加登屋のメモと写真…: 2019年4月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2019年4月アーカイブ

ドナルド・キーンさん

清流出版 (2019年4月19日 11:16)

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ドナルド・キーンさんの畏友であり名翻訳者だった徳岡孝夫さんと

・今年、2月24日、日本文学研究者のドナルド・キーンさんが心不全で亡くなられた。享年96であった。松尾芭蕉『奥の細道』や三島由紀夫、安部公房らの日本文学を数多く英訳したほか、能や狂言といった著作によって日本の文学と日本文化を世界に知らしめた功労者である。生涯独身を通したが、古浄瑠璃の復活に尽力したのが縁で、義太夫節や古浄瑠璃の三味線奏者として活躍してきた上原誠己さんを養子に迎えている。春とは思えぬ寒気の影響で、冷たい雨が降り続いた4月10日には、青山葬儀場で「お別れの会」が催され1500人もの人が別れを惜しみ参列したといわれる。

 喪主を務めた養子の上原誠己さんは「父は日本の雨が大好きでした。今日のような日は、窓から外を見て『雨で緑の葉が洗われて美しい』と言っていました。この雨は悲しみの雨ではありません。父の喜びの雨だと思います。平和を愛し、戦争が大嫌いな父でした。自分の希望通り、夢に描いた通り、日本の土になりました」と挨拶した。キーンさんは、コロンビア大学を退職後は、あの3月11日の東日本大震災を契機として、日本国籍を取得し、日本に永住する意思を表明していた。東日本大震災の被災地で、絶望の淵に立たされながらも、静かに列を作って待つ人々の映像に感動したのがきっかけで、「今こそ、日本人とともに生きたい」決意したといわれる。

・2011年(平成23年)9月1日、日本に永住するために来日し「家具などを全部処分して、やっと日本に来ることができて嬉しい。今日は曇っているが、雲の合間に日本の畑が見えて美しいと思った」などと流暢な日本語で語っている。日本に帰化したことで、ご本人が希望したように、日本の土になられたということだろう。その長い生涯において、日本の文学を研究し、翻訳し、世界に紹介し続けた功績はとてつもなく大きい。
 

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徳岡孝夫さんとキーンさんの共著

 キーンさんとは長年の友人であり、共著『悼友紀行―三島由紀夫の作品風土』(中央公論社)もあるジャーナリストの徳岡孝夫さんは「ドナルド・キーンさんが日本永住を決め、日本国籍を取得する時に『アメリカは、国籍を捨てるほどの悪い国ではない』と反対しました。するとキーンさんは『日本を本当に愛しているんだ』と言ったのです。日本に、日本人に惚れた人だったと思います。評論する場合も、日本人の日常行動を見る場合でも、良いものは良い、悪いものは悪いとはっきり言う人でした」。また、「とにかくのめり込む人でしたね。研究では原典に必ず当たる。伝統芸能を学べば、日本文化がよりわかるのではと狂言を習いました。美術や工芸にも造詣が深く、自分の中に日本を取り込んでいたのです」と、キーンさんを偲んでコメントしている。
 
 
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徳岡孝夫さんの名訳で刊行『日本文学の歴史』(中央公論社)

・ドナルド・キーンさんの略歴を書いておこう。1922年、アメリカ・ニューヨークで生まれている。38年に「飛び級」でコロンビア大学文学部に入学。アーサー・ウェイリー訳になる『源氏物語』に感動する。日米開戦後は、海軍日本語学校」で特訓。日本語文書の翻訳や捕虜の訊問を担当した。徳岡さんはこの頃のキーンさんについて「日記や手紙を読んで日本人の心情に触れたそうです。米兵はママのアップルパイが食べたい、などと書いているのに比べ、日本兵はなんと繊細なのかと衝撃を受けたといっていた」と回想している。

 53年、京都大学大学院に留学、永井道雄、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫、吉田健一らと親交を深める。55年、コロンビア大学助教授。60年、コロンビア大学教授となる。コロンビア大学で教えながら日米を往復し、近松門左衛門、松尾芭蕉など古典を中心に研究を続けた。三島由紀夫とは特に親しくなり、三島の『近代能楽集』や『宴の後』なども英訳している。ノーベル文学賞の選考委員会は、日本文学に対するキーンさんの知見を参考にしていた。68年の川端康成のノーベル文学賞は祝福しながらも、三島由紀夫の受賞を願っていたというのが本心だった、と伝えられている。86年、コロンビア大学に「ドナルド・キーン日本文化センター」を設立。87年、国際日本文化研究センター客員教授。97年、『日本文学の歴史』(全18巻)完結。2008年、文化勲章受章。12年、日本への永住を決め、日本国籍を取得した。2013年、新潟県柏崎市に「ドナルド・キーン・センター柏崎」開館する。

・弊社とキーンさんとの関係にも触れておきたい。一つ目は、1938年英国生まれで『フィナンシャル・タイムズ』東京支局長のヘンリー・スコット=ストークス著、徳岡孝夫訳『三島由紀夫 生と死』(1998年)の単行本企画についてのご協力である。この本を著者や日本語に訳した徳岡孝夫さんと三島由紀夫の友人である日本文化研究家のドナルド・キーンさんが、『三人の友――三島由紀夫を偲んで』のタイトルの下で語り合ってくれた。ヘンリー・スコット=ストークスはこの鼎談では、もっぱら聞き役に回ったが、徳岡孝夫さんの上手な質問で、ドナルド・キーンさんも思わず本音を吐露した発言をされた。この箇所は読む人の特権に任せたい。

 ほかにいろいろと話題の話も盛り沢山だった。例えば、ドナルド・キーンさんと三島由紀夫は、もっぱら日本語で話すようだ。三島由紀夫が学校ではあまり英語を習わなかったが、習ったのはドイツ語だったらしいとの箇所で、僕にとっては面白かった。ノーベル賞の話では、徳岡さんが「もし、三島さんがノーベル文学賞を取っていれば、三島さんの運命は変わっていたとお思いですか」との質問で、キーンが「思います」と答えている。「三島由紀夫が取っていれば、三島も川端もまだ生きていただろうと」との遣り取りがあったが、これも頷ける話である。この鼎談は、東京・有楽町にある「外国人記者クラブ(FCCJ)」のプライベートルームで行なった。僕は「また、チーズとワインを持ってご自宅に行きます」と言ったが、その機会はなく果たされることはなかった。ドナルド・キーン(鬼怒鳴門)さん、残念だとしか言えない。


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ヘンリー・スコット=ストークス著 徳岡孝夫訳(弊社)

 もう一つが、陶芸家・辻清明さんの豪華本の刊行である。弊社では『独歩―辻清明の宇宙』(3万2400円 2010年8月)を刊行したが、キーンさんはその本に推薦文を寄せてくれたのだ。辻さんのご自宅は新宿から京王線特急で30分ほどの聖跡桜ヶ丘駅にあった。駅からタクシーに乗って15分ほど、山の中腹に傾斜を利用して建てられた立派なお住まいがある。玄関前にはちょっとした野外パーティもできる庭があり、竹林がある奥まった場所に登り窯がしつらえてあった。敷地全体には、桜の木を中心とした植栽がなされ、自宅から小道を少し下ったところには、立派な茶室も設えられているといった凝りようであった。


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弊社刊行の『独歩』

 この本には日本を代表する陶芸評論家、作家などから推薦文を頂いた。具体的には、「独歩の人 辻清明」として、頴川美術館理事長、菊池寛実記念智美術館館長などを務めた林屋晴三さん、「てのひらとゆびの?辻清明の器に寄せて」として詩人・谷川俊太郎さんの詩、「辻清明の陶業について」題して美術史家、京都大学名誉教授、金沢美術工芸大学名誉教授、兵庫陶芸美術館名誉館長であった乾由明さん、「陶器に関するエッセイ」と題して芥川賞作家の安部公房さん、そして掉尾を飾ったのが「辻さんの作品」と題してのドナルド・キーンさんの推薦文であった。キーンさんの英文原稿については、徳岡孝夫さんに翻訳の労を取って頂いた。キーンさんを偲んで、この推薦文を抄訳させて頂くことにする。

《初めて辻清明さんに会ったのは、四〇年近い昔で、辻さんと親しかった作家・安部公房さんに連れられてお宅に行き、二時間ほどいた。実はそれまで、辻さんのお名前は聞いたことがなかった。(中略) お宅で作品を拝見する前に、まず辻さんに会って話をした。私の先入観は一変した。辻さんは広く世界の芸術に興味と知識を持つ、面白い人だった。その後で登り窯を見せられた。窯の火はすでに電気、ガスなど、はるかに便利で効率的な火力が使われ始めていたが、辻さんは断固として薪に頼る人らしい。薪の持つ不確定さ、その不確定さがあるからこそ、薪は面白いのだと言った。焼成が正しく行われなければ、半年がかりの作陶の努力は無に帰す。伝統的方式を守る作家は、薪の具合と火加減に心を砕いていた。巧くいったとき、窯は作家自身の想像を超える名品を生み出す。(中略) 辻作品の魅力は、無理のない自然さ、一見すべての技巧を排した素朴さにある。それは、足元から掬い取り、他の陶芸家なら不純物として捨てたであろう小石や木屑も一緒くたに、土をそこに置いたという感じを与える。だがそれは、決して無技巧でも一瞬の閃きでもなく、長い思慮と努力に裏打ちされている。何気なくひねったように見える作品にも、そこには真の芸術家・辻清明の個性がしっかり刻印されているのである。》

 素晴らしい推薦文ではないだろうか。奇才・辻清明という陶芸家の作家魂を過不足なく伝えている。実に惜しい方を亡くしたものである。衷心よりドナルド・キーンさんのご冥福をお祈りしたい。

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