2016.08.24飯島晶子さんと『被爆ピアノコンサート「未来への伝言」2016』

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「被爆ピアノコンサート」のチラシ

・僕が毎年、楽しみにしているコンサートイベントがある。飯島晶子さんが企画した『被爆ピアノコンサート「未来への伝言」』である。このコンサートの企画趣旨について、飯島晶子さんは「音楽や朗読を通じて、平和の大切さを伝えていきたい」と語っている。その伝達手段として、広島の被爆ピアノが重要な役割を果たしてきた。被爆ピアノは爆心地から1.8キロの地点で被爆したにも関わらず、一人の調律師によって蘇り、力強い音色を響かせる。飯島さんは、この被爆ピアノを平和への祈りの象徴と位置づけ、アーティスト仲間と一緒に、被爆コンサートを続けてきた。被爆ピアノと飯島さんとの出逢いは、2005年にまで遡る。関東で最初の被爆ピアノコンサートが開催されたとき、飯島さんはこのピアノの半生についての朗読を担当した。被爆時に受けたガラスの傷が今も残る痛々しい姿にも関わらず、ピアノの力強い音色に驚かされ、このピアノを通して平和への祈りを捧げていこうと決意したのだ。今年の公演会場は、営団地下鉄半蔵門駅からほど近いTOKYO FMホール。期日は8月11日(木曜日)「山の日」の旗日であった。皇居のお濠に面したこのビル。皇居周回のランニングコースが目の前であり、この日も様々なウェアに身を包み、軽快に駆け抜ける市民ランナーの走る姿が見られた。
 
・この被爆ピアノを使ってのコンサートだが、これまで全国各地で20回近く公演されてきた。飯島さんの企画によるこの被爆ピアノコンサートも、今年で8年目を迎えるという。そもそも僕と飯島晶子さんとのお付き合いは、2006年、飯島さんの著になる『声を出せば脳はルンルン』というCD付きの本を刊行させていただいたことに始まる。飯島さんは刊行から10年にもなる現在も、この本の販売に尽力してくれている。弊社にとって大変有り難い著者である。これをご縁として、飯島さんは毎年のようにこの被爆ピアノコンサートに招待してくれるのが嬉しい。この日僕は、飯島さんの本を編集担当した臼井雅観君と待ち合わせて出かけることにした。会場に入ってみると、席はすべて埋まり満席状態であった。聞けば入場券は2週間も前に売り切れて、キャンセル待ちの状態だったらしい。人気のほどが伺い知れるというものだ。簡単に飯島晶子さんのプロフィールにも触れておく。日本大学藝術学部を卒業後、朗読に目覚め、NPO日本朗読文化協会理事を務める。河崎早春と朗読の窓「驢馬の耳」主宰。「生活の中で生きる朗読空間」をテーマに、舞台をはじめ、展示会、教会等において朗読活動を展開し、「愛・地球博」ではアンデルセン童話の朗読をした。中学校教科書CD朗読や、番組・企業ナレーションでも活躍中。各種専門学校・大学・カルチャースクールの講師を務めるほか、日本デンマーク協会、お茶の水音声言語学習会会員でもある。

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司会進行役を担当した飯島晶子さん (撮影:谷川淳)
 
・さてコンサートの幕開け。黒基調のレースをあしらったシックな装いで登場した飯島晶子さん。間がいい耳に心地よい司会でスタートした。全体は15分ほどの休憩を含む二部構成で、実にバラエティに富んだものだった。印象に深く残ったものを挙げてみたい。毎年、演じられて印象深いのが、エピグラム「原爆を裁く」である。ピアノ、ヴァイオリン、とクラーク記念高等学校パフォーマンスコースの生徒たちの朗読によるものだ。40数年前に人間国宝・杵屋淨貢(巳太郎改め)氏によって作曲され、放送用に録音されたものの、過激だからとの意見で放送できなかったというこの曲。作詞者=谷川俊太郎氏のご子息である谷川賢作さんのピアノと、佐久間大和さんのヴァイオリンが、耳障りな不協和音で原爆の理不尽さを表現し、生徒たちの朗読がそこにかぶさる。これは何度聴いても衝撃的で心を抉ってくる。

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「原爆を裁く」 (撮影:谷川淳)
 

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MJC(南相馬ジュニアコーラス) (撮影:谷川淳)

・今回が初めてという出し物も印象に残る。東日本大震災の被災地、福島県南相馬からMJC(南相馬ジュニアコーラス)アンサンブルが登場した。2009年6月に結成された女子高校生だけのコーラスグループ。見るからに純粋で素朴な高校生が、透明感のある歌声で見事な歌声を響かせた。南相馬の古い酒蔵を復元した銘醸館を拠点に活動中とか。東日本大震災後、あかりの消えた街に原発という新たな恐怖が襲い、7万人いた街の多くの人々が避難を余儀なくされた。懐かしい故郷は悲しみの中にあり、コーラスメンバーもバラバラになりながら、残った学生たちで自主練習を続け、2011年8月7日に『2011こどもコーラスフェスティバル』に出場する。以来、今も被災地からの感謝と元気を届ける活動を続けている。東日本大震災、津波被害、原発事故、風評。ともすれば挫けそうになる大人たちの心を励ましたのが、こうした生徒たちの笑顔と明るい歌声だったというのは感動的である。震災以降、5年目で公演も100回を超えるとか。被災地に未来の夢を与えて続けてくれている。素晴らしい活動である。
 
    もう一つ、巣鴨に生まれ育ち地元巣鴨に「すがも児童合唱団」を結成し今年で24年目を迎えたという大澤よしこさん。彼女の指導する童謡メドレーも良かった。皆さんは「あめふり」という童謡をご存じだろうか? “♪あめあめふれふれかあさんが”で始まる童謡だ。“♪しょうしょうしょうじょうじ”で始まる「証城寺の狸囃子」など懐かしい歌ばかり。しばし童心に返ることができた。東京音楽大学の声楽演奏家コース三年生の娘・和音さんとのコラボも良かった。それにちびっ子たちは、伸び伸びと歌う楽しさを発現していた。それが何より心地良かった。そしてお馴染みのメンバー、ピアニストの谷川賢作さん、人間国宝で三味線の杵屋浄貢さん、新たに参加したヴァイオリニストの佐久間大和さん、皆さんの演奏も詳しくは触れないが心に染み入った。歌の力、音楽の力というのは、素晴らしい底力を秘めている。人間を勇気づけてくれる。

 
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「すがも児童合唱団」 (撮影:谷川淳)


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おおたか静流さん (撮影:谷川淳)

・7色の声を自在に操るというおおたか静流さん。月刊『清流』にもご登場頂いたこともあり、僕が大好きな歌い手さんだが、静流さんが歌った「あの夏のまま……」という歌は、信州上田市の窪島誠一郎さんの無言館の一枚の画に材を取ったものだとか。戦後54年を経た1999年の夏のこと、戦没画学生慰霊美術館「無言館」の一枚の絵の前に一人の老婦人が立った。彼女はその絵のモデルになった女性だった。この画のモデルとなったこの女学生の、戦地で散った画学生に向けての鎮魂歌は、涙なしに聴くことができない。二十歳の彼女を描き、青春の真っ只中に戦地に駆り立てられ生きて帰らなかった画学生。残された老婦人のノートに書かれた「安典さんへ」と自身の詩「あなたを知らない」を、無言館館主・窪島誠一郎さんが朗読する。そのミニアルバムが8月15日の終戦記念日に発売されたようだ。是非、手に入れたいと思っている。窪島誠一郎さんには、弊社から3冊本を刊行させていただいた。長いお付き合いになるが、終戦記念日のころ、上田市の無言館では鎮魂のコンサートが行われてきた。そこには僕の大好きなヴァイオリニスト天満敦子さんも出演されている。懐かしい名前が出てきてつい脱線してしまった。
 
・実は2時半の開演の前に臼井君と会場近くで食事をしたのだが、その店で思わぬ出会いがあった。大きなテーブルで僕らの前に二人のご婦人が座った。漏れ聞こえてくる話を聞いていると、どうも同じ被爆コンサートにいらした方のようだったので、話しかけてみた。するとなんと毎年、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれるクラーク記念国際高校パフォーマンスコースの生徒さんの母堂と祖母だという。ちなみにこのクラーク記念国際高校の校長は、あの冒険家としてその名を知られる三浦雄一郎氏である。僕はいつもクラークの高校生たちのパフォーマンスの迫力には圧倒される思いでいたのだが、その秘密の一端をうかがい知ることができた。聞けば今年入学したばかりの娘さんがいて、その娘さんが選抜されて今回のコンサートに出演しているのだという。その練習量たるやすさまじく、毎日4、5時間の睡眠時間で練習を重ねてきたらしい。道理で一糸乱れぬ動きといい、声の出し方といい、実に堂々としたものだった。その秘密がこの練習の成果だったわけだ。さらに驚いたことに、今回の公演を終えた後、そのまま夜行バスに乗り9時間かけて甲子園球場に駆け付け、北北海道代表を勝ち取ったクラーク記念国際高校の本校と姉妹校に当たる創志学園の野球2試合を全力で応援に行くという。翌朝、帰京すると、そのまま国立劇場ダンス稽古を再開するというから、いくら若いとはいっても過酷な日程ではないか。
 また、約2000校が参加する文化系の甲子園、全国高校演劇大会を勝ち抜いた演劇部優秀校3校が集う国立劇場公演(他に日本音楽・郷土芸能部門あり)に、パフォーマンスコースの生徒は約15分間のダンスを披露する。しかもオープニングパフォーマンスだというから実力は証明済みだ。圧倒的なダンスを舞うべく、稽古に打ち込む日々が続くのだという。この過酷な鍛錬の日々あればこそ、あれだけのパフォーマンスが可能なのであろうと納得したものだ。
 
・ちょっと話が逸れてしまったが、これからも飯島さんには、被爆ピアノコンサートを続けていくことによって、次代を担う若者たちに、自由の尊さ、平和の大切さを伝えていって欲しい。幸いなことに、飯島晶子さんの回りには、たくさんのボランティア、協賛者、協力者が集まってきている。とりわけ、飯島さんが名前を挙げて感謝したいと言った方がいる。それが演出・構成を担当した飯田輝雄さんである。これまで8回すべての演出・構成を手掛け、コンサートを成功に導いてきた。地方公演では、現場のスタッフのモラールアップを図り、また今回の東京公演では150名以上にもなる個性溢れる出演者たちをまとめあげたとか。飯島さんは飯田さんのその手腕がなければ、これまで続けてこられなかったとしみじみ述懐したものだ。しかし、僕はその前提として、本気で協力したいと思わせる飯島さんの人間的魅力があったればこそだと思う。いずれにしても、いいものを見せていただいた。今年もまた、素晴らしいコンサートにお招きいただき、感動をありがとうと伝えたい。