鈴木れいこさん - 加登屋のメモと写真…
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鈴木れいこさん
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鈴木れいこさんと僕

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『旺盛な欲望は七分で抑えよ――昭和の女傑松田妙子』(2008年、弊社刊)

・今回は鈴木れいこさんにご登場いただく。83歳になるというが、お元気そのもの。鈴木さんには、大変お世話になった。というのも、僕の古巣、ダイヤモンド社時代によくお見かけし、取材もしたことがある松田妙子さんの来し方を書き下ろしてくれたのだ。それが『旺盛な欲望は七分で抑えよ――昭和の女傑松田妙子』だった。松田妙子さんの父君は、元衆議院議長、文部大臣の松田竹千代氏である。社会福祉事業に一生を捧げた政治家としてよく知られる。この本も少し残っていた在庫を松田妙子女史がすべて買い取ってくれたので、弊社は効率よく利益を上げることができた。

・鈴木さんのプロフィールを簡単に触れておく。1935年、台湾台北市の生まれ。1947年、台湾を引き揚げ帰国する。青山学院中・高等部を経て、アメリカのフィラデルフィア・ミュージアム・スクール・オブ・アートに学ぶ。1980年、朝日新聞の新聞記者だった夫君の定年後、台湾、シンガポール、アメリカ、カナダ、スペイン、コスタリカ、メキシコなどを訪ね、一年の半分を海外旅行に費やす。なぜこのような海外旅行を続けてきたのか。それは「ささやかな年金で、老後を心豊かに暮らせる国はないものか?」が二人のテーマであり、ご夫婦で海外に移住し、一番住みやすく気に入った国で、生涯を終えたいとの夢があったからだ。

・そのため、鈴木さんご夫妻の旅は単なる旅行ではなかった。旅行先の国に、最低3ヶ月は住んでみることを信条とし、実際にそれを実行されたのだった。この破天荒な旅は、『旅は始まったばかり――シニア夫婦の生きがい探し』(ブロンズ新社刊)、『世界でいちばん住みよいところ』(マガジンハウス刊)の2冊の本として刊行されている。この本を読めば分かるのだが、実際、3ヶ月以上その国に住んでいるので、表面的な印象だけではなく生活感がよく出ているのだ。その国のインフラ整備、食べ物の市場の様子、交通の利便性、各種の物価、人間性や国民性までが描写されている。メキシコでは、語学の習得と小学校のカリキュラムに興味をもったので、小学校のクラスに特別入学させてもらい、しばらく通学したこともあるという。

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ご夫妻で終の棲家探しをしたエッセイ集

・鈴木さんがなぜ文章を書くようになったのか。ご主人が第一線の新聞記者であり、身近にジャーナリストの生き方・考え方に触れていたこともあるだろう。主婦業をしながらも、日々、自分を表現できることで、何か一生かかわっていける何かがしたい、との思いが心の底から湧き上がってきていた。当時、『婦人公論』では、女性の生き方をテーマにした原稿を毎年公募していた。鈴木さんは、それに応募して入選となり、書く仕事の道を歩み始めたのである。刊行された鈴木さんの著書を見ればわかるが、個人的に興味を覚えると、徹底的に資料収集をし、取材で肉付けしていくというパターンが多い。キリスト教信者である鈴木さんはまず、『日本に住むザビエル家の末裔』(彩流社刊)を書いている。僕が前に書いた当ブログで明らかにしたように、多くの新聞や雑誌に書評が掲載された秀作である。『ワトソン・繁子――バレリーナ服部智恵子の娘』(彩流社刊)の執筆動機も、たまたま見た新聞・雑誌の記事から、個人的な興味をもち資料収集が始まったものだ。偉大なバレリーナを母とし、やがてタイトル・ロールを踊るほどに成長した娘が、CIAのアメリカ人男性と結婚し、激動の世界を生き抜いた波爛の生涯をつづったものだ。この取材のために、鈴木さんは、メキシコ在住であったワトソン・繁子宅に取材攻勢をかけるほどの入れ込みぶりだった。そしてそのワトソン・繁子の無二の親友だったのが、前述した女傑・松田妙子であった。

・松田妙子女史は、アメリカの南カリフォルニア大学に学び、三大ネットワークのNBCテレビ演出部に就職している。敏腕ディレクターとしてナット・キング・コールを黒人として初めてテレビ出演させたり、サミー・デイヴィスJr.のプロデュース役をこなしたことで知られる。日本に帰ってからは「マッチ箱をつなげたような」日本の住宅事情を憂慮して2×4住宅を国内に初めて紹介し、住宅産業で名を馳せることになる。鈴木さんによって、その松田妙子氏が弊社で単行本として実を結ぶのだから人生は面白い。

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最新作『台湾 乳なる祖国――娘たちへの贈物』

・鈴木さんの最新作は、『台湾 乳なる祖国――娘たちへの贈物』(彩流社刊)である。占領下の12年間の少女時代の想い出があり、敗戦による混乱の中での引き揚げ体験。晩年、再び台湾に住んでみながら、人々との交流は今も続いている。そして彼女は、父君へのオマージュをこう書いている。「…台湾に半生を賭け、私を育ててくれた父を偲びながら、ようやく私の深いところに根付いていた、生きることへのかすかなためらい、それが引き起こす多分に投げやりな暮らしぶりなどが、一気に払拭された気がしたのである。不思議な安らぎが、全身をじんわりと包んでいく気がしていた。遅すぎた感はあるけれど、再生の兆しみたいなものが、かすかに動き始めた。過去と現在の境にあったおぼろな膜が消え去って、父と取りあった手のぬくもりさえ感じる奇妙な実感があった」と……。

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鈴木れいこさん、益々お元気だ

・現在の興味は「終活」だという。自分の身の終い方をどうするのか。もともと、かぐや姫の歌った「神田川」のように、三畳一間でひっそりと生涯を終えたいとおっしゃっていた。しかし、二人の娘さんが許さない。「そんな恥ずかしいことしないで」、と言って諫められたらしい。それに娘さんや娘さんの家族に好かれているし、必要とされている。孫の面倒見に駆り出されたり、美味しい料理を作る腕もあって、娘たちは一緒に住みたいのである。1年のうち、何ヶ月かずつかで、娘の家を行き来している有様だ。料理の腕は確かなものだ。なぜならば、鈴木さんは一時、九州の高原でロッジをご主人と経営したことがあり、客の大半が舌の肥えた医者であったことでも分かる。特にテールシチューは絶品で、レシピを教えてほしいとよく言われたらしい。

・終の棲家の話に戻すが、さすが鈴木さん、日本だけではない。生まれた国、台湾からも彼女の友人たちがこちらで骨を埋めるよう促されているとか。そんな終活の悩みや葛藤、経済的な自立をどうするかなど、さまざまな悩みを書いてきた原稿があり、それが彩流社から刊行される予定だという。また、どうしても書いてみたかったという、童話を書き上げた。この童話の出版先を探しているとか。83歳にして、このお元気さである。僕も触発されるというものだ。

・弊社で鈴木さんの本を編集担当した臼井雅観君によれば、最近、鈴木さんから腕時計をプレゼントされたという。聞いてみると、これまでお世話になった編集者が何人かいて、その人たちに、いつ自分が死んでもいいように、また記憶に残して欲しいの気持ちも込めて、お礼の品物を贈っているというのだ。いかにも人と人との繋がりを大切にする鈴木さんらしいと僕は思った。そういえば僕もダイヤモンド社時代、徳岡孝夫さんとのコンビで、99刷までいった『アイアコッカ――わが闘魂の経営』(1985年刊)をはじめ、多くの翻訳本を手掛けて世に問うてきた。徳岡さんから、そんなお礼にと高級な腕時計をプレゼントされたことを思い出した。僕はそのお気持が嬉しかった。編集者冥利に尽きると思ったものだ。鈴木さんの終活についての本にも、俄然、興味が湧いてきた。人生の終い方について、きっと多くの方々に参考になる内容であるはずと確信している。

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