加登屋のメモと写真…: 2015年8月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2015年8月アーカイブ

西山孝司さん、高崎俊夫さん、山崎方夫・みどりご夫妻、田島隆夫さん

清流出版 (2015年8月27日 14:00)

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デザイナー西山孝司さんの個展会場。
 

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西山孝司さんの個展「西山孝司 映画本のデザイン」案内板
 

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ずらり並んだ映画本

・実は先日、渋谷駅からほど近い「ウィリアム・モリス」という喫茶店で、デザイナー西山孝司さんが装丁した映画本を集めた個展が開催された。この映画本というのが、すべてわが清流出版から刊行されたものである。30数点がずらりと並んだのは壮観であった。この映画の単行本企画すべてをプロデュースしたのが、映画評論などで活躍中の高崎俊夫さんである。だからこの30数点の映画本はすべて、高崎俊夫、西山孝司、この2人のコラボレーションによって生まれたものである。
  もう一つ気づいたことがあった。西山さんのパートナー・柳川貴代さんの集めたアンティークの欠片箱が会場の片隅で展示・販売されていたのだ。これがなかなかお洒落で、手にしてみたが面白かった。カマーラインハルト/シモンハルビッグのビスクヘッド、幻燈機スライド、ブリキのブローチがとても廉価で売られていた。
  高崎さんはなかなかの目利きであり、映画本企画以外にも、徳川夢声、桂ユキ、虫明亜呂無、花田清輝、松本俊夫等々、埋もれかけた名品を掘り起こすといった趣のある単行本企画を弊社に持ち込み、清流出版の出版部門に新風を吹き込んでくれた。評論家の坪内祐三さんが、このラインアップを見て、「今、一番気になる出版社だ」と言ってくれるほどだった。

・その高崎俊夫さんがプロデュースで、この9月30日の刊行予定で、創元推理文庫から『親しい友人たち 山川方夫ミステリ傑作選』が刊行されるという。「夏の葬列」をはじめとする〈親しい友人たち〉、EQMMに掲載されたエッセイ風連作〈トコという男〉を収録しているという。山川方夫とは懐かしい名前である。僕もファンの1人で、山川方夫の死後、江藤淳と坂上弘が編纂し、冬樹社から刊行された「山川方夫全集」全五巻(1968年)を40数年前、買って読んでいた。わが家は手狭で、蔵書の数も限られていることから、引っ越しのたびに、かなりの本を売るか捨てるかして処分してきた。幸いにも山川方夫全集は処分せず手許に残っている。その後、筑摩書房から全七巻(2000年)が出ているが、冬樹社版は刊行部数が少なかったため、嬉しいことに古書市場ではかなりの高値がついているという。

・山川方夫は二宮駅前の国道1号線でトラックに轢かれる交通事故に遭い、翌日亡くなってしまった。享年34。早いもので、歿後50年になるのだという。1930(昭和5)年の生まれで、慶應義塾(幼稚舎、普通部、予科文学部、大学文学部仏文科、大学院文学研究科仏文専攻)で一貫して学んだ。彼の功績は数々あるが、1954(昭和29)年、第3次『三田文学』を創刊し、新人発掘に力を注いだことがまず挙げられる。曾野綾子、江藤淳、坂上弘など数々の才能を開花させたことでも知られている。その後、ご本人の文学作品も何回か芥川賞、直木賞の候補作となるが、惜しくも受賞には至らなかった。弊社でも高崎さんの企画で、『目的を持たない意志―-山川方夫エッセイ集』(2011年刊)と題した単行本を刊行している。石原慎太郎、江藤淳ほか同世代の作家論から、清冽な恋愛論、哀惜に満ちた東京論、増村保造を論じた独創的な映画評論まで網羅した珠玉のエッセイ集であった。

・妻の山川みどり(旧姓生田)さんも高崎さんのプロデュースで、弊社から本を出させて頂いた。みどりさんは長く『芸術新潮』の編集長だった人物である。41歳の時、編集長になった。年齢は僕より1歳下だった。
  ちょっと余談になるが、僕は山川みどりさんの前に『藝術新潮』(誌名が旧字だった)編集長だった山崎省三さんに、何回もご馳走になった。瀧口修造、大島辰雄、吉岡実各氏と画廊や展覧会や各種イベントに集う時、例えば、後楽園の「ボリショイ・サーカス」や赤瀬川原平さんの「千円札裁判」まで出かけたものだ。その後、席を代え、山崎省三さん(正確には新潮社)に奢ってもらった。お酒が入ると大いに談論風発する、楽しい集まりであった。集まりの中では、僕一人だけが年若だった。なんという幸せな一時を過ごしたことだろう。
  本題に戻ると、山川さんが退職後、新潮社の季刊雑誌『考える人』に「六十歳になったから」を連載し、好評を博した。この連載第1回目の原稿“これからいっぱい遊ぶんだ!”を見せてもらって、ものすごく面白かった。だから23回にわたる連載を全部通しで見て、文章の巧みさに惹きこまれ、同世代に受けること間違いなしと刊行を決意した経緯がある。それが単行本『還暦過ぎたら遊ぼうよ』である。本の内容は、みどりさんが田舎暮らしをしたいと、定年後、信州の西軽井沢に一軒家を建てられた。隣接の小さな畑を耕して、トマト、キュウリ、ナス、カボチャなど、好きな野菜を育てて楽しんでおられた。こうした日々の農作業、野菜を収穫する楽しさ、季節の移ろい等を楽しんでいる様子が描かれており、興味深く読んだ。そんなみどりさんだったが、高崎さんの情報によれば、数年前、病に倒れ、現在は湘南に戻って病気療養中だという。折角、信州に馴染み、土地の人々とも人間関係ができ、田舎暮らしを満喫しておられたのに、残念でならない。早く回復されんことを祈るのみだ。
 

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地機織りする田島隆夫

・6月号で菅原匠さんのことを書いたが、菅原さんを書いて田島隆夫さんを書かないわけにはいかない。菅原さんと田島さんは、仕事の上でも藍染で深いつながりがあったが、個人的にも親しい間柄で、田島さんは伊豆大島の菅原宅を訪ねるのを楽しみにしていた。織物や糸を藍染で染めたあとは、2人で三原山周辺や野山に出掛け、風景や草花などスケッチして楽しんだ仲だ。田島さんは敬愛する白洲正子さんから、織司と呼ばれていた。本業は地機織りで織物を織っていたからである。白洲さんはその昔、銀座で「こうげい」という店を経営していた。白洲さんは田島さんの織物にぞっこんであった。配色、縞模様、風合いのすべてが過不足ないバランスで織られていた。だから田島さんの織物を「こうげい」で仕入れては売った。織物の品質だが、前提として素材の良さを挙げなければならない。田島さんは納得のいく繭を手に入れるために、労を惜しまなかった。近隣の農家を1軒1軒回り、土蔵の奥に仕舞い込まれていた貴重な繭玉を手に入れ、その糸を紡いで織ったのである。

・その田島隆夫さんには飛び抜けた余技があった。それが書画である。実は清流出版から、田島隆夫さんの『田島隆夫の日々帖』前期(1982-1986年)、中期(1987-1991)、後期(1992-1996)と題した三部作が刊行されている。画があって言葉が添えられていることから絵手紙といってもいい。田島さんの書画の余技をいち早く認めたのは、ちょっと肩書が長いが、美術エッセイスト・小説家・画廊主・画商の洲之内徹さんと、白洲正子さんのご両人である。洲之内さんが経営していた「現代画廊」で1982年から87年まで田島隆夫さんの個展が開催されているが、案内状には欠かすこととなく、洲之内徹と白洲正子ご両人の推薦文が添えられている。それだけ作品に対する評価が高かったのである。その2人が行田市の田島さんの家を訪ね、個展用の作品選びをしたときのこと、田島さんから「日々帖」という和綴じの冊子を見せてもらった。この「日々帖」は田島さんの画日記のようなもので、毎日欠かさず1枚ずつ描いていた。1ヶ月分の和紙をこよりで綴じたものを用意し、毎日、仕事が一段落したあと1枚ずつ描いていく。1ヶ月に1冊ずつ、作品集が出来上がるようなものだ。田島さんはこの「日々帖」を売り物とは考えず、自分の楽しみだけに描き続けていた。だからこそ肩肘張った売り物の書画とは違って、自由に筆が遊んでおり、魅力に溢れていた。


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『日々帖』の前期・中期・後期の全三冊

・1982年から描き始めて晩年まで、15年近くにわたって描き続けられた「日々帖」は都合180冊近くになっていた。枚数にして5000枚に近い。洲之内さんも白洲さんも、絵手紙創始者・小池邦夫さんもこの「日々帖」を田島さんから見せてもらったが、いずれもほんの一部だけ。全貌を見た人は一人もいなかったのである。展覧会に出すものでもない、売り物でもない、ひたすら自分のためだけで人に見せるものではなかったからだ。多くは下絵のようなものだが、彩色されているものもある。集中して瞬間的に描いた早描きだった。田島さんは数分で描いていたようだ。臼井雅観君が小池邦夫さんと親しい関係から、僕もこの「日々帖」の存在を前から知っていた。日本の絵手紙人口が150万人と言われている昨今。この絵手紙愛好家たちに、田島さんの「日々帖」はいいお手本になるに違いない。僕は是非、未亡人の道子さんを説得して欲しいと臼井君に指示したものだ。臼井君は、何度か手紙で「日々帖」の出版をお願いした。ところが未亡人の田島道子さんはなかなかうんと言わない。それに強力なライバルが出現していた。世界文化社もアプローチしているという声が聞こえてきたのだ。世界文化社は『家庭画報』を刊行し、芸術系の出版物も多く出している。白洲正子さんの本も10冊以上出しており、ことごとく刷りを重ねている。世界文化社が相手では、僕は正直いって難しいかなと思っていた。
  またまた脱線するが、小池邦夫さんは僕が住んでいるマンションを分譲する時、乗り気になり購入を検討したことがあったと言う。小池さんは結局もう一軒一戸建てを仕事場として購入されたが、僕のマンションとは徒歩約10分の近距離。野川を挟んで小池さんは狛江市東野川、僕は世田谷区成城となる。もし小池さんが同じマンション住まいだったら、僕も絵手紙をもっと真剣にやっていただろう。小池さんの一番弟子・臼井雅観君とも交際の程は、変わったはずである。この間の事情を察して、素早く狛江市が積極的に「絵手紙の発祥地狛江――小池邦夫」の横断幕を張った市民バス(コミュニティバス=こまバス)を運行した。結局、残念ながら「世田谷区民・絵手紙の小池邦夫」は実現しなかった。

・先に、わが社では、田島隆夫さんを刊行は無理だと思っていた。ところが思わぬ助っ人が現われた。写真家の藤森武さんである。藤森さんは土門拳の弟子として巨匠を支えた人物として知られる。その藤森さんと臼井君が親しかったことから、視界が一挙に開けることになった。藤森さんは田島道子さんと作品の写真撮影で接点があがり、2人で行田市まで説得に出かけることになった。臼井君が小池邦夫さんと親しかったことも、かたくなな道子さんの心を和らげた。小池さんが田島宅を訪ねた際、お互い意気投合して肝胆相照らす仲となったからだ。事実、田島隆夫さんが亡くなるまで、深いお付き合いを続けた。この日、道子さんを2人で説得した結果、「日々帖」すべてを借り出すことに成功した。大きな風呂敷に包まれた作品群を勇躍して、車に乗せたものだった。後日、臼井君と藤森さんで5000枚近い書画から荒選びをし、750枚まで絞り込んだ。その絞り込んだ書画を、藤森さんが自宅のスタジオで撮影した。そのポジの中から、年代順に3期に分け、各期100枚ずつ厳選して3冊の本として結実させることができた。A5版横タイプというハンディな造本にしたことも奏功し、絵手紙愛好家に熱狂的に受け入れられた。3冊すべて増刷となって経営に寄与してくれた。清流出版にとって、とても有難い本であった。元はと言えば、人と人との人間関係である。つくづく人のつながりというものを考えさせられた。これからも、第二、第三の田島隆夫の発掘を期待したいものである。

東京国際ブックフェア

清流出版 (2015年8月 3日 11:02)

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7月1日(水)から7月4日(土)までの4日間、「第22回 東京国際ブックフェア 2015(TIBF)」と「第19回 電子出版EXPO」が東京・有明の東京ビッグサイトで開催された。ブックフェアに関心の高い斉藤勝義さんと藤木健太郎君は、初日の養老孟司さんによる基調講演を聴き、ざっと各社の出展ブースを覗いてみたという。僕の行った3日(金)も、1度見ているにもかかわらず、2人はお付き合いしてくれた。そして、ブックフェアは今回が初めてという村上愛さんが、僕の付き添いと写真撮影を担当してくれた。僕は電動車椅子を駆使し、広い会場内の人波を掻き分けて走り回った。残念だったのは、毎年、一緒に行っていた臼井雅観君がいないことだ。彼は、Facebookで好評を博している野良猫や草花の写真撮影等で歩き過ぎ足を痛めたため、大事を取っての不参加だった。

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これは、開催初日の模様である。大勢の人たちが開場を待っていた。

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会場内は人で溢れて、喧噪状態だった。

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広い会場である。はぐれなくて済んだのは、村上愛さんのお蔭である。

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くもん出版、ベネッセコーポレーション、西村書店……のブース。

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Horizonのブース。最新の製本機を見ることができた。

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スマホ活用のマンガで、講談社ブースは時代を感じさせた。

・毎年、東京国際ブックフェアでは、ブッキッシュ(本好き)な僕は、とにかく心が高揚してくる。各社がどんなブース展示をしているのか、大いに期待する。また、毎年、段ボール箱で2、3箱になり、金額にして5万円位は買ってしまうのだが、日本洋書協会提供の洋書とCDのバーゲン・コーナーを楽しみにしている。なにせ美術・建築・デザイン・写真・ファッション・料理・絵本から旅行・スポーツ・音楽・語学・専門書まで、実に広範囲にわたり、約1万点、冊数にして5万冊以上の洋書が並べられ特別割引価格で販売されるのだから。
  だが今年は、ブックフェア開催直前に激震が走った。6月26日、取次店の一つ栗田出版販売が、東京地方裁判所に民事再生手続き開始を申し立てたのである。出版界にとってショッキングなニュースであった。総合取次店では初の経営破綻である。僕は、今を去ること20余年ほど前、清流出版を創業した。単行本や雑誌を出すに当たり、さんざん苦労して大手取次6社と取引契約を結んだことを思い出し、感慨深いものがあった。その時は、冨山房と大明社の2社から推薦状をもらい、栗田出版販売と取次契約を結ぶことができた。その栗田が、2015年3月末時点で、負債総額約134億円、資産は約104億円で、約30億円の債務超過に陥っていたことが判明した。対策としては、今後、中堅取次店の大阪屋との経営統合を目指すようだ。大口債権者である講談社を始め、大手の小学館、集英社なども支援を惜しまないと言う。
  清流出版は創業以来20余年というもの、地道な経営方針が奏功し、つつがなくやってこられた。今後も、一発屋的なベストセラー狙いではなく、堅実な経営を続けてほしいと願っている。死屍累々となる大物一発狙いより、ポテンヒットや、粘りに粘っての四球出塁のほうが、清流出版らしい気がする。が、今やそのヒット1本打つこと、四球で塁に出ることすら難しい時代になっている。僕にも、こんな苦い経験がある。編集担当した『アイアコッカ――わが闘魂の経営』(徳岡孝夫訳、ダイヤモンド社)が売れに売れ、99版を重ね大ベストセラーとなった。ところがこの大ベストセラーがありながら、ダイヤモンド社出版局全体ではその期の損益バランスは、なんと赤字だったのである。販売本部も『アイアコッカ』だけを増刷しながら売っていれば、営業的に問題はなかったはず。しかし、出版局としてそうはいかない。他の出版物が目論見通りには売れずに足を引っ張ることになり、赤字になってしまったのだ。

・東京国際ブックフェアの話に戻そう。今回の祭典も、いろいろユニークな催しはあったものの、総じてビッグな目玉や派手なブースが見当たらない。それは何故なのか、考えてみてすぐに分かった。大手出版社が軒並み出展を控えたことが大きい。例えば、文藝春秋を始め、新潮社、幻冬舎、光文社、中央公論新社、ダイヤモンド社、東洋経済新報社、凸版印刷……等々が、出展していない。このような大手の出版社・印刷会社にとって出展費用は大したものではない。とすると出展しないのは、出展費用に困ってのことではないはず。どうもブックフェアに出展する意味、そのメリット・デメリットがいまひとつ分からないというのが、全般的に盛り上がらない一因だったのではなかろうか。
  斉藤勝義さんや僕は、ダイヤモンド社出身で、22年前の第1回ブックフェア開催時から参加してきた。その後、清流出版を立ち上げた僕は、ブックフェアへの参加を残念ながら見合わせてきた。ダイヤモンド社では、欧米のブックフェアにも何回か参加した経験があり、今回のダイヤモンド社の不参加には、なんとなく肩身が狭い思いがした。だが、専門セミナー部門(7月2日、15:30から16:30まで)で「なぜ、あの本がベストセラーになったのか? ヒット作を生み出すダイヤモンド社のプロモーション手法を一挙公開」として、ダイヤモンド社営業部副部長の松井末來さんが講演している。ベストセラーはいかにして生まれたのか? 本のどこを見て、何を目指し、どんな施策を行ってきたのか? 広告を打つタイミング、パブリシティの出し方、書店の店頭陳列と連動する方法など、彼女はベストセラー本の仕掛け方法を具体的なデータを使って解説したようだ。そういえば斉藤勝義さんもブックフェアの第1回専門セミナーの講師役を務めている。彼はP.F.ドラッカー博士ととても親しかった。その博士の翻訳本出版を例に取って、翻訳出版の実務と交渉法などをレクチャーした。

・ちょうど10年前になろうか。本欄に「第12回 東京国際ブックフェア 2005(TIBF)」を報じた際、《出展規模は約2.5倍に、来場者数も約2倍に達し、世界25ヶ国から650社の参加を得て、発展途上にある、というのだが……実態はどうだったのかクエスチョンが残った》と僕は書いている。3年前の第19回目の開催では、世界25ヶ国から984社が出展し、ブックフェアますます前進との見解があったが、その時も僕にはクエスチョンだった。やっと一部の方々が、出版業界の「異変」について囁きはじめた。なぜ、今回のように著名な出版社の出展が少なかったのか。そのひとつの要因となったのが、2011年の東日本大震災に際し主催者側と出版社間で起こったトラブルだ。その間の事情について老舗出版社の営業担当者が、冷静に指摘している。そして、今回の栗田出版販売の債務超過問題である。文藝春秋などは『火花』(又吉直樹著、7月16日には芥川賞授賞決定)が、発売初日の1月7日にインターネット各書店では軒並み品切れ状態となり、発売6日で6刷、35万部(7月15日64万部、その後7月31日には160万部突破)とのことだが、ブックフェアとは関係がない。いずれにせよ僕は来年から東京国際ブックフェアに行かないことも選択肢と考えている。僕の親しい文藝春秋関係者が、こぞって不参加を表明している。だから、それに倣いたくなったのだ。また、来年は9月の読書週間にちなんで、読者に的を絞ったフェアにしようという動きがあるようだ。時期もその頃に開催されるという。主催者側も、何のためのフェアなのか、もう一度原点にかえって考えてみようということなのかもしれない。

・清流出版の編集部員諸君は、ブックフェアでどんなことを学んだだろうか。少し、感想を聞きたくなった。新鮮な感性の持ち主、新人の吹石佑太君は、農文協のブースに魅力を感じたという。『農家に教わる暮らし術』など、一般家庭でできる生活の知恵を紹介する書籍を多数出版しており、好感度の印象を得たのである。また、枻(えい)出版社ブースでは、同社の日本文化をさまざまな視点から紹介する雑誌『Discover Japan』に惹きつけられたとか。月刊『清流』の特集ページを企画する上で参考になるヒントがあったようだ。また、彼は医療・介護・子育てに関する福祉ジャーナリストと面識をもった。20年間、福祉活動を取材・執筆してきた安藤啓一氏である。安藤氏の介護雑誌編集長を歴任してきた経験を生かし、月刊『清流』で医療や介護関係の特集企画になんらかの協力を仰ぎたいと思ったのである。その他にも、精力的に新しいイラストレーター、ライター、デザイナー、編集者などと積極的に名刺交換し、担当する誌面に新風を送るべく人脈開発に努めたようだ。

  わが社中堅社員の古満温(すなお)君の感想もご紹介しよう。専門セミナーで、アスコム出版の取締役編集部長・柿内尚文氏の「2年連続ミリオンセラーを出すために、アスコムがやったこと」と題した講演を聴講した。とにかくアスコムは8年前に倒産しているのである。つまり、マイナスからのスタートでここまで盛り返した。また、実用書の作り方で、ヒントになる話も印象に残ったようだ。例えば、『医者に殺されない…』、『長生きしたけりゃふくらはぎ…』で年間ベストセラー1位を2年連続で獲得し、ほかにもベストセラーを連発しているアスコムである。詳しい内容はここでは書けないが、ヒットを連発し続けた背景には、アスコム独自の常識を覆す「仕組み作り」があったのである。

 電子書籍についても古満君は、ブース出展の規模が縮小している気はするが、漫画を中心の積極的な大手を中心に進化を続け、販路も広がっているとの印象をもったようだ。会場で配られた「文化通信 bBB」によると、「現在、電子書籍を発行していますか?」との質問に対し、発行していると答えたのは48%、発行していないは52%だった。その電子書籍を発行点数の多い順に並べ、発行点数と累積割合を示したパレートグラフをみてみると、電子書籍の発行点数の多い上位3%の出版社が、電子書籍全体の実に約80%を占めていることがわかった。電子出版市場は、寡占化が進んでいると見ていいようだ。このように、古満君を始め清流出版の社員諸君も、それぞれ良いところに目を付け、ブックフェアから学ぶところは学び、今後の編集活動に生かそうと努力している。大いに結果を期待したいところだ。

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基調講演中の養老孟司さん。

・さて、今回の東京国際ブックフェアで最も注目されたのが、初日の東京大学名誉教授、養老孟司さんの「『出版』は普遍的な職業か?」と題した基調講演であろう。僕は、生憎その日は都合が悪く出席できなかった。今回、藤木健太郎君がメモを取ってくれたので、およそ話の内容が理解できた。なお、この養老さんの基調講演につき、ネットで毎日新聞総合メディア事業局企画室委員(全盲記者)・岩下恭士さんの報告と、インプレスR&D発行人/OnDeck編集長・井芹昌信さんの報告もそれぞれ僕にとって良い情報だったので、参考にさせていただいた。

  養老孟司さんの基調講演は、100年に1度という転換期を迎えている出版業界の現状を論じた。知識の習得が、デジタルやインターネットの世界に移りゆく今、出版人はこれとどのように向き合えば良いのか。書き手でありながら、出版社のトップ(東京大学出版会理事長)の経験を持ち、かつベストセラー執筆者の養老さんが、出版・本・編集者という職業などについて脳科学の立場から業界を語ってくれた。
  養老さんは、今日の講演タイトルは主催者側が決めたものだと話の口火を切った。ご本人は通常、「シラバス」(講義計画書)のように話す内容を予め決めておくことは苦手で、話しながら考えるタイプとのこと。つまり聴衆の反応を見ながら、頭の中で今考えたことを話すのをモットーとしているという。「出版は普遍的な職業か?」とお堅い演題だったが、講演内容は縦横無尽に「普遍」について話を展開し堅苦しいものではなかったようだ。
  養老さんは、中学、高校と神奈川県の進学校、カトリック系の栄光学園で学んだ経験を基に「普遍的(ユニバーサル)」という言葉について説明された。「カトリック」には文字通り「普遍」という意味がある。つまり、ユニバース(宇宙)は、天上に神がいて、地上に人間がいると考える。これがカトリックの考える基本的な構造だった。ところが、現代は、このユニバース(宇宙)から神がいなくなって、グローバル(地球)だけになった。今しきりに言われる、いわゆる「グローバリズム」である。グローバルは「球」、ひとつの全体で、脳科学では、グローバル・コンシャスネス(脳意識)という使い方をする。ユニバースもグローバルもいわば脳の中の出来事なので、言ってみれば宇宙→地球→脳、となってきたと言える。すなわち時代と共に、天の神と地上の人間が共存するユニバーサルから地上中心のグローバルに、その概念が移行したのである。どちらも脳内意識の問題だ。意識は流動的で不確かなものだが、そこで考えられたことを言語化して固定化し、具体的したものが出版物である。言語はユニバーサルなもので、出版はその延長線上にあると強調した。

・養老さんは小学2年生だった時、敗戦を体験し、価値観が180度変わる体験をした。教師の指示で、教科書に墨を塗ったことを今でも強烈に覚えているという。本にまとめられた内容は、確かに普遍的なものだが、私たちは、それにとらわれることなく、時にはそこに墨を塗って自由に考えるとよい、とアドバイスをする。以下は、特に養老先生の講演の中で、印象に残ったフレーズをご紹介する。養老さんの刺激的な講演を伝えるには、これしかない。

・ヨーロッパの人々は、神と向き合った自己という立場から、自分の存在を大前提としているが、そのヨーロッパでも最近は、「自分という確たるものは存在しない」と言われるような時代になった。仏教では「無我」を説くが、その仏教と同じような考え方が出てきたのである。習慣を前提として、それがいずれ意識となる。意識は人類に共通するものではないか。知的財産、つまり知的なものは人類全体に共通性をもつ巨大な脳でできている。脳の普遍性を取り出したものは、PC(パソコン)である。例えて言えば、本は一つの端末とみてよい。感覚的なもの、マンガを電子書籍で見ると見開き単位である。紙の本と電子書籍を比較すると、マンガ本はザラザラした紙をめくって読む感覚が身についているため、電子書籍リーダーのディスプレーで見ると違和感がある。学術書などを専門的に読む人は紙の本を選ぶので、紙の本が無くなることはない。アート紙だと解剖図になってしまう。知にふさわしい触覚、視覚的な印象が、全体としてバランスのよい形で求められる。結論として、本はなくならない。オフィスでもペーパーレス時代と言われるものの、丁寧に読むためにはプリントアウトする。PCの場合、保存したとしても画面はすぐに消える。固定化はできない。紙にも欠点はある。それは自由自在に拡大できないことだ。デジカメと比較しても分かる。さらに、電子書籍の利便性として、文字の大きさを自由に調節したり、語句の検索が簡単にできることを挙げた。どちらにも一長一短があるのだ。

・養老先生は職業としての出版業、仕事のことを考えると、母(小児科医・養老静江)が、自立するために医者の資格をとったことを思い出すという。ご母堂さんは常日頃から、人間は手に職をもたないとダメだと言っていたそうだ。「ストレス学説」を唱え、ストレッサーの生体反応を明らかにしたオーストリアの生理学者ハンス・セリエは、何が起こったとしても、自分の身についた能力や技術は盗まれることはないと書いた。“Ars longa,vita brevis.”というラテン語の言葉は、ヒポクラテス全集の巻頭の言葉として知られている。「手に職をつけるには時間がかかる」という意味で、つまり「人生は短い」ということだ。出版という職業では何が身につくのか、何を身につければよいのか? 職業として果たして成り立ち得るのか? 私は、解剖学という学問を仕事にしてきたが、常にこんな研究をして、何になるのか? と考えてきた。いまだに、何の役に立つのかわからない。また、仕事でさまざまな能力を身につけたはずだが、覚えたことは意識化できない。編集者が、コンテンツを本にするためには一連のシステムに乗せていくことが必要だ。印刷をどうするかなどを考えねばならない。

・製作費や利益などの金銭上の問題もある。まず仕事が先であり、お金は後から入ってくる。つまり本で言えば、沢山売ろうと思って本を作るのでなく、作ってみたら結果的に売れたということになるのだ。本ほど意識的に作られるものはないが、なぜ売れたのか? 売れたか否かの結果については、その理由は分からない。これは意識そのものの性質に似ている。われわれは自分の意識を中心にして生きていると思い込んでいるが、もしそうなら睡眠と意識の関係を考えて見るがいい。もし意識が中心なら「さあ、これから眠るぞ!」と意識すれば眠れるはずだが、実際はそうではない。体が眠気を起こすと自然に眠ってしまう。意識がまるですべてをコントロールしているかのように、一番威張っているが、眠ると意識がなくなるに耐えられなくなって、いつの間にか眠ってしまうのだ。眠ると意識は他力本願で、自主性がない。だが一旦目が覚めて、意識が出てくると、一番威張っている。身体の都合など意識は頓着していない。

・わずか0.2mmの受精卵が、胎児を経て人間になる。そうなることは分かるが、なぜ、どうしてそうなるかは分からない。解剖して、何がどこまで分かりましたか? と聞かれても、永久に分かるわけがない。意識というものがいつ発生するのか? それも、分からない。同じように、なぜ本が売れたのか、デザインがよかったのか、内容がよかったのか、タイミングがよかったのかなどいろいろな結論が出るが、その結論を聞いたとしても、当てにはならない。つまり結果は、分からないのだ。そう思うと、安心して出版できるのではないだろうか。イギリス人のデービッド・アトキンソン(『イギリス人アナリストだからわかった日本の「強み」「弱み」』の著者にして、創業300年の老舗・小西美術工藝社社長)は、「石によって骨が折れるが、言葉では折れない」との名言を吐いた。私たちは教科書で学んだことを知っているつもりになっているが、結局、全ては意識が考えることであり、何も分からないのだ。意識に振り回されないように、私たちは一度教科書に墨を塗ってみることだ。そして、外からの感覚を大事にすることだ。また、知名度は低いが、64歳は虫寿である。このムシの日に、私は虫塚を作り供養した。今はムシがいなくなった。昔は蠅がよく出る五月に、蠅がうるさいと名付けて五月蠅(うるさい)と書いたが、そのハエが消えてしまった。ムシが生きていけない世界に人間が生きられるはずがない。ムシがいなくなる→人間が生きにくくなる→少子化である。東京という所は、若い人を集めて、食えなくする所である。「地方消滅」は、ハエのいなくなる世界であり、人間がいなくなる世界である。このような世界では、意識の世界をやせて貧しいものになる。意識が豊かになるためには、意識の生まれる母体、無意識が豊かでなければならないのだ。

・情報とは何か? 動いているもの、流動的なものを固定することである。本を見れば、分かる通り、本は止まっている。映画やTVは動いているではないか? と言うが、静止画像を連続して見せて動いているように見えるが、映画もTVも止まっているのだ。意識で扱うと、すべてのものは皆止まってしまう。仮に本を録音して見たらどうだろう。全体を静止画像でとらえるなら別だが、部分を拡大して読む時、本のヘリが外に飛んでるので、カメラを上下移動して、読む部分を固定しなければ読めないだろう。読書をする時は本を動かさず、目を動かす。読み取る部分を脳が固定する。明らかに見える中心視野と、その逆に見えない周辺視野をつくる。世界が静止していると思えるのは、脳がそのように見せているからである。ビデオカメラで録画しようと構えたら、なるべく動かしてはいけない。できるだけゆっくり動かさないと人間には見えないからだ。これは撮影する時の鉄則である。

・脳と本の深い関係についての話なので、当然、この講演に結論は出ない。「あとは自分で考えてください」という言葉で聴衆の笑いを誘って、締めくくられた。「意識的なものが豊かになるためには、意識の生まれる母体である無意識が豊かでなければならない」という言葉は、肝に銘じたい。

・井芹昌信さんのメモもここにご紹介する。Google的な検索はネットに知的なものを作り出した。それは拡大解釈すれば意識、つまり脳のようなものだ。人間には意識がある以上、知的なものは終わらない。だから、出版的なものも終わらない。出版においては、皮膚感覚がとても大事(たとえば手ざわりや手作業によるもの)である。現象を感覚として意識に伝える力が重要なのだ。現在のネット検索は知的なものだが、人間が創り出す出版は感覚から立ち上がっているので、ネット検索とは異なるものだ。最近は感覚が抑制されてきていて、言えないことや書けない言葉が多くなってきた。再度、価値観の見直しが必要ではないか。出版には、その役割もあるのではないかと思う。「あくまで自分の整理なので、養老先生の主旨から外れているかも知れない。読者の皆さんにも、ご自身での考察をおススメしたい」と結んでいる。
  以上のまとめ、藤木健太郎君、岩下恭士さん、井芹昌信さん、どうもありがとうございました。
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