坂村真民さん - 加登屋のメモと写真…
加登屋のメモと写真…
坂村真民さん

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小池邦夫さんの個展会場控室にて

    絵手紙の創始者である小池邦夫さんとは、臼井雅観君が親しかったことが縁で、長いお付き合いになる。住まいも近く、僕が成城で小池さんはお隣の狛江市に住んでいる。何度か話すうち、同じスーパーマーケットで買い物をしていることもわかり、顔を見合わせて笑ったものだ。ご承知のように、狛江市は小池さんが絵手紙講座を初めて開催した地であることから、「絵手紙発祥の地」としてよく知られる。小田急線の狛江駅前には小池さんの描いた絵手紙をモチーフにしたモニュメントが建っている。著者としても都合、10冊以上出させてもらった。その中には小池さんが好きな作家ということで、監修者として刊行させて頂いた本も何冊かある。とりわけ僕が好きなのは、2010年3月に刊行された武者小路実篤の『龍となれ雲自ずと来る―武者小路実篤の画讃に学ぶ』と、2012年3月に刊行された坂村真民の『一寸先は光 坂村真民の詩が聴こえる』の2冊である。共に僕自身が好きな作家、詩人だったこともあり、弊社から単行本として刊行できたことは嬉しかった。
 

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小池邦夫さん監修の武者小路実篤本
 
    武者小路実篤(1885-1976)の遺愛品や原稿、書画、資料等を展示している「武者小路実篤記念館」は調布市にあり、自宅から近いこともあって何度か足を運んだことがある。小池さんも十代のころから武者小路実篤の大ファンだったらしい。図書館通いをして、ほぼすべての実篤本を読破したというから入れ込みぶりも半端ではない。実篤は、雑誌「白樺」の中心人物として、また新しき村運動の創始者、実践者として知られているが、90年の生涯を通じ、小説家、戯曲家、詩人、エッセイスト、画家、書家など、いずれの面でも強烈な個性を発揮してきた。 
    単行本化にあたり、掲載する作品選びをすることになったが、多くの実篤作品の中から、小池さんが一体、どんな基準でどんな作品を選ぶのか、興味津々で同席させて頂いた。その際、実篤が絵、それもたくさんの油絵を描いていたことを初めて知った。洋画家の中川一政や岸田劉生など画家とも親交のあった実篤だが、本格的な油絵を描いていたとは驚きだった。実篤が描いたと知らせず、これらの作品群を見せたら、おそらく多くの人が名のある洋画家が描いた作品だと思うに違いない。実篤といえば色紙に描かれた俳画のようなイメージがあるが、油絵はまったく違った。実にダイナミックで迫力に満ちたもので驚愕した覚えがある。
    さて、坂村真民さんの『一寸先は光 坂村真民の詩が聴こえる』だが、さすがに真民さんについては、住まいが愛媛県の砥部町だったこともあり、身体が不自由な僕は飛行機に乗ることができず、同行すること叶わなかった。真民さんは愛媛県砥部町に「タンポポ堂」を構え、40年以上にわたって「詩国」という月刊詩誌を発信していた。単行本化にあたり、小池さんと担当編集者の臼井君が砥部町に坂村真民さんの三女・西澤真美子さんを訪ね、厖大な作品群から掲載作品を選ばせて頂くことになった。
 

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西澤真美子さん(夫君の西澤孝一氏は「坂村真民記念館館長」)
 
    そして資料を探すうちに、思わぬ宝物を見つけたという。それは真民さんが毎日のように欠かさず書いていた800冊にも及ぶ詩作ノートであった。「詩記」と書かれた大判の大学ノートにはNo.1からNo.796までのナンバリング、40年以上にわたっての厖大な詩作の下書きメモであった。例えば541号には、真民さんの最愛の母、種子さんについて書いた一篇がある。真民さんの心を明るく照らし続ける光であったことがよくわかる。「光の種子」を引いてみよう。
 
≪母の名を種子といった だからわたしは
花の種 果物の種 どんな種でも てのひらにのせ
母をおもい その苦闘の生涯をしのぶ
そして近頃特に ああ母は 
光の種子のような人であったと
しきりに思うようになった
「念ずれば花ひらく」八文字の真言を授けてくださった母よ
それは生命の光のように わたしを育ててゆく≫ 
    そして同じノートには愛妻への賛歌の詩も書かれていた。
≪妻は根っからの明るい人だ 天真な人だ
そのことをしみじみと思った この人には信仰などはいらない
生まれながら天の美質を受けている人だ
この人と共にあったことの幸せを感謝しよう≫ 
 
    母堂、そして細君に感謝する日々、そこからあの素晴らしい詩の数々が生まれてきたのであろう。

 
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小池邦夫監修の坂村真民本
 
    この本にはこの詩作ノートからの抜粋を15頁にわたって紹介している。日々、真民さんがどのように詩作に励んでいたかの片鱗を窺い知ることができる。直しては書き、直しては書き、さらには後ほど朱を入れて校正したりしている。その詩作の過程をありありと彷彿とさせるのだ。貴重な資料ともなり得るものだ。もう一つ、この本の特長は真民さんの生原稿を載せていることだ。実は僕も真民さんの詩は好きだし、出版各社から詩集も発刊されているが、生原稿というのは見たことがなかった。それが今回、真民さんが連載していた『曹洞宗報』という曹洞宗の機関紙に寄せた生原稿が見つかり、それを原寸大で掲載することができた。ブルーブラックのインクで一文字一文字、まるで彫るように刻まれた字を見たとき、僕は感動を覚えた。まさに魂のこもった字であった。都合5枚の生原稿の中でも僕がとりわけ感動したのが、「あとから来る者のために」という詩である。ここに引いてみよう。
 
≪あとから来る者のために 
田畑を耕し 種を用意しておくのだ
山を 川を 海を
きれいにしておくのだ
ああ あとから来る者のために
苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる
なにかをしてゆくのだ≫
 
 
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「あとから来る者のために」の生原稿
 
    ちなみに坂村真民さんは明治42年、熊本県荒尾市の生まれ。熊本県立玉名中学校を経て、1931年、神宮皇學館(現・神宮皇學館大學)を卒業した。愛媛県砥部町に「たんぽぽ堂」と称する居を構え、毎朝1時に起床し、近くの重信川で未明の中で祈りをささげるのが日課であった。詩は解りやすいものが多く、小学生から財界人にまで広く愛された。特に「念ずれば花ひらく」は多くの人の共感を呼び、その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。愛知県出身の教育者、大学教授、哲学者であった森信三氏が、早くから坂村真民の才覚を見抜き後世まで残る逸材とまで評した。
    真民さんは1934年に朝鮮に渡り、短歌に傾倒する。1946年に愛媛県に引き上げ、国語教師として教鞭をとりつつ詩作に従事した。1953年、尼僧・杉村春苔に出会い大きな影響を受ける。1960年、個人雑誌「ペルソナ」を創刊する。1962年、自らの詩をつづった月刊詩誌「詩国」を創刊。1,200部を無料配布した。1967年、新田高等学校に国語教師として赴任、砥部町に居を構える。1970年、「念ずれば花ひらく」の第1号碑が、京都市鷹峯常照寺に建つ。1974年、新田高等学校を退職し、詩作に専念する。1980年 文部省中学校教育課『道徳指導要領三』に、詩「二度とない人生だから」が採録され、多くの教科書に掲載されるようになる。2006年12月11日、97歳で永眠している。

 
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真夜中の1時に起床して近くの重信川で祈りを捧げるのを日課とした
 
    真民さんほど平和を希求し続けた方はいない。詩に命をかけ、世界平和を叫び続けてきた方だ。そんな日々の尊い活動に対して、昭和55年、第4回正力松太郎賞、平成3年、第25回仏教伝道文化賞、同11年、愛媛県功労賞、同15年、熊本県近代文化功労者賞などを受賞している。実は古巣ダイヤモンド社出版部で僕の先輩に当たる地主浩侍さんが、頭脳集団ぱるす出版を創業しており、坂村真民さんの本を刊行していた。『坂村真民詩集 地球に額をつけて』『鳥は飛ばねばならぬ』『自選詩集 千年のまなざし』などで、真民さんのコアの読者が全国におり、順調に販売実績を重ねていた。
    その地主さんが弊社を訪ねて来たことがある。その際、真民さんの本を出してみないかとのお誘いを受けた。その頃の僕はといえば、創業した清流出版が超がつくほどの繁忙期にあり、人的にも受ける余裕がなかった。そうこうするうち、2010年6月30日、地主さんが77歳で亡くなってしまった。亡くなる前日まで出社し、本人の口癖「生涯現役」を貫いた生涯だったという。僕はなんとなく地主さんに借りを作ったままのような気がして、気になっていた。小池さんの監修で、こうして真民さんの本を刊行できたことで、少し肩の荷が下りた気がしている。

 
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「念ずれば花ひらく」の碑は世界中に737基建っている
 
    平和の大切さを伝える一手段として「詩国」を発行した真民さん。詩を愛好する人たちによって真民さんの「念ずれば花ひらく」が刻まれた詩碑が、国内のみならず世界各地に建立され、いまでは世界6大州に737基の詩碑が建っている。301号の詩記ノートに「続けることだ」という詩が書かれている。この詩からは、「詩国」を刊行し続ける熱意が伝わってくる。真民さんの詩は各社からたくさん刊行されている。是非、この平和を希求し続けた詩人の詩を一篇でも読んでみてほしい。世界が平和であること、紛争・戦争のない世の中が、どんなに幸せなことであるか、心に響いてくるはずだ。
    そして最後に僕が感銘を受けた三つの短い詩を引いて終わりにしたい。
 
「ほろびないもの」
≪わたしのなかに 生き続けている 一本の木
わたしのなかに 咲き続けている 一輪の花
わたしのなかに 燃え続けている 一筋の火≫
「サラリ」
≪サラリと 生きてゆかん 雲のごとく
サラリと 忘れてゆかん 風のごとく
サラリと 流してゆかん 川のごとく≫
「独自」
≪小さい花でいい 独自の花であれ
小さい光でいい 独自の光であれ≫
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