加登屋のメモと写真…: 2012年2月アーカイブ
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2012年2月アーカイブ

ピアニストのフジ子・ヘミングがベストセラー!

清流出版 (2012年2月21日 10:07)

 

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弊社で今まで一番売れている本がこれ!

 

・これまで弊社で刊行した単行本はざっと500点。そのうち一番売れて、今でも注文が途絶えることがないのが、人気ピアニストが書いた『フジ子・ヘミングの「魂のことば」』(2002年、定価1260円)である。今まで32刷を重ねてきた。僕はフジ子・ヘミングのコンサートを仕事がらみ、あるいは個人的にと、何回か聴きに行ったことがある。招待されていったあるホテルでのパーティでのこと、ゲストで彼女が登場した。「ラ・カンパネラ」を含む三曲を演奏して、大きな拍手を受けたのち、彼女が舞台袖の階段を降りてきた。驚いたことには彼女がまっすぐに僕のもとに歩いてきて、分厚く柔らかい手で握手してくれた。まあ偶然、大勢の観客の中から車椅子に乗っている身障者の僕に目を付けて足を運んでくれたのが真相だろうが、今をときめくピアニストだっただけに大いに感激したものだ。

 

・華道家の假屋崎省吾さんは、クラシック音楽をバックに流しながら花を活けるというクラシック好き。フジ子・ヘミングのファンでもある。その假屋崎さんには月刊『清流』に「暮らしに根ざした生け花」を連載、それをまとめて『假屋崎省吾の暮らしの花空間』と題する本を弊社から出させていただいた。それをきっかけに、毎年、目黒雅叙園で行われる「假屋崎省吾のブライダル・ファッションショー」にご招待をいただき、楽しみに出席してきた。ある年、假屋崎さんはこのファッションショーのゲストにフジ子・ヘミングを呼んだことがあった。ピアノ曲を数曲演奏したが、弊社の編集担当だった秋篠貴子、出版部長の臼井君と僕はこの演奏を大いに楽しんだ。そういうわけで、フジ子・ヘミングには格別の親近感をもっている。

 

・この本は、フジ子・ヘミングをよく知る外部スタッフの宣田陽一郎さんを仲介者として、編集協力の水野恵美子さん、出版部長の臼井君らが担当となって取り組んだ本であった。そもそも宣田さんは『猫びより』という愛猫家向けの雑誌の編集長をしていたとき、猫好きのフジ子・ヘミングを取材し、心が通じ合ったのである。幸いなことに臼井君も大の猫好きとあってスムーズに編集作業は進んだ。カバー装画も、文中の猫のイラストもフジ子・ヘミングが描いたもの。絵も各地のデパートで個展を開くほどの腕前である。新書判上製なので小さ目でもちやすく、お洒落な本に仕上がった。その後も僕は何回かフジ子・ヘミングのコンサートに出かけ、たまたま会場にいた実弟の大月ウルフさんに名刺を渡し、わが社の本の販促をお願いしたこともある。父君がスウェーデン人のフジ子・ヘミング姉弟。バイキングの末裔を自称するウルフさん。彼のドラ声で、清流出版の社名が津々浦々まで伝わっていくことを祈ったものである。

 

・今、改めて弊社刊行の本をジャンル毎に分析すると、音楽、映画、絵画、文芸エッセイなどが上位に並ぶ。このような結果が出ることに、僕は予想通りと安心すると同時に、いささか心配もしている。弊社の音楽、映画、絵画……等の芸術領域のジャンルは、正直言って売れても弊社の主流路線とはなりえず、編集者と僕の趣味の範疇と思って刊行してきたきらいがある。今後は、趣味的なジャンルではなく、稼ぎ手のジャンルとするために真剣に企画を練った方がよいだろう。

 

・この機会に音楽ジャンルの話を少ししておきたい。音楽と言ってもクラシック、ジャズを始め、フォーク、ゴスペル、ラテン、ニューエイジ、ワールド、カントリー、ポップ、ブルース、ロック、リズム&ブルース……等、ジャンルは幅広く、またクラシックに限っても、オペラ、歌曲、ミサ、カンタータ、交響曲、協奏曲、室内楽、ピアノ曲……と様々で裾野はとてつもなく広い。気に入ったジャンルについて今後はこのプログで随時触れていきたい。

 

・僕は右半身が不自由なためコンサートへは滅多に行けない分、アイポッドを使って、毎日4時間以上、音楽を聴いている。趣味に関しては音楽に割く時間が一番多い。二つのアイポッドに収録されている音楽は、優に3万曲を超えている。毎日寝ないで40曲ずつ聴いたとしても、計算上きちんと聴くには、優に2年以上はかかる。就寝時は、何の曲を聴きながら寝ようかと嬉しい悩みである。小さな音もクリアな音で聴けるボーズ(BOSE)スピーカーやシュアー(SHUREのイアーフォンを愛好して、すっかりステレオ装置を使わなくなった。かつて楽しんだタンノイ、マッキントッシュなどのステレオ装置は存在すら忘れている。

 

・クラシックの専門家でない僕は、一ファンの備忘録として書いておこうと思う。ウィキペディアや音楽の資料本を使い必要な情報を集めたい。これまでレコード、レーザーディスクMD、CD、パソコン、アイポッドなどによって音楽を楽しんできた。クラシックは中学生の頃から好きだった。やがて高校生になって、池袋東口にあった音楽喫茶「白鳥」へ親友の長島秀吉君と日参するようになる。「白鳥」に学校から直行し、毎日夜9時くらいまで教科書を忘れて、各種の芸術?本と英独仏の辞書持参で、クラシックを聴きながら青春の時を過ごした。語学に興味をもったのには理由がある。高校の先輩、西江雅之さんの存在である。当時、伝説になっていた語学の天才、ポリグロットぶりの西江雅之さんに、少しでも近づきたい気持ちがあったからだ。西江さんと僕は同じ町内、家もわずか100メートルくらいしか離れていなかった。「西江伝説」はご近所の噂話として聞こえてきていた。それにしても、われわれ付属校生は大半がエスカレーター式に志望学部に進める特権があった。受験勉強をする必要はなく、高校の3年間はいわば至福の時期であった。

 

・さて、このブログはまず手始めに19世紀生れの天才、ラフマニノフを取り上げてみたい。セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ、1873年生まれ、1943年没のロシア人のピアニストである。身長が2メートルに達する巨漢であり、必然的に巨大な手の持ち主だった。12度の音程を左手で押さえることができたと言われている。 

 

・セルゲイ・ラフマニノフは10歳くらいの頃、両親が離婚、ロシアピアニストで音楽教師であったズヴェーレフに引き取られる。名伯楽として名高く厳格な名教授ズヴェーレフ師は、ラフマニノフの才能をひと目で見抜いた。毎日のように精魂込めて彼を指導した。ピアノ演奏の基礎を叩き込んだ厳格な師は、弟子たちにピアノ演奏以外のことに興味をもつことを禁じた。しかし数年後、ピアニストとしての精進を求めるズヴェーレフ師と、作曲の喜びに目覚めたラフマニノフは決裂してしまう(師が同性愛者だったことに抵抗してという説もある)

 

・ラフマニノフ以前、60年前、同じピアニストの天才、ハンガリー生れのフランツ・リスト(1811年-1886年)にもちょっと触れておきたい。彼は超絶的な技巧をもつ最高のピアニストで「ピアノの魔術師」と呼ばれた。あのズヴェーレフもリストを優れたピアニストだと認めていた。だが、リストの「作曲」については、師は一言でことごとく「凡庸だ!」という評価をくだした。現代ではだれが何と言おうと、リストは偉大な作曲家という評価が定着している。作曲への衝動を抑えきれなかったラフマニノフは、やがてズヴェーレフ師と対立し、邸を出ることになる。

 

1891年に18歳でモスクワ音楽院ピアノ科を金メダルの賞を得て卒業した。金メダルは通例、首席卒業生に与えられたが、当時双璧をなしていたラフマニノフとスクリャービンは、どちらも飛びぬけて優秀であったことから、金メダルをそれぞれ首席(大金=ラフマニノフ)、次席(小金=スクリャービン)として分け合った。

 

・だが、ラフマニノフは鬱傾向と自信喪失に陥り、創作不能の状態となる。1899年にロンドン・フィルハーモニック協会の招きでイギリスに渡ったラフマニノフは、ここでピアノ協奏曲の作曲依頼を受け創作を開始するが、再び強度の精神衰弱におそわれる。1900年に友人のすすめでニコライ・ダーリ博士の催眠療法を受け始めると快方に向かい、同年夏には第2、第3楽章をほぼ完成させた。最大の難関だった第1楽章も同年12月頃に書き始め、1901年春には全曲を完成させた。初演は大成功に終わり、その後も広く演奏されて圧倒的な人気を博した。本作品の成功は、ラフマニノフがそれまでの数年間にわたるうつ病とスランプを抜け出す糸口となった。作品は、ラフマニノフの自信回復のためにあらゆる手を尽くしたニコライ・ダーリ博士に献呈された

 

ラフマニノフはその頃、アンナという年上の女性に恋していた。溢れる思いは壮麗な旋律となり、やがて初めての交響曲が生まれる。だが、「交響曲第1番」の初演は失敗に終わり、ラフマニノフは恋と名声を一夜で失う。アンナに捧げ尽くした傷心のラフマニノフに、救いの手を差しのべたのは従妹のナターリヤ・サーチナであった。その前にも、彼がピアノ教師を務める高校の生徒、マリアンナと恋に落ちている。彼女の魂と肉体の輝きは、ラフマニノフに旋律を生み出す力を与えた。「ピアノ協奏曲第2番」を書き上げたラフマニノフは、苦しい時に見守ってくれたナターリヤ・サーチナの愛に気付いてプロポーズする。数年後、ロシア革命から逃れようとした時、皮肉にもロシア革命の闘士となったマリアンナの出国証明を受け、脱出に成功する。1902年には従妹のナターリヤ・サーチナと結婚。彼女は生涯の妻として存在する。191712月、ラフマニノフは十月革命が成就しボリシュヴィキが政権を掌握したロシアを家族とともに後にし、スカンディナヴィア諸国への演奏旅行に出かけた。そのまま二度とロシアの地を踏むことはなかった。

 

・ロシア革命の難を逃れてアメリカへ亡命した結果、ラフマニノフに幸運の女神がほほ笑むことになる。コンサート主催者のピアノを宣伝するためピアノ製作者スタインウェイの後押しでアメリカ全土を公演して回り、成功裡に公演旅行を終える。今でこそ押しも押されもせぬスタインウェイ&サンズも、当初は知名度も低く、大変な営業努力を要したようだ。最初の演奏会は、ニューヨークのカーネギー・ホールだった。その時、観客席にソ連大使一行がいるのを見つけたラフマニノフは、彼らのためには断固として演奏しないと宣言し、演奏を拒否する。その硬骨漢ぶりに、ホールの聴衆はやんやの喝采を送った。ほうほうの体でソ連大使一行が退出するのを見届け、やっと演奏を開始したという。

 

・ラフマニノフの生涯は、輝かしいものだった。数々の女性にもて(失恋もある)、財産もできた。念願の作曲も支持されたのだから。いずれにせよ、ラフマニノフはチャイコフスキーの薫陶を受け、モスクワ楽派(音楽院派、西欧楽派などとも呼ばれる)の流れを汲むと言われた。そして、リムスキー=コルサコフの影響や民族音楽の語法をも採り入れて、独自の作風を築いた。今日、ラフマニノフはロシアのロマン派音楽を代表する作曲家の一人に数えられる。やはり米欧でピアノ・ヴィルトゥオーソとして定着している。作曲は、わけてもピアノ曲を中心とした様々な分野の作品を残している。

 

・時代が移り、ナチス・ドイツが台頭してくると、当時、別荘を建て、ヨーロッパ生活の拠点としていたスイスに滞在することもできなくなった。最後の作品となる交響的舞曲を作曲したのは、アメリカのロングアイランドでのことだった。1942年には、家族とともにカリフォルニア州のビバリーヒルズに移り住むことになる。

 

・ここでラフマニノフの生涯と、その人生を変えた3人の女性を描いた映画をご紹介しよう。ロシアの「ラフマニノフ ある愛の調べ」(2007年製作)がそれだ。監督は「タクシー・ブルース」のパーヴェル・ルンギン。出演者はエフゲニー・ツィガノフ(ラフマニノフ)、ヴィクトリア・トルストガノヴァ(ナターリヤ・サーチナ)、アレクセイ・ペトレンコ(スタインウェイ)など。ロシアの映画をあなどるなかれ、これがなかなかにいい。この映画の最後では、ラフマニノフが、新曲が生まれない苦しみから、日に日に憔悴していく姿が描かれている。それでも演奏旅行は続けなければいけない。そんなある日、ライラックの花束が届く。その甘い香りはラフマニノフに切ない記憶を甦らせた……。生涯を変えた3人の女性の思い出がちらちらと観ている僕に訴えてくる。巧みな手法である。実際は、演奏の旅を続けるラフマニノフの帰りを待っている妻ナターリヤ・サーチナが、オランダから取り寄せた黄色いライラックだった。雨が降ってきた庭にライラックを植えて、旅から帰ったラフマニノフと妻、そして愛娘が抱き合う。かつてピアノ独奏曲にも編曲した歌曲「ライラック」作品21-51941年)が決定的な場面で使われる。

 

・現実のラフマニノフは左手小指の関節痛に悩まされながらも、演奏活動を亡くなる直前まで続けた。だが、1943年、70歳の誕生日を目前にして癌のためビバリーヒルズの自宅で死去した。ラフマニノフ自身はモスクワのノヴォデヴィチ墓地に埋葬されることを望んでいたが、戦争中のことでもあり実現できず、ニューヨーク州ヴァルハラのケンシコ墓地に埋葬された。

 

・駆け足でラフマニノフの生涯を見てきたが、ラフマニノフはピアノ演奏史上有数のヴィルトゥオーソであり、作曲とピアノ演奏の両面で大きな成功を収めた音楽家としてフランツ・リストと並び称される存在である。あの「のだめカンタービレ」でもラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調、作品18、第1楽章が、千秋真一(玉木宏)がピアノ奏者としてシュトレーゼマン(竹中直人)と共演した曲として登場する。いろいろの場面で、今後ますますラフマニノフファンが増えることを期待する。

 

・僕はピアノ演奏ができないのだが、昨年12月某日、母の95歳の誕生を祝って、入居している老人ホームに出かけた折、僕の弟と甥が交互にピアノ演奏で母を励ましてくれた。二人とも公務員で、時間的に余裕があり、うらやましい境遇にある。そのピアノ演奏が約1時間30分続いた。ハイライトは難曲と言われるラフマニノフの『ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調』を甥が暗譜で弾いた。

 

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ロシアのピアニスト兼作曲家兼指揮者、ラフマニノフ。「ピアノの魔術師」リストの再来といわれた。

 

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