2022.03.22小池邦夫さん

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講演会場での小池邦夫さん

・絵手紙創始者の小池邦夫さん(80歳)が、昨年末、ピアニストの仲道郁代さん、歌舞伎の市川海老蔵さん、フレンチシェフの坂井宏行さんなどともに、「文化庁長官表彰」を受けた。この表彰は「文化活動に優れた成果を示し、我が国の文化の振興に貢献された方々、又は日本文化の海外発信、国際文化交流に貢献された方々に対し、その功績をたたえて文化庁長官が表彰する」ものだという。僕は臼井君からこの朗報を聞いて大変嬉しかった。小池さんとは、ほぼ同い年であり、僕も絵手紙に挑戦したことがある。右手が不自由なので、自分自身納得のいく作品にはならなかったが、その魅力の一端には触れた思いがする。とにかく絵手紙というのは、すべて手描きであるから、世界中にたった一枚しか存在しない。そこに価値がある。だからこそ、絵手紙愛好者が200万人とも言われるほど広がりを見せているのではないだろうか。

 絵手紙には、絵があり、書があり、言葉の面白さがある。この三つの要素があるから、たとえ絵がヘタだからといって悲観することはない。小池さんの「ヘタでいい ヘタがいい」のキャッチフレーズはあまりにも有名になったが、絵手紙では、書や言葉の面白さでもアピールできるのだ。文化庁長官の都倉俊一さんは、受賞者に向けてこんな言葉を贈っている。「コロナ禍の中で文化・芸術は不要不急と言われた時期もあった。だが、こんな時こそ心を豊かに、人と人をつなぐ皆さんの活動は重要だと再認識された面もあると思う。コロナ禍がおさまった暁には、これまで以上のご活躍を期待します」と……。長らく産経新聞「産経抄」の執筆をされ、菊池寛賞受賞者である石井英夫さんも大いに喜んでおられることと思う。石井さんには、弊社から『いとしきニッポン』(2011年刊)という単行本を刊行させて頂いているが、折に触れ小池さんの絵手紙運動に賛同し、高く評価していた人である。菊池寛賞候補者として小池さんを推ししていたとも聞く。
 
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表彰状を持つ小池邦夫さん 奥様の恭子さんと

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表彰状を授与された場面を絵手紙にしたもの

・現在、小池さんは絵手紙の表現で、新たにチャレンジしている方法がある。この方法でかく喜びは、今までで一番大きいというほどらしい。それほどまでにはまっているのは、なんと紙は従来の和紙系ではなくコピー用紙を使用する。そして文字部分を墨そのものでかくというのだ。これまで小池さんは、大小の筆を駆使して、絵手紙をかき続けてきた。ところが文字をかくのに筆を使わないというのだから驚く。何でかくのかといえば、彩墨という色墨の角を使ってかくのだという。「色墨の角を使って突っ込むと、野性味が出る。それが気に入ったので1年半くらいはずっとこの方法でかいている」と語っている。80歳を超えて新境地に達したらしい。素晴らしいとしか言いようがない。弊社から『遊走人語――絵手紙作家・小池邦夫との五〇年』(2008年刊)を出させてもらった、小池さんの中学時代からの親友、正岡千年さんから「作品に魅力がある。とても面白い表現ではないか」と褒められたこともあり、余計にのめり込むことになったというのだ。

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色墨で文字をかいた近作3点 紙は普通紙だ

「筆とも鉛筆とも違う。もっと強いからね、色墨というのは……。色がそのまま出るし、濃淡も出る。間に筆を介さないから、指で直に描いているようなもの。原始書道といっていいかも知れない」と自身分析している。翻って、こんなチャレンジをしたのは、僕の知っている限り、詩人の坂村真民さんくらいではないだろうか。真民さんは、様々な筆を試してきた人で知られる。鹿の毛で作った鹿筆、タンポポの綿毛筆や鴨や鶴、孔雀など鳥の羽筆、はては松葉を束ねた松葉筆や藁束で作った藁筆のほか、指で直接かく指筆や石でかいた石筆にも挑戦している。確か竹井博友さん創業の致知出版社が刊行する月刊誌『致知』で連載されていた。この坂村真民さんを小池さんは尊敬しており、交流も深いものがあった。その関係もあって、小池さんの監修により、坂村真民さんの単行本を弊社から刊行している。それが『一寸先は光――坂村真民の詩(うた)が聴こえる』(弊社、2012年刊)である。小池さんの故郷である愛媛県松山市からほど近い、愛媛県伊予郡砥部町に「坂村真民記念館」があるが、館長夫妻の西澤孝一さん、西澤真美子(真民さんの二女)さんには、随分この本を販売して頂いた。もちろん小池さんも積極的に販促して頂いた。感謝あるのみである。

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小池邦夫さんと僕

・僕が小池さんの魅力にはまったのは、武者小路実篤の魅力を世に知らしめた単行本の刊行時であった。絵手紙創始者だから、やはり僕などとは視点が違う。武者小路実篤の魅力を最大限に引き出す企画であった。「白樺派100年」の節目に当たり、今までの実篤本とは異なり、実篤の言葉の面白さや、画の力強さを知ってもらうことに力点を置いたのである。さらには実篤もこだわった文房四宝の世界も披露するものだった。調布市に「武者小路実篤記念館」(僕の家から車で15分)があるが、実は企画検討をする際、僕も武者小路実篤という人物を見直してみたい気持ちがあった。そこで「武者小路実篤記念館」へ行って実際に展示物を見てきた。その時、感じたことは、まだまだ人口に膾炙しない面白い実篤作品が多々あるということだった。僕は「これはいけそうだ!」との感触を得た。掲載作品は、この記念館が所蔵するものと外部コレクターが所蔵する作品の中から、未公開作品を中心に小池さんが精選してくれた。

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(弊社、2010年刊)

 実篤の絵といえば、とかく俳画のイメージがあるが、あにはからんや油絵や水彩画も描いている。僕は絵画にそれほど詳しいわけではないが、見るだけでズシンと胸に響いてきた。相当にレベルの高い絵なのである。これには僕も心底驚かされた。臼井君もこの本のために、実篤の言葉を50音順に約2000フレーズほど選び出すほどの入れ込みようであった。実篤は人を熱中させる何かを内包している。やはり企画立案した小池さんの慧眼には感服するしかない。この本は『龍となれ雲自ずと来る――武者小路実篤の画讃に学ぶ』(弊社、2010年刊)と題して刊行され、絵手紙愛好者を中心に話題となった。小池さんには、販売促進に動いて頂くなど、本当にお世話になった。

・最近になって知ったのだが、小池さんは大病をされ、現在も闘病中の身なのだという。しかしながら、体調が良ければ愛妻・恭子さんに車で近くの仕事場まで送ってもらい、今も絵手紙に勤しんでいるとか。絵手紙をかくことが小池さんの元気の源泉でもあるのだ。そういえばだいぶ前になるが、臼井君からこんな話を聞いた。小池さんは大阪の病院に入院中だった妹さんを励ますために、東京から毎日、絵手紙をかき続けることにした。何ヶ月か後、妹さんは退院するまで元気になっていた。それも妹さんだけではなく、同部屋の患者さん全員が励まされ元気になったという。何故なら、妹さんは毎日届く小池さんの絵手紙を籠に入れ、同室のみんなが好きな時に見られるようにしていたからだ。

“病は気から”とはよくぞ言ったもの。明日は一体どんな絵手紙がくるのだろうか、と待望するようになると、当然生き方も前向きになる。未来に目を向けられるようになれば、病は治ったのも同然である。そのような意味で、絵手紙が完治への大いなる後押しになったのではと僕は思っている。それだけの力が絵手紙にはある。近作を見せてもらったが、色墨の角を使ってかいた文字は、エネルギッシュそのもの。力強さがみなぎっている。小池さんは、郷里松山市から「松山市文化スポーツ栄誉賞」を受けたのをはじめ、最近4つの賞を受賞したという。こうした授賞は社会から小池さんへの応援歌であると僕は思う。文化庁長官表彰の絵手紙に小池さんはこうかいた。《都倉文化庁長官から賞状を直かに受けた。まさかが起きた。超嬉しかった。六十年つづけた。やっと芽が少し出た。これからだ。》 絵手紙の新境地を開拓した小池さんには、病を完治して、これからも牽引車として絵手紙文化を広げていって欲しい。「まさにこれから」ではないか。そう切に願ってこの筆を擱きたい。


 
●林 勝彦さん

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林 勝彦さん

・小池邦夫さんも相当ショックだったろうと思うが、林 勝彦さんがお亡くなりになった。林さんについては、本欄で少しだけ触れたことがある。その時メインで扱った人物が小池邦夫さんである。このお二人が従弟同士(母親同士が姉妹)であるということは、小池さんから林さんを紹介してもらった時に初めて知った。今から60年以上も前のこと、小池さんは愛媛県松山市から大学受験のために上京した。文京区湯島の林勝彦さん(当時16歳)宅に泊まり、東京学藝大学書道科を受験して見事に合格する。その後も、小池さんは林さん宅に下宿し大学に通った。二人は隣の部屋で寝起きし、切磋琢磨して勉学に勤しんだ。その甲斐あって、2年後には林さんが慶應義塾大学に入学する。二人の青春時代は、それぞれ人生を模索、彷徨しながらも、さぞや充実した時を過ごしたものと思われる。

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(弊社、2012年刊)

 弊社からも林さんの本を刊行させて頂いた。2012年、林さんは、NHK時代の仲間たち、元朝日新聞記者らとともに、『科学ジャーナリストの警告――“脱原発”を止めないために』(林勝彦編著、2012年9月刊)という本を上梓している。真摯に福島原発問題に取り組んできた人たちに原稿依頼をしたり、自身が取材したものをまとめたものだ。例えば環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也さんを林さんがインタビューし、脱原発への道を探る。チェルノブイリ事故現場の四号炉に入ったNHKの解説委員・室山哲也さんには原稿を依頼した。またチェルノブイリ原発事故の今を検証するため、取材に訪れた林さんの最新ルポなど、原発の底知れぬ恐ろしさを今に伝えるものであった。このように的を射た論文を集められたのは、科学ジャーナリスト塾塾長・林さんの面目躍如である。

 林さんの経歴を紹介しておこう。慶應義塾大学を卒業後、NHKに入局する。そしてディレクター、デスク、プロデューサーとして辣腕を振るう。なんと40年間で約300本の番組を制作担当した。それも主に、科学、環境、医療、原子力などの最新動向を踏まえ、最先端科学技術分野の実情と功罪などを俎上に乗せて世に問うてきた。NHKエグゼクティブ・プロデューサーを最後にフリーランスとなり、科学ジャーナリスト塾塾長に就任している。業績として世界的に評価された番組は多い。NHKスペシャル「驚異の小宇宙・人体」「人体II――脳と心」「人体III――遺伝子・DNA」全シリーズや、「プルトニウム大国・日本」、NHK特集「原子力(3) 放射性廃棄物」「チェルノブイリ原発事故」等、林さんの制作した番組は今も燦然と輝いている。今日的なテーマを取り上げ、問題点をあぶり出し、その真相に肉薄していたから当然なのだが。映像的にも素晴らしく、見る人の心に訴えかけてきた。余談だが「脳と心」の題字は小池さんがかいたものだ。

・もう一つ、林さんの功績として取り上げたいのが、ドキュメンタリー映画の監督・製作である。「いのち―from FUKUSHIMA to Our Future Generations―」がタイトルであった。渋谷アップリンクで上映され、上映後に林さんと軍司達男さん(元NHK衛星放送局長/元NHKエデュケーショナル社長)のトークショーが行われた。パンフレットには林さんの挨拶文が掲載されている。《人類史上初めての「原発建設爆発・メルトダウン」事件が起きて、福島第一原子力発電所事故から2年が過ぎた現在も16万人もの福島県民が故郷を追われ、生態系汚染も深刻な事態を続いている》とし、なぜこのような映画を作るに至ったのかについて切々と語りかけている。
 冒頭に「この映画は、協賛金、個人の寄付金で製作されている」と宣言されているが、この文章に僕はいたく魂を揺さぶられた。多くの一般企業が賛同・協賛し、市井の方々が寄付し、また手弁当で手伝って、出来上がった映画だったからである。人類史上、未曾有の危機に直面させられた福島原発の爆発事故。この事故から得た教訓は、絶対に風化させてはいけない。日本人一人ひとりがもう一度、胸に手を当て、原発の功罪を検証すべきではないか。地震国である日本に、原発は本当に必要だったのか……。そんなことを考えさせてくれる映画だった。林さんは、前述したようにこうした原発問題のみならず、今日的な様々なテーマを取り上げ、問題点をあぶり出し、その真相に肉薄していた。つくづく大切な人を亡くしたものである。衷心より、ご冥福をお祈りしたい。