加登屋のメモと写真…: 2013年12月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2013年12月アーカイブ

天満敦子&岡田博美のデュオ・リサイタル

清流出版 (2013年12月18日 16:11)

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窪嶋誠一郎さん(中)、藤木健太郎君(右)と僕。開演前の紀尾井ホールで。

・11月29日(金)、紀尾井ホールで天満敦子さんのヴァイオリンと岡田博美さんのピアノのデュオ・リサイタルが行われた。例年、この時期には、天満さんからコンサートのご案内をいただく。わが社では有志を募って聴きに行くのを恒例にしている。師走を直前にした慌ただしい日ではあったが、「忙中閑」で10名が参加した。僕はこのコンサート会場で、無言館館主・窪嶋誠一郎さん(中)と会うのを楽しみにしている。いつもながら窪嶋さんの連れが気になるところだったが、今回は俳優座の岩崎加根子さんと作家の澤地久枝さんであった。窪島さんは両手に花、相変わらずのモテモテぶりで羨ましい限り。ただ、岩崎加根子さんは、人の肩を借りなければ歩行が困難のご様子でおいたわしかった。  窪嶋さんと天満さんは、お互いを「あっちゃん」、「せいちゃま」と愛称で呼び合うほどの間柄である。また、もうおひと方、天満さんのコンサート会場でよくお会いするのが小林亜星さんだ。亜星さんは熱烈な天満敦子ファンであり、天満さんも亜星さんの作った「ねむの木の子守唄」「旅人の詩」「落葉松」等をコンサート会場で演奏されている。お二人は、2008年9月に、「なかのZERO大ホール」で、ジョイント・コンサートを開催しているし、2009年5月には、コラボレーションを集大成したアルバム『ロマンティックをもう一度』を発売しているほどの仲良し。

・天満敦子さんが国際的ピアニスト・岡田博美さんを招いて最初にデュオ・リサイタルを開催したのは2004年11月に遡る。ダイナミックな奏法で超絶技巧が印象深い天満敦子さんと、精緻なピアニズムと正確無比なテクニックで知られる岡田博美さんの"共演"は、 スリリングな出会いとなり、クラシックファンに強烈な印象を残した。気が合った二人は、その後も、2008 年4月、2010年11月と共演、以後も何度か共演する黄金コンビとなった。8日に続き、この29日と、この11月も紀尾井ホールで2度目の共演だった。天満さんのこの日の演奏後の挨拶が、とても印象的で心に残っている。それからまず紹介しておこう。

――天満さんは舞台裏ともいうべき、二人のリハーサル風景について触れた。「私たちのリハーサルはとても静かなもの。何も言わずに一曲弾き、二人で黙ってタバコを一服し、また何も言わずに一曲弾き……というのが繰り返されるだけなんです。リハーサル用にと3時間、部屋を借りていましたけれど、1時間半で音合わせが終わってしまいました。余った時間、岡田さんはその後も練習なさるのかなと思っていたら、『帰ります』と言ってさっさと帰ってしまわれました」。会場は笑いの渦に包まれたが、いかにも寡黙な岡田さんらしいエピソードだと僕は得心したものだ。

・天満敦子さんについては、本欄で何回も紹介してきた。ただ、このことは皆さん、ご存じであろうか。朝日新聞朝刊に1998年7月から1年間にわたって好評連載された芥川賞作家・高樹のぶ子さんの小説がある。タイトルは『百年の預言』。この新聞小説に登場する情熱の女主人公・馬充子(そうま・みつこ)は、天満さんをモデルにしたと言われる。1986年、革命前夜のルーマニアとオーストリアのウィーンを舞台に、外交官として赴任している真賀木奏とバイオリニストの走馬充子の激しい恋が描かれるのがこの小説だ。本能のまま情熱的に行動し恋に身を焦がす馬充子に、僕は天満さんを重ねて興味深く読ませていただいた。

・天満さんは、常に弱者の立場に立って考える方で、チャリティのコンサートも多い。天満さんのそんな考え方と活動ぶりには頭が下がる思いだ。僕の知っているだけでも、AAR「難民を助ける会」の支援活動の一環として、震災から2年となる今年、3月24日からAARとともに東北3県4市町6か所で演奏活動を行ってきた。3月29日には、皇后陛下のご臨席を仰いで、東京・浜離宮ホールでチャリティ・コンサートを行っている。また、今月12月13日にも、自殺や自殺に関する諸問題と取り組んでいる「いのちの電話」の支援活動をしたいとチャリティ・コンサートを開催している。天満さんのご母堂の故・時子さん(旧姓・佐藤)は福島県相馬の出身で、天満さんは「母の古里相馬の皆さんのため、心を込めて弾きたい」と演奏の度、コメントされている。僕は天満さんの演奏には、ますます深みが出てきた気がしている。「弾いて祈る」という姿勢が確かに伝わってくるのだ。

・ここでピアニストの岡田博美さんもご紹介しておきたい。富山県の出身。安藤仁一郎、森安芳樹、マリア・クルチオに師事する。桐朋学園大学に在学中、第48回、「日本音楽コンクール」で第1位優勝。 桐朋学園大学を首席で卒業後、1982年、「第28回マリア・カナルス国際コンクール」で第1位(スペイン音楽解釈特別賞を併せて受賞)、 1983年、「第2回日本国際音楽コンクール」ピアノ部門で第1位、1984年、「第2回プレトリア国際コンクール」にて第1位(リサイタル賞を併せて受賞)と 次々に優勝を果たし、内外の注目を一身に集めることになる。以後、1984年より在住するロンドンを中心に、東西ヨーロッパ各地で演奏活動を続け、日本においても毎年意欲的なプログラムによるリサイタルが好評を博している。

・今回のプログラムをご紹介する。第1部がヘンデルの「ヴァイオリン・ソナタ第6番ホ長調 作品1の15」、バッハ(ブラームス編)の「左手のためのシャコンヌ」、そしてバッハの「シャコンヌ」。ここで15分間の休憩時間を経て、第2部に入る。フランクの「ヴァイオリン・ソナタ イ長調」、ポルムベスクの「望郷のバラード」という構成だった。僕は何回もこれらの曲を聴いてきたので、天満さんのプログラム構成が、メリハリを意識したものであると、うなずけるものだった。

・ここからは、会場で配られていたプログラム・ノート(中野雄氏)を一部引かせていただいて、簡単に曲の解説をしてみたい。第1部のヘンデルの「ヴァイオリン・ソナタ第6番ホ長調 作品1の15」は、ヘンデルのヴァイオリン・ソナタ全6曲の中でもしばしば演奏される、美しい曲だ。バッハ(ブラームス編)の「左手のためのシャコンヌ」は、岡田博美さんのピアノ独演だったが、岡田さんの左手が素晴らしい動きをした。バッハの名曲をブラームスが慕っていたシューマンの未亡人で、当時右手を負傷していたクララのために左手だけで演奏できるようにしたものだ。ヴァイオリンの原曲より1オクターブ低いというだけで、オリジナルにほぼ忠実な編曲になっている。つい最近、同じ曲を舘野泉さんの演奏で聴いた。
次に、バッハの「シャコンヌ」。かつてあの政治学者・丸山眞男が熱烈な天満ファンになり、わけても天満さんの弾くバッハの「シャコンヌ」を熱愛したのは知られている。後年、丸山さんが亡くなって偲ぶ会が行なわれたときも、天満さんはその曲を弾いている。天満さんはヴィターリの「シャコンヌ」も演奏会でしばしば弾き、どちらの曲も僕は大好きだ。当日の演奏は、天満さんが「凄み」を効かせて弓を弾いたので、初めて聴いたという人には、馴染めないまま終わった観がある。通常、ヴァイオリンの高音は美しいばかりで、凄みを効かせることはない。ここに天満さんの音作りのユニークさがある。僕は天満さんの持つ名器アントニオ・ストラディヴァリウス「サンライズ」と、伝説の巨匠ウージェーヌ・イザイ遺愛の名弓で、もともとはフランスの巨匠サルトリーの作を奏でる音に酔った。

・第2部は、フランクの「ヴァイオリン・ソナタ イ長調」から始まった。フランクはベルギーの出身だが、同郷のウージェーヌ・イザイの結婚祝いに贈られた作品。循環形式による作風が特徴で、ベートーヴェンの「クロイツェルソナタ」等と並び称される古今の名作である。そして、ポルムベスクの「望郷のバラード」の演奏が始まった。120年の歳月の彼方から掘り起こし、世に広めたルーマニアの秘曲だ。憂いを帯びた美しい旋律と、曲に秘められたエピソードを知るたびにますます好きになる。この曲は天満さんが1992年初夏、「文化使節」として訪れたルーマニア公演で空前の成功を収めたことに発する。この訪問を機縁に彼女が日本初演を果たした薄倖の天才ポルムベスクの遺作「望郷のバラード」は、クラシック界では異例の大ヒット曲となり、彼女の名声を不動のものにしたと言われる。

・アンコール曲も充実していて、実に感動的だった。4曲もアンコール曲を聴けたのは、とても得した気分になった。天満さんが心に染み入る奏法で、山田耕筰・和田薫の編曲の中国地方の「子守唄」を演奏すれば、次に岡田さんがショパンの「小犬のワルツ」を巧みに、そして軽やかにピアノ演奏してみせた。続く共演では2曲を選曲。フォーレの「シチリアーノ」、モンティの「チャールダッシュ」が演奏された。感動の拍手がしばらく鳴りやまず、余韻の残る素晴らしいエンディングとなった。

・かつて書いたことと一部重複するが、窪島誠一郎さんに聴いた話を基に、僕なりの解釈で述べてみたい。天満さんのご母堂は、東京女子大学で瀬戸内晴美(現・寂聴)と同級生だった。その瀬戸内さんと作家の井上光晴さんが恋愛関係になった。きっかけは、ある書店主催の講演会であった。スピーカーとして売れっ子の瀬戸内晴美、井上光晴、大江健三郎の3人が呼ばれた。講演会を期に、瀬戸内晴美の情熱的な鋭い感受性が発露する。井上の飴をつまむ白い指の繊細な優雅さ。大学講師や助教授といわれても不都合のない着こなし。全身から石鹸の匂いが漂ってくるような清潔感。たちまち瀬戸内晴美は井上光晴と恋に落ちる。もちろん井上には妻と二人の子供がいたが、二人の恋愛関係は8年間にわたって続く。この関係を断ち切るには、生半可なことでは済まない。選んだのが出家だった。戒師を引き受けた今東光和尚の「下半身は?」の問いに、キッパリ「断ちます」と答えたのが、まだ女盛りだった51歳の時である。晴美から寂聴となり、京都・寂庵を拠点に、旺盛な執筆意欲は今に至るも、まったく衰えていない。

・だが、もっと面白い話があった。井上光晴と瀬戸内晴美が恋愛関係になる前、天満敦子さんが16歳の時のこと、御茶の水で作家の井上光晴に見初められたのだという。井上光晴、45歳の時だった。書店・勁草書房の窓ガラス一面にでかでかと井上光晴の顔入り書籍宣伝ポスターが貼ってあり、天満さんがそれをしげしげと眺めていると、当の井上光晴に声を掛けられたのだ。天満さんが、問われるままに「この先の芸大附属高校に通ってるんです」と応えると、「すぐそばの『ジロー』でケーキでも食べませんか」と誘われた。以来、年齢差30歳余りという稀有な交際が始まる。

 
・そして、井上光晴の仲間には、埴谷雄高、島尾敏雄、野間宏、橋川文三、秋山駿など錚々たる文士たちがいた。この一流文士たちが丁々発止と文学論を闘わす中に、天満さんはひょうひょうとしていたのだ。「この子は天才だ」という井上さんの言を柳に風と受け流し、いわば天満さんは才能あるかわい子ちゃん的存在で、オジサマ殺しの青春時代を送ったのだと思う。だが、一流文士たちとの交流は、天満さんを人間的に成長させたと思われる。素晴らしい感性と胆力は、知らず知らずのうちに鍛えられたのであろう。井上光晴の長女・井上荒野さん(直木賞作家)より6歳年上の天満さん。人間の出会いの不思議さを思う。人間の営みって、時に複雑でドラマチック。だから人生は面白いとつくづく感じ入った。 

 
・天満さんに纏わるエピソードは、まだまだある。だが、僕は決して強くはないが、自他ともに認める酒みである。酒を呑まなければ、言えないこともある。今回、受付でリサイタルのパンフレットとともに、一枚のPRチラシが渡された。茨城県笠間市の株式会社笹目宗兵衞商店を醸造元とする「大吟醸 天満」の宣伝チラシだった。「……そのひとの奏でる旋律が甦る 盃にその酒を注ぐ 馥郁たる芳香が立ち上がる ふたつの贈物がひとつになって 天に満ちる その魂の源泉は ヴァイオリンの音色」――天満さんが大吟醸酒の名前になった。なんと素晴らしいことだ! 痛風や糖尿病患者に日本酒のプリン体はあまり良くない。しかし、この「大吟醸 天満」を心ゆくまで味わってみたい。杯を手に、「天満さん、乾杯!」と一声上げたくなった。
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