加登屋のメモと写真…: 2013年10月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2013年10月アーカイブ

渡辺一夫さんとラブレー、エラスムス......

清流出版 (2013年10月24日 10:47)

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『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』(フランソワ・ラブレー著、渡辺一夫訳、全5巻、岩波文庫版、合計2965ページ、1973年―1975年刊行 原作1532年―1564年)

 

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『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』の元版になった『フランス古譚 ガルガンチュワ大年代記』(渡邊一夫譯、筑摩書房刊、1943年、原作1532年)


・今回は、本の話をしてみたい。それも、仏文学の泰斗・渡辺一夫さんが僕の青春にもたらした読書の楽しみについて語りたい。渡辺一夫さんと言っても、今の日本人では一部の人しか知らないと思う。だから簡単に紹介しておこう。1901年―1975年の生涯。仏文学者の辰野隆さんに師事。東京帝国大学文学部講師、助教授、教授を経て、1962年に東京大学を定年退職。東京大学文学博士、日本学術院会員。晩年は、明治大学兼任教授、立教大学文学部教授、明治学院大学文学部教授などを務めた。その間、パリ大学附属東洋語学校客員教授も務めている。文字通りフランス文学の大家である。渡辺一夫さんは、ユマニスム(人文主義)を基盤した深い学識と透徹した眼をもち、日本社会のゆがみを批判した。とくに寛容と平和と絶えざる自己認識が必要であることを熱心に説いている。狂乱の時代に節操を堅持した知識人として、各世代に深い感銘を与えた人物である。

・ここで、一旦、話が飛ぶ。なぜ僕がフランス語やフランス文化について興味を持ったのか、語りたい。僕がフランス語に興味を抱いたのは早稲田大学の山内義雄さん(1894年―1973年)に学んでからである。アンドレ・ジッドの『狭き門』、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』などの翻訳で著名な方で、渡辺一夫さんと同じく日本学術院会員だった。早稲田大学第一政治経済学部で第一外国語をフランス語で取った正規の学生は二人だけだった。僕は山内義雄さんの授業を、ぜひ聴講したいと思っていた。高校から第二外国語としてドイツ語を選択していたが、フランス語を学びたいので聴講させて欲しいとお願いした。正規の学生であった長島秀吉君と神本洋治君が後押ししてくれたのも幸いして山内義雄さんからOKの返事が来た。

・もう一人、僕と同じ、正規ではない聴講生がいた。僕らより年齢が13歳も年上の龍野忠久さんだった。龍野さんは勤めていた時事通信社を辞め、山内義雄さんの授業に出席されていた。龍野さんはブッキシュな方で、ご自宅へ伺うと、優に五万冊以上の古書を集めていた。その生涯は河出書房、講談社、新潮社などで校閲の職をされ、僕もいろいろな方と付き合ったが、古書収集のジャンルは実に見事なものだった。龍野さんは、渡辺一夫さんの本も集めていた。その話がとても面白く、僕も負けずに渡辺本コレクターの仲間入りをした。最後に、龍野さんは、僕の持っていなかった珍しい渡辺本を譲ってくれた。本当に嬉しかった。本来なら恩師である山内義雄さんの本のコレクションだけが筋だろうが、われわれは良い本だと認めれば、手当たり次第に買って、読んだものだ。

・話を戻そう。渡辺一夫さんはフランスのルネサンス文化、特にフランソワ・ラブレーの研究で知られている。渡辺一夫さんの業績としては、翻訳不可能と言われたラブレーの『ガルガンチュワとパンダグリュエル物語』(ラブレーの原作は1532―1564年)の日本語訳を完成させたことが最大の業績であろう。その訳業で、1965年に読売文学賞を受賞。1971年に朝日賞を受賞した。

・僕は学生時代から30歳代の半ばまで、渡辺一夫さんの翻訳書をせっせと古書店巡りで集めた。現在、持っている翻訳本を、古い順から言うと、『フランス古譚 ガルガンチュワ大年代記』(筑摩書房刊)、『フランソワ・ラブレー述 パンタグリュエル占筮』(高桐書院刊)、『フランス古譚 パニュルジュ航海記』(要書房刊)、『エラスムス 痴愚神禮讚』(河出書房刊)、それに『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』(全5巻、岩波文庫版、1973年から1975年)の決定版である。もともと『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』は白水社で1941年から1964年にかけ刊行されたが、渡辺一夫さんは改訳を続け、この岩波文庫版が事実上の決定稿になった。龍野忠久さんから頂いた本も含め、僕は翻訳書を引っ越すたびに散失し、今では半分位しか残っていない。だが、ラブレーやエラスムスの筆致を味わい時には、充分過ぎるほどページがあるので、僕は満足している。

・まず渡辺一夫さんの名訳の誉れ高いエラスムスの『痴愚神禮讃』(河出書房刊、1952年)について少し触れておきたい。この本は、聖職者の道徳的堕落について語った風刺文学の傑作である。「ロッテルダムのエラスムス」とも呼ばれるエラスムスは1466年、ネーデルラント出身の人文主義者、カトリック司祭、神学者、哲学者。『痴愚神禮讃』を世に出した時は、1511年。今から約500年前のことだ。エラスムスの思想は宗教改革運動と対抗宗教改革運動の双方に大きな影響を与えた。『ユートピア』を著したトーマス・モアとの親交やマルティン・ルターとの論争でも知られている。

・最初はエラスムスとルターは、好意的関係にあったが、ルターの活発な活動により、険悪なものになっていった。事態は過激化、複雑化して、当時のドイツ情勢とからんで政治問題化していった。エラスムスの想定を超え、徐々にルターとエラスムスの思想の違いが明らかになった。神の恩寵か、人間の自由か――二大思想家が展開した自由意志論争は、ルネサンス最大の精神的な闘いであった。恩寵の絶対性に帰依するルターと理想主義的ヒューマニズムに賭けるエラスムス。教会改革で一致しながら、対立点を強調し、神と人間をめぐることの論争だった。本質的には21世紀の今も解決できていないと思うが、クリスチャンではない僕にとって、ヴォルテールの「神がもし存在しないなら、創り出す必要がある」とする理神論が僕にとって一番好ましい理論だ。

・『痴愚神禮讃』からエラスムスとルターの論争について、派生した疑問で僕の記憶に残っているのが、「よくできた頭」か「よく詰まった頭」かの闘いである。エラスムスの「賢い知性」と、ルターの「詰め込んだ頭脳」との闘いは、また、全身細身のエラスムス、でっぷり太ったルターの闘いでもあった。僕としては、断然、エラスムスの方に軍配を上げたい。


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『痴愚神禮讚』(エラスムス著、渡邊一夫譯、河出書房刊、1952年、原作1511年)。

 

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エラスムスの風貌を見て欲しい。なんと理知的な顔であろうか。

・渡辺一夫さんの翻訳書のうち一番大事なのは、『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』(全5巻、岩波文庫版、1973年―1975年)である。岩波文庫は『第一之書 ガルガンチュワ物語』(570ページ)から『第二之書 パンタグリュエル物語』(444ページ)、『第三之書』(663ページ)、『第四之書』(700ページ)、『第五之書』(588ページ)と刊行された。渡辺一夫さんの解説、訳者略註もたっぷりの総ページ数、実に2965ページである。

ここで大事なのは、本の刊行された順番は、『第二之書 パンタグリュエル物語』(1532年)の方が先で、『第一之書 ガルガンチュワ物語』(1534年)は後だということ。そして、『第五之書 パンタグリュエル物語』は、遺作品だということ。ラブレーは1553年に死んだと思われるが、第五之書は1564年に発表されている。他の四巻は例外なしに、時の思想検察当局パリ・ソルボンヌ大学神学部から、不敬・瀆聖の書即ち危険思想書として告発され、あるいは焚書処分を下されているからだ。

なお、宮下志朗(1947年生まれ、東京大学名誉教授、放送大学教授)さんが最近と言っても2005年から2012年にかけてだが、『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』の新訳版をちくま文庫から出している。新訳は読みやすいが、僕は渡辺一夫さんの訳注が大好きで、文体も古いが僕にはこの方がしっくりくる。引用する際には、渡辺一夫さんの方を使うが予め承知しておいてほしい。


・「大ガルガンチュワの世にも畏怖すべき生涯の物語」と謳ったこの本は、フランソワ・ラブレーの警句が煮詰まった本であることを言いたい。


「汝の欲するところをなせ」、

「食欲は食べていると起こり、乾きは酒を飲んでいると起こる」、

「笑いは人間の特質である」、

「時間は真理の父である」、

「良心を欠いた学問は魂の廃墟以外のなにものでもない」、

「不幸は決してひとつきりではこない」……。

 

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巨大なガルガンチュワ

 

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ガルガンチュワの大食と飲みっぷり

・ラブレーの特色は、文体であり、皮肉の饒舌さであり、徹底的なカリカチュア精神に満ちている。例えば、巨人ガルガンチュワがこの世に誕生する瞬間を紹介しよう。

「子供は、生まれるやいなや、世間なみの赤ん坊のように《おぎぁー、おぎぁー》とは泣かずに、大音声を張りあげて《のみたーい! のみたーい! のみたーい!》と叫び出し、あらゆる人々に一杯飲めと言わんばかりであった」(ガルガンチュワ物語 第一之書 第6章)


・母親ガルガメルと父親グラングゥジエは、嬰児(あかご)の「のみたーい! のみたいー!」と大声でせがんだのをあやすために、ぐびりぐびりと葡萄酒を飲ませ、その後、善きキリスト信者の習慣通りに、洗礼泉で洗礼を受けさせた。ここに、ガルガンチュワという命名された巨人が誕生した。なんともはや面白い文学ではあるまいか! 


・また、「第一之書 第13章」では、ガルガンチュワが尻を拭く妙法を考え出した優れた頭の働きについて述べている。

「僕は長い間の熱心な実験の結果、今までなかったような、最も殿様らしい、最も素敵な、最も具合のよい、お尻の拭き方を発明しましたよ。」

「或る時、腰元の誰かの天鵞絨(びろうど)の小頭布(カシユレ)で拭いてみましたが、なかなかようございましたよ。何しろ、絹の柔らかさで、出口のところが、とてもとてもよい気持ちでした。」

その後、羽根飾りをたんまりつけた小姓の帽子、茴香(ういきょう)や、葡萄のまよなら草や、葡萄の葉や、クッションや、毛氈(もうせん)や、艶ぶきんや、考える限りもろもろの試したが、結論といたしては――、

「産毛(うぶげ)のもやもやした鵞鳥の子にまさる尻拭きはないと判断し且つ主張する者であります。鵞鳥の雛の産毛の柔らかさと言い、そのほどよい加減の暖かさと言い、お尻の穴に、得も言われぬ心地良さをお感じになりましょう」――といった文章が続くのである。


・『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』(全5巻、岩波文庫版)の総2965ページに込められた壮大な物語は、汲めども尽くせずの楽しみを与えてくれる。ここで荻野アンナさんの『ラブレーで元気になる』(みすず書房刊、2005年)を紹介したい。彼女もガルガンチュワがいたく気に入ったようで、よっぱらい、うんこ、あそびの3回に分けて、ラブレーの過激な笑いや発想を漫談調で紹介している。ところで才女・荻野アンナさんは、弊社から『とんとん拍子』(2002年)を刊行している。

・話は変わる。渡辺一夫さんの自著は、翻訳本とは違って独特の雰囲気がある。ユマニストの語り口が強い。渡辺一夫さんは名エッセイストとしても知られ、『随筆うらなり抄――おへその微笑』(光文社刊)は、1955年(昭和30年)のベストセラーとなっているほどだ。

 

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僕が集めた渡辺一夫さんの本で、最も古い『ふらんす文學襍記』(白水社刊、1938年)。ちなみに、「六隅許六装幀表飾晝抄選於……」と自らデザインした刻印が残っている。

・僕と龍野忠久さんが集めて、現在でも残っている渡辺一夫さんの本は、『ふらんす文學襍記』(白水社刊)、『紅毛鴃舌集』(青木書店刊)、『魚の歌』(実業之日本社刊)、『ラブレー覚書 その他』(白水社刊)、『白日夢』(生活社刊)、『ルネサンスの面影』(民友社刊)、『無縁佛』(能學書林刊)、『ぶるいよん』(白日書院刊)、『架空旅行記など』(改造社刊)、『教養についてなど』(白水社刊)、『仙人掌の歌』(中央公論社刊)、『蟻の歌』(創文社刊)、『うらなり抄』(光文社刊)、『ラブレー研究序説』(東京大学出版会刊)、『三つの道』(朝日新聞社刊)、『奇態な木像』(彌生書房刊)、『へそ曲がりフランス文学』(光文社刊)、『寛容について』(筑摩書房刊)などである。本を読みたくなる時、渡辺一夫本を残して良かったとしみじみ思う。

・このユマニストの本を、どれでもよいが、ページを開くたびに漂う雰囲気がたまらない。僕が集めた中、一番古い本『ふらんす文學襍記』(白水社刊、1938年)を見てみよう。68ページに、「モラリスト」と題し、興味ある文章がすぐ目に飛び込んでくる。

「モラリストといふ言葉は極めて便利な曖昧さを有する言葉の一つとして横行し易く、これを我々は各々適当な用途に之を使用することが多いやうである。モンテーニュ、パスカル、ラ・ブリュイエール、ラ・ロシュフゥーコー、ルゥーソー、モンテスキュー、ジゥーベール、ヴォーヴナルグ、スタンダール、サント・ブーヴ、ジィド、ヴァレリー、アラン、モーロワ…に我々は時々モラリストといふ名称を与えることがある。」

この文章に初めて接した時、「よーし僕はこの人たちを残らず勉強してみよう」と思った。そしてモンテーニュ、アランの本は、原文と翻訳書でよく読んだ。残念ながら、「言うは易く行なうは難し」である。言い訳がましいが、俗事であまりにも忙しかった。

・また、同じ本の中に、渡辺一夫さんが「ヴォルテール作、池田薫氏譯『カンディード』を讀む」という小品を『文學界』(1937年5月號)に寄せているのを見て、渡辺さんも僕と同じだと思った。ちょっと長いが、結論の部分を引用してみたい。

「然し難癖をつけた所で何にもならぬ。僕は『カンディード』を耽讀した事實を告白せざるを得ない。そして、ヴォルテールに何も文句をつける筋合のものでないことを感じ、むしろ僕としてはこの痛快な似而非小説を耽讀せしめ之を黙殺する能はざらしめた僕の存在の條件たる時間と空間とに唾を吐きかけたくなるのである。」

「ある古い作品のアクテュアリテはそれをアクテュエルたらしめる時代の責任に帰属するからだ。その上、もし僕が唾を吐きかけたら、『カンディード』にその使命を果しれないのである。故にとに角僕は一刻も早くこんな小説がつまらなくなりたいと思ふし、もつと甘い美しい小説を耽讀して憚らぬ時代に生きたいと思ふのである。」

 僕は、ヴォルテールの『カンディード』が面白くて仕方がない。多分、滞仏40年の椎名其二翁から原文で習ったのが尾を引いて、渡辺一夫さんのように「一刻も早くこんな小説がつまらなくなりたいと思ふ」とは、全然思わない。だが、渡辺さんも本音は違うと思うが……。

・また、渡辺一夫さんは大学教授として、二宮敬、串田孫一、森有正、辻邦生、清岡卓行、清水徹、大江健三郎氏ら数々の文学者を育てた。渡辺さんは常に「弟子」とみなすのを嫌い、教え子を「若い友人」と呼んだという。このような方だったから、ますます人気を集めたのだと思う。

・渡辺一夫さんは、本の装丁家としても有名。六隅許六(むすみ・ころく)というペンネームで、師の辰野隆さんや中野重治さん、福永武彦さんら錚々たる方々の著書を装丁している。六隅許六の意味は、ミクロコスモスのアナグラムから取ったとのことだ。マクロコスモス(宇宙)と対比して、ミクロコスモスは「人間のこと」を指しているのは言うまでもない。

・青春の日、渡辺一夫さんという方を知り、また龍野忠久さんのコレクションと逢い、充実した日々を送れたのは、まったくラッキーとしか言いようがない。残された本と思い出が僕の宝。今も、僕の心の中でしっかりと息づいているのである。


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