2014.11.14小寺禮子さん、山口仲美さん


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小寺禮子先生(僕の向かって左隣)、山口仲美先生(右)、『清流』編集長の長沼里香(左)。小寺先生のお住まいである「サンシティ吉祥寺」の玄関ホールにて。

・僕の中学時代の恩師小寺(旧姓・小高)禮子先生は、月刊『清流』の創刊時からの有料購読者である。それもつい最近まで2冊ずつ購入されていた。小寺先生の恩師の吉田夏さんに贈呈されていたが、101歳のご高齢で眼が見えなくなり、やむを得ず購読中止になった。その吉田夏先生は、体操の世界ではよく知られた方だ。日本人で初めて体操の国際女性審判員となり、メルボルンから5大会連続で五輪の国際審判員として活躍された。2011年9月、チェコの名花、東京五輪女子体操金メダリストのチャスラフスカさんが来日した。東日本大震災の被災地慰問が目的だったが、チャスラフスカさんも吉田夏さんをよく覚えていて、インタビューしたスポーツ・ジャーナリストの長田渚佐さんに「今、吉田さんはおいくつになられましたか?」と尋ね、「101歳になられましたが、とてもお元気です」という言葉を聞いて、「すばらしい!」と言ったと伝えられている。また、吉田夏先生は女性として初の紫綬褒章も受章されている。
 
・小寺禮子先生は、かつて『清流』の特集企画や読者欄に何度か登場された。弊社の大事な協力者の一人でもある。ついこの間も、僕のブログに書かせていただいた。小寺先生は、われわれが中学2年になる時、豊島区立第十中学校に赴任し、わが2年2組のクラス担任となられた。その時から、すでに約60年という長い歳月が流れている。この小寺先生からある日、「月刊『清流』にあなたの後輩がレギュラーで登場しているのは、加登屋君の計らいですか?」と尋ねられた。「えっ、誰のことでしょう?」とお尋ねすると、「山口仲美さんです。旧姓は橋本さんとおっしゃった」とのご返事。早速、『清流』編集長の長沼里香にこの件を、山口仲美先生に確認してもらった。「お尋ねの件ですが、その通りです。私の旧姓は橋本、小高(当時)先生に教わりました。第十中学校の卒業生です。加登屋さんに是非お会いしたいとお伝えください」と長沼のもとにメールが届いた。小寺先生の発言から、山口さん(十期生)と僕(七期生)が第十中学校の同窓生であることが分かった。僕が高校に入る時、山口さんが豊島区立第十中学校に入ったことになる。その方が、お茶の水女子大学を卒業し、東京大学大学院修士課程を修了し、文学博士、埼玉大学名誉教授となった。擬音語・擬態語の研究者として第一人者で、著書『日本語の歴史』(岩波新書)で日本エッセイスト・クラブ賞、平成20年、日本語学の研究で紫綬褒章受章者となった。この出会いはまぶしいほど、僕としては望外の喜びであった。
 
・10月17日(金)、山口仲美先生と長沼里香、加登屋の三人が、小寺禮子さんお住まいの高齢者マンション「サンシティ吉祥寺」へ集まった。僕はサンシティ吉祥寺の素晴らしさをよく知っているので、小寺先生にはご迷惑だが、迷わず集合場所にさせていただいた。運よくこの日の夜、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーであるザイフェルト弦楽四重奏団がサンシティのホールで演奏することになっていた。その本番前の練習が終わった午後3時過ぎ、ホールでウィーン・フィルハーモニーのメンバーを拝見して、われわれもほんの少しウィーンの香りを楽しむことができた。
 
・僕は第十中学校卒業後、2年2組のクラス会でしばしば小寺先生に会っているが、山口先生は卒業以来、小寺先生にお会いしてないことが分かった。お2人の会話が、あれもこれも思いつくままに、どんどん進んでゆく。やはり半世紀ぶりの邂逅で、お互いのことを知りたい気持ちが僕にも伝わってくる。お子さん(小寺先生は男の子三人、山口先生は男の子二人)を産んで、育てたこと。傍で聞いていると、お二人とも立派な子育ての仕方で、妻に任せっぱなしだった僕にはなんとも羨ましい限り。山口先生は、二人のお子さんも豊島区立第十中学校に入れたと言う。それから山口先生は、他の先生方の消息もいろいろと尋ねた。忘れないうちに書いておくが、山口先生はこんな質問をされた。「小高先生、私は先生に憧れて、教職に就きたいと思ったのです。なぜ十中を退職されたのですか」と。小寺先生の存在が、山口先生のような生徒に崇拝され、その後の人生に影響を与えたことを聞いて、僕は大いに納得し感動を覚えた。計算すると、小寺先生の奉職期間は約5年間で、十中時代を終えたことになる。その後、われわれ七期生の2年2組と小寺先生とのクラス会は約30回を数え、今に続いている。

・この日、お昼のご馳走が、この上なく美味しかった。山口先生も、食が進んだことと思う。実は、山口先生は、2009年夏、大腸ガン(S状結腸ガン)を患い、また2013年夏には膵臓ガンにかかって、食べ物の選択が難しいそうだ。果たしてお口にされるか分からないまま、小寺先生もサンシティ吉祥寺の献立係りにいろいろ相談され、和食中心に、豪華かつ健康によい食事を用意してくれた。他のレストランに行けば、一人当たり1万円以上のご馳走だったと思う。
 ここで山口先生の著書『大学教授がガンになってわかったこと』(幻冬舎新書、2014年3月刊)をご紹介しよう。この250ページの本を何回も読んで、僕は納得した。山口先生はこう書いている。《ガンは、わたしに「謙虚」と「受諾」という、自分に最も欠けていた精神的な贈り物をくれました》と。僕も二回脳出血し、右半身不随、言語障害の身になって、同じ思いをしているので納得できた。
 この本には、数々の読み処がある。患者が病院を選ぶ際、どういう基準で決めたらいいのか? 手術はしなくてはいけないのか? 手術するとしても、執刀医の腕は信じられるのか? 看護婦の態度に傷つくことがあるが、仕方ないことなのか? 手術で入院する際の病室は、個室にしたほうがいいのか? ……等々、現実的な問題で困惑したり、迷っている患者サイドから書かれた本だ。
 面白いのは、山口先生が、ご自分の担当医を、オチョボ先生(端正な顔立ちにオチョボ口がなんともいえない愛嬌をたたえている)、コウベエ先生(小言幸兵衛のようにお小言がお好き)、センザイ先生(千載一遇のチャンスだと、手術を勧める)、キサク先生(ニコニコと気持ちのいい笑顔を見せて、親しみやすさを体全体から発散している)、サワヤカ先生(患者の心をつかむコツを心得ている、若い男性医師)…等々、愛称を多用し、読者がイメージしやすくお書きになっている。僕は、難しい医学用語の多用することを緩和するために、先生方に「あだ名」を付けることで読者を引き込み、さすがに国語学者だなと思い、感心することしきりであった。

・10月一杯、山口仲美先生は毎週水曜日に、NHKのEテレ「100分de名著」に4回連続で出演された。詳しく言えば、10月1日・8日・15日・22日の毎水曜日、夜11時から25分の番組であった。さらに再放送は翌週の水曜日の朝とお昼の時間で、僕は何回も見た。名著として取り上げたのは、『枕草子』だった。1回目は「鮮烈な情景描写」、2回目は「魅力的な男とは? 女とは?」、3回目は「マナーのない人、ある人」、4回目は「エッセイストの条件」という身近なテーマで、楽しく、分かりやすく、今まで誰もやらなかった全体構成でお話しなされた。
 NHKのテレビテキスト(2014年10月)も発売されていた。早速、妻が買ってきてくれた。『100分de名著――枕草子』という雑誌で、“どうして、春は「あけぼの」?”から始まって、“観察力と批判力が大事。あとは、ミーハー的好奇心!”と続く。最初にカラーページがあり、「世界初の随筆文学」と謳い、清少納言が中宮定子のもとに初出仕したのは正暦四年(九九三)ごろで、宮仕えを終えたのは定子が二十四歳で亡くなった長保二年(一〇〇〇)のこと。