加登屋のメモと写真…: 2015年6月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2015年6月アーカイブ

菅原匠さん、岩波唯心さんの個展

清流出版 (2015年6月24日 17:21)

●菅原匠さんの「藍染と焼き物展」


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個展会場で自身制作した藍染暖簾の前に立つ菅原匠さん。


・5月27日(水)から6月1日(月)まで、松屋銀座8階で菅原匠さんの「藍染と焼き物展」が開催された。僕は菅原さんの藍染も焼き物も大好きなので、年一回いつもこの時期に行われるこの個展を楽しみにしている。実は清流出版の応接室にも「西行」と題する洒落た藍染暖簾が掛かっている。社内に潤いをというつもりで購入したものだ。題を「山頭火」としてもよさそうな、山道を行く老僧の後ろ姿である。実は、個展を楽しみにしている理由がもう一つある。菅原さんのファンには美人のお嬢さんが多いからだ。だから会場がいつも華やいでいる。会場で知り合った美人とのツーショット写真も何点かある。

 菅原匠さんといえば、あの白洲正子女史が大ファンであったことで知られる。白洲さん自身の交友録にも何度か登場している。菅原さんの藍染作品「市女笠」の暖簾を購入し、ご自宅の武相荘でも飾って楽しんでいた。一流人は一流人を知るとはよくいったものだ。その白洲さんが肩入れしていた織司・田島隆夫さんと菅原さんがごく親しい関係だったのである。その意味では数寄者の世界もそうだが、茶碗を売った買ったといっても、一部の目利きの間を行き来するようなごく狭い世界なのである。逆に言えば、それだけ本物の目利きは少ないともいえる。


・菅原さんの芸術家としての人生に影響を与えた人物として、水原徳言翁を挙げないわけにいかない。十代の若いころから水原翁の薫陶を受けていたというのだ。水原徳言翁といえば、20世紀を代表する世界的なドイツの建築家ブルーノ・タウトと深く親交を結んだ人物である。タウトが水原翁の郷里である群馬県高崎に滞在し、工芸製品制作の指導に関わるようになった際、共同制作者、協力者として活動したことでよく知られている。日本における、タウトの唯一の弟子だと言われている所以である。水原徳言翁は2009年に98歳で亡くなっているが、明治人の気骨そのままの生涯を生きた人であった。高崎の巨星墜つと報道されたが、日本にとっても稀少な存在が消えたと惜しまれたものだ。

 三十数年前のある日、菅原さんは、その“知の巨人”、水原徳言翁からこんなアドバイスをされたという。「行田の田島隆夫さんは、江戸時代の紬のような良い布を織っている。会って、是非、勉強してきなさい」と……。白洲正子さんが銀座で染織工芸の店「こうげい」を経営していた頃の話だ。田島さんは白洲さんに気に入られ、お店に織物を納めていた。田島さんの書画が、まだ世に出る前の話だ。考えてみると、一流の人は一流の人を発見する。「こうげい」からは田島隆夫の他にも、古澤万千子らすぐれた工芸作家が育っている。


・田島さんに会いに行って織物を目の当たりにした菅原さんは、その作品の芸術性の高さに声もなかった。配色、縞模様、そして風合いが過不足ないバランスで織られ、全体的に優しさを醸し出していた。菅原さんはいっぺんで惚れ込んだ。「田島さんとの長い癒着の始まりです」などと茶化しておられたが、その時が田島さんとの長いお付き合いの始まりであった。

 菅原さんは伊豆大島の広大な敷地にご自宅があり、そこで創作活動をされている。菅原邸の門に「藍風居」と書かれた扁額がかかっているが、白洲さんの命名だという。広い庭には、明日葉が生い茂り、四季折々の花が咲き乱れる。初春の寒椿に始まり、クリスマスローズの群生、紅白梅が馥郁と香り、桜の花が庭を彩る。初夏のこの時期には、紫陽花や下野の花、百合、山法師などが咲いている。この個展会場に活けられていた花は、白色と薄い緑色の山法師だったが、すべてご自宅から切り取ってきたものだという。秋には女郎花、桔梗が咲き、落葉樹の紅葉も始まる。四季の移ろいをそんな植物が教えてくれる。

 藍染用の藍甕を立て(それも9個もの藍甕を用意している)、焼き物を焼く登り窯も敷地内に持っている。今回展示されていた焼き物は、厳冬期にご夫妻が寝ずの番をして窯を焚き、焼き上げたものだ。火を絶やさず、不眠不休で薪をくべ続けるのは大変な重労働であるが、ご夫妻は自分たちだけでこれまでも焼き上げてきた。最近は心境の変化か、器だけでなく仏像も焼くようになっている。京都の著名なお寺から依頼され、仏像の大作を納めたとも聞く。焼き物の対象が広がりつつあるのは、今後も楽しみだ。

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壺に活けた山法師の花は大島の自宅からの切り花。


・実は菅原さんは欲張りである。というより、神様はどうしてこうも一人の人間に多くの才能をお与えになるのか、とも思うのだ。菅原さんの創作欲は陶芸と藍染に留まらない。個展会場で展示されたらいいと思うのだが、書画も楽しんでおられる。この書画も余技の域を優に超えている。いいお手本が身近にあったことも、幸いしたのかもしれない。田島隆夫さんは菅原さんの大島の自宅によく遊びに来た。田島さんは本来の目的である、持ち込んだ糸を藍甕で染めた後は、日がな一日、画を描いて過ごしたらしい。菅原さんと三原山方面などにぶらぶらとスケッチに出かけることもあった。

 菅原宅での画題は、季節の野菜、草花、果物、それに新鮮な魚介類などもよく選ばれた。田島さんは、竹筆、葛筆など変わった筆ももち、古墨にも詳しかった。だが和紙は薄茶色がかった安紙を好んだ。弊社から刊行された『田島隆夫の日々帖』(前期、中期、後期の全3冊)を始め、ほとんどの傑作はその紙から生まれている。田島さんが亡くなって、使い残しの大量の和紙は菅原さんに遺された。菅原さんは実際に手許に来た紙を見て、びっくりしたらしい。ただの安紙と思っていた和紙は、厳しい目で選び抜かれた味わい深い和紙だったのだ。高価な和紙もたくさん含まれていた。かくして菅原さんは、書画の楽しみも引き継がれたのである。


・菅原さんの師・水原徳言翁はよくこんなことを言っていた。「画は書の如く、書は画の如くあれ」と……。「良寛は画を描くように書を、池大雅は書のように画を描いたではないか」と具体例を引いて説明してくれた。だが、これは口で言うほど簡単なことではない。菅原さんはその真理を自家薬籠中の物にしつつある。今回の個展での藍染作品は、省筆とデフォルメが生きている。正に画だが書のように描かれている。飄逸さの中にも品性が感じられた。菅原さんの創作が、一段と高みに登られたと感じたのは、一人私だけではあるまい。

 陶芸の仏像作品、藍染の飄逸な魅力。大胆な省筆とデフォルメ。菅原さんは、独自の世界を紡ぎ出しつつある。月刊『清流』に菅原さんの一年間の活動ぶりを連載させていただいたことがある。連載を読めば分かることだが、その創作活動を支える奥様の麗子夫人の存在も極めて大きい。地元食材を中心に、素材の魅力を引き出す料理の達人である。だからこそ菅原さんも、旺盛な創作意欲も湧いてくるのだと思う。夫に寄り添い、よき理解者であり、戦友ともいえそうな格好のパートナーである。今後、どんな作品が生み出されてくるのか、また来年の個展が楽しみである。

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菅原さんの焼き物ファンも結構多い。




●岩波唯心さんの「細々図譜」展


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不自由な左手で本にサインをしている唯心さん。


・もう一人、個展を観に行って感動した人物がいる。それは岩波唯心さんという人物だ。岩波唯心さんの個展名は「細々図譜」と銘打たれたもの。5月4日(月)から5月10日(日)までの1週間にわたって、京橋2-5-18京橋創生館1階「孔雀画廊」で開催された。岩波さんは本名・岩波茂雄(岩波書店の創始者と同姓同名。出身地も長野県諏訪市だ)。唯心さんは、身長185センチ位で大きいが、その作品は細々図譜とはよく名づけたものである。30センチ程度の小さめの画だが、超がつく細密画である。山根、蟹、糞の化石、烏賊、貝、茸など、珍しい画題では隕石もあった。いずれにしろ、画題は様々だが、その細密ぶりが半端ではない。不自由な左手で描いたとは到底思えない。筆先がよく見えないのをカバーするため、虫眼鏡で拡大しながら描き進めたという。そこに漢詩のような自作の讃が添えられている。実に見事な作品だった。

 唯心さんの個展は、実に6年と数ヶ月ぶりだというが、この個展に出したものは、すべてが新たに描き起こした新作ばかり。その努力と精進ぶりは察するに余りある。この間30点強の新作を描き上げたのである。素晴らしいとしかいいようがない。会場には唯心さんの古くからのファンも見えていた。訊けば1994年に開催された立川・高島屋、2007年の帝国ホテル内の絵画堂で行われた個展からのファンもいるという。実際、80歳を優に超えたお婆さんが、楽しげに唯心さんと歓談されていた。そして次の個展がある時は、またご案内をよろしくといって帰って行かれた。僕はそれを実際に目の前で見ている。

 中学時代、唯心さんは美術部に所属していたが、その時の先輩に当たるという女性3人が丁度会場で行き合わせた。一つ先輩という女性3人組を前に、流石に唯心さん旗色が悪そうだったが、3人から聞いた美術部時代のエピソードが面白かった。唯心さんの画の技量が、ほかの美術部員から飛び抜けていたため、一緒にすることができず、唯心さんの特別コーナーが作られていたらしい。

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以前、高尾山に登った時、見かけた山根をスケッチした。それがこんな作品になった。まるで生きているようだ。


・岩波唯心さんには、清流出版から『縁あって生かされて 岩波唯心書画集』という書画集を出させてもらった。この本は2008年12月に刊行されている。実は僕が半身不随になったように、唯心さんも脳出血で倒れ、半身不随の身なのだ。それも右半身不随でこれも僕と同じである。利き腕の自由を失い、目も網膜色素変性症で異常をきたしていながら、画を描き続けているのだ。僕は同病相哀れむではないが、唯心さんから初めて作品を見せてもらった時、心からこれは本にすべきだと思った。ハンディがありながら、それを乗り越えてこれだけの画を描く。素晴らしいと、僕は刊行を即決していた。それだけ画に凄みがあった。

 もともと唯心さんは仏教画家を目指していた。そこに至るには、悲惨な実体験があった。小学校高学年で唯心さんは、問題教師の生贄とされ、小学校を卒業するまで殴る蹴る、罵詈雑言を浴びるという徹底したいじめを受ける。憂さ晴らしの標的にされたのだった。中学生になっていじめからは解放されたものの、受験戦争に翻弄されることに嫌気がさし、生きる意欲を失っていた。そんな時に、図書館で見つけた画集『国宝 地獄草紙』に衝撃を受ける。その絵巻に繰り広げられる陰惨な場面に、子供ながらに社会への厭世観と疑念を固持する自分の姿を投影していたという。

 その本を借り出して、毎日毎日模写をしたという。念のため、再度書くが中学生の時の話である。どれほど精神的に追いつめられていたかが、わかるだろう。ある日、模写の途中で、夢か現か光輝のみの姿で菩薩が目の前に現れたという。正気に返った瞬間から、唯心さんは仏画に傾倒するようになった。徹夜で没頭していたので、極度の過労と睡眠不足で肉体が疲弊し、無意識のうちに救いを渇望し、その果てに菩薩が現出したものらしい。


・以後、14歳で仏画の独習を開始し、仏画師になろうと決意する。文化学院高等課程美術科に入学したものの、家庭の事情もあって2ヶ月で中途退学を余儀なくされる。そして十六歳で家出をし、西村公朝の弟子だという仏画師について修業を開始し6年が経ち、少しずつ小さな注文を受けるようになってきた時、難病の網膜色素変性症に罹患していることが判明する。この難病は、人によって症状が違う。視野狭窄や夜盲、視力低下などが起こる。唯心さんも色の見え方が微妙に狂い始めて、中間色が分かりにくくなった。夜間、電灯の下での作業が出来なくなったというのだ。これでは仏画は描けない。

 仏画師を目指してきて、ようやくプロとして仕事も入り、燭光が見え始めたと思ったら、眼疾患でその道を断念せざるをえなくなる。その悔しさはいかばかりだっただろうか。二十二歳の終わりからは、やむを得ず、唯心さんは墨画と書を専門として活動することになる。唯心さんを襲った病魔は、これだけでは退散しない。さらに過酷な人生に引きずり込むことになる。

 三十一歳になった時、ひどい頭痛に悩まされるようになり、病院で検査を受けるが、何も病名らしい病名は出てこない。薬を処方されたものの、一向に改善せず悪化していった。病院をたらい回しにされているうち、最後の病院の待合室で倒れる。生死の境をさまようような脳出血が襲ったのだ。左脳の半分以上を失い、冥途に片足突っ込んだところで一命を取り留めたのである。右半身不随となるということは、利き腕だった右腕が使えなくなったということ。画家が利き腕を失って再起するのが、どれほど大変なことかは想像するに余りある。

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この超細密画、感じ取っていただけるだろうか。


・今回、見させてもらって、唯心さんはハンディをものとせず、進化していると感じた。訊けば唯心さんは病のデパートである。4年前には、異形狭心症という診断が下され、微細血管不全にあるという。唯心さんが自分で調べてみると、異形狭心症は死亡率が30パーセントを超えるという難病であった。しかし、唯心さんは決して下を向かない。本人はこう言い切る。「与えられたこの命を抱いて、いまわの際まで潤筆、書画を書き続けることこそ活路と心に期している」と……。

 この腹の座り方は見事である。あと1週間後に果てるのも、60年生き永らえるのも、もう何も思い残すことはない、と心に刻んだ。1日1日をとにかく大切に生ききると心に決めたのである。最後に個展名の「細々図譜」について訊いてみた。細々とは「ささやかな様」という意味だという。ささやかに生きるもよし、だがそこには煌く大きな命がある。今回の個展用に製作した作品は32点。個展会場の都合上、25点の出品となったという。今後の唯心さんから、目を離すことはではない。願わくば、こうした最近の作品を網羅した作品集を出し、人々に岩波唯心という希代の天才画家を知ってもらいたい。それを切に願っている。

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烏賊の質感が見事に表現されている。

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