2011.12.09福田恆存生誕百年記念公演を観る

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演出家・福田逸(はやる)さん(右)と車椅子に乗った僕。福田逸さんは、福田恆存氏の次男で演出家・翻訳家、明治大学商学部教授、財団法人「現代演劇協会」理事長でもある。勝呂伸子さん(福田恆存氏の実妹)からのご案内で、一夜、僕は福田恆存のお芝居を観て大いに楽しんだ。


・今年9月の本欄に昨年お亡くなりになった勝呂忠さん(画家にして、舞台美術家、装幀家、大学教授)のことを書いた。勝呂さんの奥様の伸子さんが、僕が把握していなかった「福田恆存生誕百年記念公演」の開催日時を知らせてくださった。かつて日本の有名なイデオローグであり、評論家、翻訳家、劇作家として活躍した福田恆存氏の芝居を観る絶好のチャンスである。弊社の藤木健太郎君と臼井雅観君を誘って出かけた。 

・東京都豊島区南池袋にあるシアターグリーンでの「福田恆存生誕百年記念公演」は、『一族再會』と『堅壘奪取』の二本立て。マチネーとソワレーの2部構成だったが、われわれ3人のスケジュールからしてソワレーしか観られない。そんなわけで、金曜日の午後7時からの、『堅壘奪取』(初演は昭和25年 文学座アトリエ)を観た。演出は福田逸さんである。父君の作品を演出したのは初めてだという。勝呂伸子さんとの関係は、叔母と甥の関係になる。

・ここで簡単に、福田逸さんの略歴を紹介しておきたい。1948年、神奈川県生まれ。1973年、上智大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了。父君・福田恆存の演劇活動を受け継いで、シェイクスピア劇を中心とした演出家となる。ウィキペディアに拠れば、福田恆存氏等が結成した「劇団雲」を経て、その流れを汲む「劇団昴」で『ジュリアス・シーザー』、『マクベス』、『リチャード三世』、『ハムレット』などシェイクスピア作品、その他に、『ウィンズロー・ボーイ』、『谷間の歌』、『マレーネ』などの演出を手掛け、さらに、『西郷隆盛』、『武田信玄』、『お国と五平』、『道元の月』など新作歌舞伎も手掛けるという異才ぶり。

・『堅壘奪取』(けんるいだっしゅ)という劇の登場人物は三名。高名な宗教家であり、社会評論家であり、第一線のジャーナリストでもある主人(金子由之)の自宅に、ある日、一人の青年(奥田隆仁)が訪ねてくる。気が触れているのか、はたまたどこまでが正気なのか、とにかくその青年は風呂敷包みに千枚にもなんなんとする自作の原稿を前に、奇怪な持論・珍論をまくしたてる。主人の困惑をよそに、一向に帰る気配を見せない。困り切った主人は、なんとか帰ってもらいたいと負けず劣らず迷論を開陳。ついには、我を忘れて青年との意味不明の激論に没入していく。「音と光のエネルギーの決着をつけろ」という迷台詞も飛び出す有様。茶を入れ替えるため応接に入ってきた奥さん(茂在眞由美)は、意味不明の掛け合いに戸惑いを隠せない……というストーリーである。
    
・初演後61年経った戯曲だが、古さをまったく感じない。驚くべきことだが、現代の世相と相通じる芝居である。福田恆存氏は1980年10月、劇団昴公演パンフレットで自作『堅壘奪取』について「あなたはだまされていませんか……自分に?」という人間観が主題の一つであると解説された。演劇活動だけでなく、政治、社会、教育問題、全てについて人間の生き方、人生論に於いても通じる、大袈裟に言うと、ソクラテスの「汝自身を知れ」ということになるとも述べておられる。

・福田逸さんは父君・福田恆存の本質をきちんととらえている。よく福田作品で言われるような「自己欺瞞」ではなく、単に人は時として馬鹿をやってしまう、そんなおかしさを演劇エンターメントとして演出しようとしている。笑わせてなんぼ、楽しませてなんぼの世界を十分に味わわせてくれる。このお芝居を観て、パンフレットの「特集INTERVIEW」にある「僕にあるのは冗談が好きな、ひょうきんな父親像。そんな父が自分の実体験を茶化した作品だから、とにかく面白く、おかしい舞台にしたい」との演出意図は達成されていたように思う。

・この「福田恆存生誕百年記念公演」パンフレットに、評論家・エッセイストの坪内祐三さんが寄稿されている。「三百人劇場の稽古場で私が見たもの」と題して、福田恆存氏とのお付き合いの経緯が書かれていた。そういえば坪内祐三さんは早稲田大学文学部を卒業されたが、卒業論文は「福田恆存論」だったそうだ。坪内さんは福田恆存氏に1979(昭和54)年、個人的な面識を得たとのこと。その後、お付き合いを経て卒論を書き始める。ちなみに坪内祐三さんの父親は、僕がかつて勤めていたダイヤモンド社の元社長、会長の坪内嘉雄さんだ。坪内祐三さんの卒論の指導教授は松原正教授である。当時、松原先生は、福田恆存氏の一番弟子を自負されておられた。そして、僕は松原先生の単行本を前の出版社で一冊出させてもらった。書名は『道義不在の時代』(昭和56年 ダイヤモンド社刊)である。

・松原正先生はその「あとがき」に――「敬愛する京都大學教授勝田吉太郎氏の好意、及びダイヤモンド社の加登屋陽一氏の盡力無しに本書の上梓はありえなかつた。兩氏に深く御禮を申し述べる。本書が歴史的假名づかひのまま世に出る事を私は大層喜んでゐるが、それは加登屋氏の識見に負ふところ大なのである。また、私は龍野忠久氏の校正の見事に感服した。加登屋、龍野兩氏の助力が報いられるやう、すなはち本書の出版によつてダイヤモンド社が大損せぬやう、私は祈らずにゐられない。」――と、書いてくれた。
僕はすっかり忘れていたが、坪内祐三さん(常盤新平さんによると天才・坪内祐三氏)のお陰で、松原先生の「あとがき」で、龍野忠久さんに歴史的假名づかひの校正をしてもらったことを思い出した。かつてその龍野さんから紹介されて勝呂忠さんの知遇を得た。その奥様・伸子さんが甥っ子の福田逸さんを紹介してくれた。その前に、龍野忠久さん夫妻を仲人として結婚した僕の親友・長島秀吉君が存在する。長島君亡き後、奥さんの長島玲子さんが勝呂伸子さんと僕とのパイプ役を務めてくれた。こうして人と人は知り合い、輪は広がってゆく。僕にとってこうした人間関係の連環は、なんとも不可思議で面白いものだと感じ入っている。