは人物の微細な動き、カメラアングルまでが克明に指定され、明らかにエイジーが自ら監督するのを夢想して書き込んでいたことが伺える。しかし、映画が完成した五五年、永い間の過度の飲酒、憂鬱症の発作に苦しんでいたエイジーは四十六歳の若さで急逝する。
 その二年後、未完の長篇『家族のなかの死』が刊行され、ピューリッツァー賞を受賞している。この少年時代に交通事故で父を亡くしたエイジー自身をモデルとした自伝的な小説では、父と幼い息子がチャップリンの映画を見に行き、一緒に哄笑する場面が忘れがたい。この地味な、しかし映画への美しいオマージュともいえる名作は、七八年に出た集英社版の世界名作全集にサリンジャーの『九つの物語』と共にひっそりと収録されている。 

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幻のカルト・ムーヴィー『狩人の夜』

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著者プロフィール
高崎俊夫
(たかさき・としお)
1954年、福島県生まれ。『月刊イメージフォーラム』の編集部を経て、フリーランスの編集者。『キネマ旬報』『CDジャーナル』『ジャズ批評』に執筆している。これまで手がけた単行本には、『ものみな映画で終わる 花田清輝映画論集』『タデ食う虫と作家の眼 武田泰淳の映画バラエティブック』『女の足指と電話機--回想の女優たち』(虫明亜呂無著、以上清流出版)、『ロバート・アルトマン わが映画、わが人生』(キネマ旬報社)、『テレビの青春』(今野勉著、NTT出版)などがある。
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