2017.11.24シスター鈴木秀子さん

katoya17.11.1.jpg

シスター鈴木と僕。右は同席した臼井雅観君

 ・この1012日、僕は新宿の京王プラザホテルでシスター鈴木と会食する機会を得た。きっかけは僕が清流出版ホームページに連載しているコラム「加登屋の一口メモ」である。僕はシスター鈴木を心から尊敬しており、こんなことをそのコラムに書いた。

 ≪僕が敬愛する鈴木秀子(シスター鈴木)さんには、まだ一度しかお会いしたことはない。弊社からシスター鈴木の著になる『「こころの目」で見る』(2004年刊)を発刊させていただいたとき、1度、ご挨拶を交わしただけだ。しかし、そのときのインパクトは、僕の心に強く焼き付いている。明るくて軽やかで、少女のような愛らしさがあった。ニコニコと笑顔を絶やさず、人の心を和ませるオーラが出ていた。(中略) 

 シスター鈴木は、まだ「マインドフルネス」という言葉が日本で知られる以前から、こうしたエニアグラムの効果的な利用の仕方など、幸せを手にするためのセミナーを各地で開催し、多くの悩める若人たちを救ってきた。いつに変わらぬその献身ぶりには、頭が下がるばかりだ。また、何かの機会にお会いできればと思うが、シスター鈴木はお忙しいし、僕も体が不自由なので行動範囲が制約されている。だから僕の叶わぬ夢かもしれない。ただ、これだけはお伝えしておきたい。今後ますますお元気で、ご活躍をされ、多くの悩める人たちを救ってくださることを、衷心よりお願いするものである。≫と……。

  このコラムを僕と同じマンションに住み、交流もあるAさんが読んでくれた。Aさんは奇しくもシスター鈴木の聖心女子大学での教え子であり、シスター鈴木との間を取りもってくれたのでこの会食が実現したのだった。

 ・同席したのは5人。僕ら夫婦とAさん、それにシスター鈴木の『「こころの目」で見る』(弊社刊、2004年)の編集担当をし、最近、月刊『清流』にシスター鈴木の新刊『わたしの心が晴れるChange your MindChange your Life.』(七つ森書館刊、2017年)の書評を書いた臼井雅観君も同席してくれた。久し振りにお会いしたシスター鈴木は、あのころとまったくお変わりなかった。あの、人を温かく包み込むような眼差しで、迎えてくれた。季節の食材を使った和食を楽しみながら話ははずんだ。臼井君が龍村仁監督の「ガイアシンフォニー2番」でブレークした佐藤初女(はつめ)さんの写真を持参してくれたので、初女さんの想い出話にも花が咲いた。シスター鈴木は人間の生かし方を学ぶ“エニアグラム”という概念を日本に初めて紹介した人である。エニアグラムは、ギリシア語で「9つの点をもった図」を意味している。「人間には9つの性格タイプがあり、すべての人はそのうちの1つをもって生まれてくる」というのが基本的な考え方。その歴史は古く、2000年前のアフガニスタン地方で生まれ、イスラム社会に秘伝として受け継がれてきたものだといわれる。

 

 katoya17.11.2.jpg

ベストセラーとなったエニアグラムの本

 ・シスター鈴木によれば、佐藤初女さんはこのエニアグラムに照らすと、「タイプ9」に分類されるとのこと。基本的にタイプ9の方というのは、「調和と平和を願う人」たちなのだという。争いや混乱を嫌う平和主義者であり、外見的にはのんきで穏やかな印象を与える。偏見がなくて聞き上手、人の気持ちが理解できる反面、自ら選択し、意見をいうのは苦手なタイプ。初女さんは、なるほどこのタイプにピッタリ当てはまりそうな気がした。この初女さんをシスター鈴木は、愛情をこめて「何もしない人だから」と表現して笑わせた。

 ・岩木山の麓にあった、初女さんが主宰する「イスキアの家」には、全国各地から悩める人たちが訪れた。ノリで覆われた真っ黒なおにぎりを食べ、その後、初女さんに悩みを聞いてもらうためである。初女さんは、心のこもった食事を食べさせ、話をただ黙って聞いてあげる。それだけで自殺を思いとどまった人もいれば、明日を生きる勇気を得た人などが続出した。僕は初女さんをよく知る、詩人でエッセイストの堤江美さんにお願いし、初女さんの語録をまとめて欲しいと考えていた。そこで編集担当の臼井君と堤江美さんに佐藤初女さんの取材に行ってもらった。しかし、初女さんの体調不良もあったのか、取材は不調に終わり、単行本にはできなかった。それだけは僕の心残りである。

 

katoya171103a.jpg

 

臨死体験を書いた本

・シスター鈴木には臨死体験があるという。『臨死体験 生命の響き』(大和書房刊、2005年)という本も書いておられる。シスター鈴木の原点は、この臨死体験にあるのではないか。僕はそう思っている。その臨死体験とは、シスター鈴木が学会出席のため、修道院に泊めてもらったときに起こった。夜中、寝付かれず起きだしたシスター鈴木は、足を踏み外して、階段から転げ落ちたのだ。その修道院は宮家の立派なお屋敷を改築したもので、その階段はとても高く急なものだった。そうして階段から落ち、気を失っている間に、シスター鈴木は不思議な臨死体験をしたという。気がつくと、ぽっかりと宙に浮かんでいて、その体をもう一人の自分が一段高いところから見下ろしていた。そして宙に浮かんでいるシスター鈴木の周りに、たくさんの蓮の花があり、その花弁が11枚とゆっくりとはがれ落ちていく。はがれ落ちるたびに、シスター鈴木は自分がこの世のしがらみから自由になっていくのを感じたそうだ。

・いよいよ最後の1枚だけになり、これが散ったときに、完全に自由になれる! と思ったが、最後の1枚は落ちなかった。そのまま空高く飛翔し、これまでに見たこともない暖かな白い光に包まれた。そして目前に、光の輝きに満ちた世界が広がっていた。そのときシスター鈴木は、「世界が完璧になっている」との感覚に包まれたという。あまりに気持ちがいいので、「ずっとここにいたい」と思ったが、その光の主は「現世に帰りなさい」と、はっきりシスター鈴木に告げたそうだ。そしてふと気がついてみると、シスター鈴木はベッドの上にいたのだった。駆けつけた救急隊員によれば、これだけ高さのある急階段から転げ落ちて、命が助かったことだけでも奇跡だといわれたらしい。

・シスター鈴木は、この臨死体験からの帰還後、不思議な能力が身に付いていた。まず、手術を予定していた膠原病が、なぜかスッキリと治ってしまっていた。また人の病気を癒す能力も授かり、末期がんの患者さんなどの元を訪れてはヒーリングの仕事をするようになる。臨死体験の後のシスター鈴木は、人との一体感を感じやすくなったという。シスター鈴木に限らず、実際に臨死体験を体験した人の中には、不思議な能力が芽生えたり、闘病中の病気が治ってしまったりする。まさに科学では説明のつかない不思議な体験である。臨死体験をしてこの世に戻ってきた人は、「何か自らの使命があるのでは」と感じ、それまでの生き方を改め、生かされた命を人のために使おうとする人が多い。僕も2度の脳出血を体験している。実際、死の淵まで近づいたにことがあるが、シスター鈴木のような臨死体験をしたことはない。倒れて警察病院に搬送された僕は、目覚めたとき記憶は飛んでいた。半年以上、妻の名前も息子の名前も出てこなかった。そのときの体験をシスター鈴木にお話すると、何か僕にもなすべき使命があり生かされているからですよ、といってくれた。その言葉に心の底からの安らぎを覚えた。

・人間にとって「死」は究極にして永遠のテーマである。死に対するイメージは、穢れたもの、ねんごろに供養しなければならないものとされ、それを怠ると、死者はこの世に恨みや執着を残す負の概念で塗り固められている。臨死体験により、死後の生の輝きを知り、死の意味に対する認識を深めてきたシスター鈴木は、そんな死に対する負の概念を払拭する。『仏教・キリスト教 死に方・生き方』(講談社+α新書刊、2005年)という本で、シスター鈴木は臨済宗僧侶の玄侑宗久氏と宗派を超え死について語り合っている。死を目前にした人は最後に何を望むのか。そして死にゆく大切な人のために、私たちには何ができるのか。仏教の僧侶とキリスト教のシスターという異なる宗教に立脚する二人が、正面から「死」と向き合い、「生」を充実させるための智恵を存分に語り合うという好著である。僕はこの本をとても興味深く読んだ。「死」を「生」からの“突然の断絶”と捉えるのではなく、徐々に進行する連続したものとして、その“受容と変容”へのプロセスを浮かび上がらせているのがとても斬新に思えた。人は亡くなる直前に温かい大きな思いが広がり、すべてを許し合おうとする。人生に無駄なものも偶然なものもない。すべては生を深めるためにあることに気づくことが大切なのであろう。


 

 

katoya17.11.4.jpg

・シスター鈴木は、死を前にした人には、「ただ、寄り添って、話を聞いてあげればいい。最後の最後に家族が死にゆく人にしてあげられる一番大切なことは、聞いてあげることだと思います。初めは病人自身、何を話しているのかもわからず、漫然と話し始めたりしますが、話し終わると解放され、自由になっていく経過を私はずいぶん見てきました」と語っている。死とは、魂がこの世に携えてきた課題・使命の完了の合図であり、誰も偶然に死ぬことはない。死は終わりではなく、歓喜と平安に彩られた新たな命の始まり。このことを知ることで、私たちがなぜこの世に生かされているかの認識が深まり、命そのものがもつ奇跡が開示されていく。死の瞬間、誰もがすべてから赦され、愛されていることを知る。自分の死に対しても、大切な人の死に対しても、不安や恐怖や悲しみが和らぐうえ、「悔いなく美しく生きられるようになる」。死と向き合えば、限られた時間や限られた出会いの中で、よりよく生きることを考える、絶好の機会となるというのだ。

・シスター鈴木は自著で何度も書いている。宇宙の星も、地球上の人も花も動物も石や岩も、すべては同じものでできている。そしてすべては深いところで繋がっているというのだ。すべてのものは、突きつめていけば原子になり、さらに行きつけば粒子になる。人は自他をわけて考えるから苦しむことになる。すべての生きとし生けるもの、すべての目に見えるものが自分と同じ粒子だと考えると、自分と一体であることがわかる。シスター鈴木は近刊の『幸せになる9つの法則』で、この真理を般若心経の言葉を引いて説明している。「お聞きなさい あなたも 宇宙のなかで 粒子でできています 宇宙のなかの ほかの粒子と一つづきです あなたと宇宙は一つです」と。

・僕はシスター鈴木と会食できたことに感謝している。あの慈愛に満ちた笑顔に接しただけで、心が安らぎ、晴れ晴れとしてきた。とりもってくれたAさんにはいくら感謝しても、感謝し足りない気持ちだ。21世紀を「新しい意識の時代」と位置付けているシスター鈴木。今は、人間一人ひとりが心を開きはじめ、すべてのものと調和のうちに一体となる、旅立ちのときを迎えているのだという。まだまだ頑張っていただかなければならない。精神世界のリーダーとのシスター鈴木の位置づけは、今後ますます重要になってくるはずだ。