2018.06.22菅原匠さん

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作品を観ながら、解説する菅原匠さん


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菅原匠さんと麗子さんを囲んで、斉藤勝義、臼井雅観、僕

・6月に入ってすぐに、松屋銀座のイベントスクエアで行われていた「菅原匠 藍染とやきもの展」を見に行った。同行者は気心の知れた斎藤勝義さんと臼井雅観君。会場に着くと、多くの中年女性客で賑わっていた。例年、藍染と焼き物とを出品し続けているが、今回もいいバランスで展示されていた。自作の花器には、伊豆大島に800坪の自宅の庭で育てている草花を活けていた。ソコベニウツギ、ナツツバキ、キリンソウ、キョウカノコ、ミヤコワスレなど、割合地味な茶花系の草花がお好みだという。
 
・菅原匠さんのご自宅は、泉津という小さな漁村の中にある。自宅の草花にはこだわりがあり、気に入らないものは排除して、好きな草花だけを大切に育てている。北海道十勝にあるナチュラジスティック・ガーデンに関わったことがあり、それをヒントにしたものらしい。「まあ、他人から見たら、雑草にしか見えないでしょうね」と笑った。しかし、早春に咲く花なので、今回の会場には飾られていなかったが、こだわりぶりを知るエピソードを聞いた。

・クリスマスローズが大好きな菅原さんは、本場イギリスの植物の本で見た黒いクリスマスローズに魅せられ、どうしても欲しいと伝手を頼って取り寄せたという。1本の苗木が3万円。結局、管理が難しくてこの品種は枯らしてしまった。その他、あらゆる種類のクリスマスローズを取り寄せ庭に植え続け、「都合、家一軒分くらいはつぎ込みましたよ」とサラリというからその入れ込みぶりも半端ではないのだ。

・ご自宅には三百何十種類もの椿が植えられている。凝り性の菅原さんは、とにかく気に入るまで手を抜かない。椿が咲き乱れるシーズンには、言葉では表現しようがないほどの桃源郷が出現する。桜の時期も見逃せない。家も庭も花吹雪に包まれる光景は、想像するだに素晴らしい。桜は染井吉野ではない。地元の大島桜が何種類かと琉球緋寒桜がメインである。そして庭のそこここには石像や自作の三重塔の焼き物が置かれている。借景には緑濃い山々が連なり、もう一方には海が近く、潮騒が聴こえる。まさにうらやむばかりの環境下で藍染と焼き物作りを続けてきたのである。


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会場風景

・麗子夫人に聞いてみると、広い敷地内を行ったり来たりしていると、1日1万歩を歩くのはザラだという。僕もリハビリのためには歩いた方がよいのだが、なかなか思い通りにはいかず、1日数百歩しか歩かない日もある。菅原さんの庭のように、植物や置物で変化があり、季節の草花を愛でながら歩くのであれば、僕も気分よく歩けるのではないかと思う。しかし、植物を丹精込めて世話することに興味をもったことはなく、たとえ健常のときであっても難しいとは思う。麗子夫人と比べると、菅原匠さんはあまり動き回ることをせず、最近では熊谷守一並みに作業場を動かず、文字通り仕事に没頭してしまうらしい。

・そういえば、僕らの1日前に写真家の藤森武さんがこの銀座松屋の個展会場を訪れたという。藤森さんも月刊『清流』では、菅原匠さんにフォトエッセイを連載して頂いた時は、写真撮影をお願いしていたし、菅原作品の大ファンでもある。藤森さんとは、しばらくお会いしていなかったので、会場でお会いしたかった。藤森さんは菅原さんとの話の中で、談たまたま、公開中の熊谷守一をモデルにした「モリのいる場所」に及んだという。映画には、熊谷守一を撮り続けた藤森武さんも登場している。もちろん、本人がではなく若手俳優が藤森さん役を演じているという意味でだが。山崎努と樹木希林という、ともに日本映画界を代表するベテラン俳優が初共演を果たし、伝説の画家・ 熊谷守一夫妻を演じたこの映画、僕も是非、見たいと思っている。
 
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キョウカノコを活けたナマズの花生け ソコベニウツギが活けた古桶花生け

・それにしても菅原さんは凄いと思う。なぜなら、藍染と焼き物の二股をかけ、それも一級品の作品を作り続けているからだ。焼き物を焼く時期は、当然ながら寒い時期である。菅原さんは焼き物のための登り窯をもっており、窯の火入れは11月から12月が多いという。通常使用する薪は、備前から取り寄せた赤松を使うという。今回展示されていた「焼き締め古桶 花生」「焼き締め鼓 花生」といった焼き物も、厳冬期にご夫妻が寝ずの番をして薪をくべ続けて、焼き上げたものだ。焼き物の大変さは、一旦火入れしたら火を絶やしてはいけないこと。不眠不休で続けるのは大変な重労働である。菅原匠さんと麗子夫人は、自分たちだけでこれまでも焼き上げてきた。できる限り、このまま続けたいと力強くいい切った。

・菅原匠さんの作品が世に知れるきっかけを作ったのが、あの白洲正子さんである。白洲さんは、織師・田島隆夫さんの家で初めて菅原さんの作品に出合った。藍の色も、文様も、生地も申し分ない藍染めの暖簾を見て感激したのだった。白洲さんは雑誌『ミセス』に「つくる」という連載をしており、すぐに菅原さんを紹介してもらって取材に伊豆大島を訪れた。この取材記事が菅原匠という藍染作家を世に知らしめることになったのだ。「科布藍染筒引富士山文暖簾」「自家織麻布藍染指描月文暖簾」など、愛用したことでも知られている。

・特に白洲さんが惚れ込んだのが藍染の暖簾「市女笠」であった。市女笠とは、市で物を売買する女性のかぶりもので、王朝の貴族たちも外出の際、用いたともいわれる。貴族たちは笠の周りに薄絹を垂らして顔を隠していたが、風情のある姿であり、多くの物語や絵巻物に描かれている。白洲さんは、この「市女笠」を暖簾の文様にしたいと思い、藍染に関しては彼の右に出る者はいない、とまで惚れ込んだ菅原さんに制作を依頼したのだ。

・忘れた頃に大きな風呂敷包みを抱えて現れた菅原さんは、大小12、3枚の藍染め作品を披露しながら、「市女笠はむつかしい。ほんとに苦労した」と恨めし気にいったらしい。白洲さんはエッセイ集『余韻を聞く』(世界文化社)でそのように書いている。この見事な出来栄えの藍染めの「市女笠」は、特にお気に入りでご自宅に誇らしげに飾っていた。

 
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こういう剽軽な藍染めも菅原さんの真骨頂だ


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藍染のリュックとポーチ