2012.01.19「メディア王とマスコミ王」を企画し、出版した話

 

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二人のメディア王が、時代を動かした……

 

 

・今から約半世紀前になろうか、1冊の本を読んで驚いた記憶がある。ダニエル・J・ブーアスティン著『幻影の時代』(後藤和彦・星野郁美訳、東京創元社刊、1964年)が、その本だ。英文の原題は『The Image』(『ジ・イメージ』)。それが邦題では『幻影の時代』となったのが僕にとっては新鮮な驚きだった。「ジ・イメージ」では写真やデザインのジャンルの本のように思えるが、「幻影の時代」という邦題は的を射た書名だ。サブタイトルも、原題は「orWhat Happened to the American Dream」で、直訳すれば「または、アメリカン・ドリームに何が起こったのか」だが、邦題は「マスコミが製造する事実」であった。この邦題を見ればマスコミ界の欺瞞を鋭く指摘した社会思想の本ではないかとすぐ分かる。

 

・ブーアスティン曰く、「われわれは、幻影にあまりに慣れきってしまったので、それを現実だと思い込んでいる」、「われわれは、現実ではなく、現実の代わりに置き替えたイメージに取りつかれている」など刺激的なフレーズが並ぶ。それにしても、半世紀も前に現在の状況を見事に見抜いた慧眼ぶりには驚くしかない。ブーアスティンが「成功した政治家とは、疑似イベントを作り出す新聞やその他の手段を巧みに利用する人を意味する」、「現代のニュースがそこかしこで起きた事実を報道するのではなく、人々の興味に添った形で製造されている」と喝破していた。半世紀前も、世は三権分立ではなく、四権分立といわれる頂点に報道(マスコミ)がデンと鎮座ましまして、その「報道」を征する者、「メディア」の覇権をとった者が世を動かすことを追究していた。

・ダニエル・J・ブーアスティンが説いている社会思想のジャンルではないが、僕は24年後、類似のテーマで文字通り体現した男が2名いて、それぞれの半生記を編集している。清流出版の前の出版社の時、英国のメディア王、マスコミ王について、僕は2冊の翻訳企画を刊行した。1冊は『マックスウェル――情報覇権に賭ける奇蹟の人生』(ジョー・ヘインズ著、田中至訳、ダイヤモンド社刊、1988年)。もう1冊は『マードック――世界制覇をめざすマスコミ王』(ジェローム・トッチリー著、仙名紀訳、ダイヤモンド社、1990年)である。ビッグ・スケールの実業物語がものを言って、2冊とも期待以上に売れた。

・いま世界的に政治とマスコミの絡みがしばしば話題となっている。そして、今日、再び世がこうしたメディア王、マスコミ王に注目しつつあるので、翻訳テーマである主に英国やアメリカの情報覇権について触れておきたい。今回の話題の主は、オーストラリアはメルボルン出身のメディア王マードックである。僕が翻訳出版した頃、ルパート・マードック(当時は59歳だったが、現在81歳)は、マスコミ界の帝王として、新聞、雑誌、書籍、放送、通信衛星によるCATV、さらに航空会社、映画会社、ホテル、農場まで幅広く手を広げていた。支配地域もオーストラリアから、アメリカ、英国、ヨーロッパ大陸に及び、アジアもターゲットになりつつある段階だった。マードック帝国の資産は、当時すでに二兆円と言われていた。日本のメディア総体の年間売上高が約二兆円と言われた時代にである。

・翻訳刊行後もマードック帝国は買収による拡大が続いた。固有名詞を出せば、みなさんもよくご存じの英国の名門紙タイムズやアメリカの映画会社20世紀フォックスの買収から、アメリカでのテレビ・ネットワークFOXやニューズ・コーポレーションを設立、2005年には当時世界最大のSNS/MySpaceを買収、その影響力をネット世界にまで拡大させている。そして、メディア王マードックの強引な手法がしばしば報道され、問題視されることになった。

英国のメディア産業も支配してきたマードックだが、歴代の英国首相も彼を恐れるあまり、気を遣い盛大にもてなしてきた。マードック・ウォッチャーの僕にとって、2011年はマードック関連のニュースが盛り沢山だった。それもマードック帝国にとって芳しくない出来事が続いてである。その最たるものが、傘下にあった英国タブロイド紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」の盗聴事件だった。2002年、英国で行方不明になった少女(13歳のミリー・ダウラーさん)の携帯電話の伝言を消し、家族に生存の希望を抱かせていた事実が発覚した。結局、少女は後に遺体で発見されたが、マードック率いる米「ニューズ・コーポレーション社」の株価は暴落。ロンドン警視庁や政界との癒着も浮き彫りになった。盗聴は、ウィリアム王子から一般市民にまで及んでいたそうだ。マードックは、ロンドンでダウラーさんの両親らに謝罪し、英各紙に「遺憾」で「許されない」との謝罪広告を掲載したが、遅きに失した。ついに2011710日発行を最後に168年間続いた日曜版大衆紙「ニュース・オブ・ザ・ワールド」(週376万部)が廃刊の憂き目をみることになった。

・そして今、オーストラリア、英国、アメリカのメディアを支配してきたマードックの情報帝国が音を立てて崩壊しつつあるとの報道が次々出てきた。81歳になるマードックは、過去、結婚を3度している。70歳の時、当時30歳だった徐州生まれのウェンディ・デンと3度目の結婚、2女を儲けている。それ以前、離婚した2人の妻との間に男子3名がいる。この3名が後継の座を争い、次男のジェームズ・マードックが一応勝利した。彼は米ニューズ・コーポレーションで副最高執行責任者(COO)を務め、英紙「サン」「タイムズ」、それに「サンデー・タイムズ」を発行している英新聞発行事業会社の取締役を務めていた。だがなんと驚くべきことに、20119月、そのジェームズ・マードックがこれらの役職を辞任していたことが規制当局への報告書でわかった。このまま2代目のジェームズ・マードックが消えるとなると、マードック帝国は今後どうなっていくのか? メディア周辺の動きは現在も流動的で、ウォッチャーとして僕は興味津々で、その動向を見守っている。

・メディア王のもう一つの企画の話に移る。マードックの本を翻訳する前に、僕はイアン・ロバート・マックスウェルという人の翻訳書に携わった。今からザっと24年前、1988年まで遡る。当時、英国ではマックスウェルが情報化社会の覇権をめぐって大活躍していた。情報産業を主力に新聞、放送、雑誌・書籍、印刷からヘリコプター会社、語学教育、科学出版まで、世界各地に幅広く展開、急成長を遂げていた。マックスウェルは政治家でもあり、サッカー・チームのオーナーでもあった。

 

・その企画の話が出る約10年前、知り合いだったジャーナリストの田中至さんは、当時、マックスウェルの率いる「ミラー・グループ新聞社」東京特派員をしていた。その田中さんから、ジョセフ・トーマス・ヘインズという人が『マックスウェル』(マクドナルド社刊)という単行本を出した話を聞いた。早速、僕は版権交渉に入った。その時点で、英国出版界でもマックスウェルが売れ線だとにらんだのだろう、アラウム社とバンタム社で同じく『マックスウェル』を題材に緊急刊行が決まっていた。いち早く翻訳出版しようとした僕の動きは、出版界(日本のみならず英国)でもびっくりするほどのスピードだったようだ。

 

・コロンビア大学大学院新聞学科卒で、英語が得意の田中至さんに翻訳を依頼したが、スピードアップを図るため翻訳家の吉田利子さんにもお手伝いをお願いした。田中さんの話だとヘインズは6ヵ月で本書を書き上げたとのこと。だったら翻訳を半分の3ヵ月でやろうと決意した。田中至さん、吉田利子さんを叱咤激励しながら、原書525ページのところを一部割愛し(それでも翻訳書に512ページを要した)、同じ年の9月に上梓することができた。お蔭で発売と同時に売れに売れ、1か月後には増刷となった。

 

・マックスウェルの生い立ちはドラマチックだった。ジェフリー・アーチャーの『ケインとアベル』の主人公さながらに、刻苦勉励と激動のビジネス人生を歩んで、一代で英国にマスコミ王国を築いていった。マックスウェルという男の魅力はいろいろある。英語、ドイツ語、チェコ語、ハンガリー語、フランス語、ロシア語、ポルトガル語、ブルガリア語、ルーマニア語、セルビア・クロアチア語等をマスターしている語学の天才という側面もその一つ。後に(1988年)、マックスウェル・コミュニケーションズが語学で有名なベルリッツを買収(経営権取得)したが、マックスウェルの語学に対する情熱を見ると頷ける。またマックスウェルは、見るからに巨漢である。声も大きい。その外見が相手を圧倒する。まさに「ブロック・バスター」であり、実に魅力ある人物だった。

 

・マックスウェルは1923年、現在ソ連領になっている中部ヨーロッパ屈指の寒村ルテニア地方で生まれた。両親ともにユダヤ人。9人兄弟の第3子だった。ここから9歳の時、チェコスロバキアのブラチスラバにあったユダヤ教の神学校に送られた。16歳の時、神学校を抜け出し、チェコの抵抗運動に加わる。その後、ユーゴスラビア、ブルガリア、ギリシア、トルコ、シリアを経由し、レバノンのベイルートに出て、フランス外人部隊指揮下のチェコ部隊に入る。この後、マルセイユ、ジブラルタル海峡を通って英国に渡る。敵を恐れぬ猛烈果敢な行動で、英国軍最高の栄誉とされる「戦功章」を授与された。

 

・話は紆余曲折するが、現在メディア王と言えば、オーストラリア出身のルパート・マードックであるが、1970から90年まで20年以上に渡り、世界のメディア王と言えばマックスウェルであった。僕が刊行した翻訳書には書かれていないが、なんと最終的にマックスウェルは1991年に「怪死」している。そのニュースを聞いて、僕は茫然自失した。

 

・マックスウェルは、新聞『デイリー・ミラー』の経営から、ヨーロッパのどの地域でもどの言語でも読める雑誌『ザ・ヨーロピアン』の発行、世界最大の翻訳出版社「シュプリンガー・フェアラーク社」の経営まで、文字通りメディア王として世界に君臨した。そしてヨーロッパの統一、EUをメディア面で先取りしていた。そのメディア王マックスウェルの死には、不可解な部分が多々あった。自分のクルーザーから「転落して溺死」したことになっていたが、クルーザーの手すりを越えて「滑って海中に転落する」というのは、通常あり得ないと英国の新聞なども報道した。

・マックスウェルは、自身、活躍した英国よりイスラエルで国葬された。イスラエル国家のために「大きく貢献した」という理由だった。ルーマニア出身のマックスウェルは、かつて共産主義思想を信奉していたフシがあり、共産主義ルーマニア国家の大統領チャウシェスク、ソ連のフルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフと言った歴代首脳とも親交があった。マクスウェルの死後、彼のビジネス上の問題の多いやり方や活動などが暴露されるところとなった。彼は何億ポンドもの自社の年金基金を、グループ内の借入金返済や狂ったような企業買収、自らの豪華な生活のために使っていた。こうした行為のためグループの従業員らは年金をほぼ失っている……全部、派手な生活を送った彼の死後、明らかになったことである。大金持ちと言われたが、その実、破綻状態に陥っていたことが分かった。

 ・だがマックスウェルは、ジェフリー・アーチャーの『ケインとアベル』の主人公のように、劇的な人生を送った男である。僕はマックスウェルとマードックを絡め二人のメディア覇権、マスコミ王争奪戦をわが手で単行本にしたいと真剣に思った。作者はもちろんジェフリー・アーチャーに頼みたいと思った。だが、ジェフリー・アーチャーの作品は、『百万ドルをとり返せ!』(1977年)の処女作以来、ことごとく永井淳訳で新潮文庫刊だった。僕は1990年にこの企画を思いついたが、永井淳さんは角川書店編集者を経て、超売れっ子の翻訳家となっていた。アーサー・ヘイリー、スティーヴン・キング、ジェフリー・アーチャーなどのビッグ・タイトルを独占的に抱えてもいた。永井さんに何回も接触を図ったが断られた。そのうち僕が会社を辞めることになり(1991年)、最終的に清流出版という出版社を立ち上げたのでその野望に終止符を打った。

・そしてなんと、ジェフリー・アーチャーが『メディア買収の野望』という題名で、僕の狙い通りのストーリーを発表した。僕が企画を立てた1990年から、6年が経っていた。すぐ永井淳訳の新潮文庫を買って読んだ。僕はすべてを納得し、自分が創刊したばかりの女性誌の製作に邁進した。月刊『清流』創刊2年目のことである。