清川妙先生と会食 - 加登屋のメモと写真…
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清川妙先生と会食

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清川妙先生と会食、歓談

 

・作家・エッセイストの清川妙(きよかわ・たえ)先生(右から二人目)と久しぶりに会食しながら歓談することができた。お会いしたのは、先生が万葉集や枕草子などの講座でよく使われるという御茶ノ水・山の上ホテル別館。同席者は松原淑子(右)と秋篠貴子(左)の両名。先生は、月刊『清流』創刊以来、「古典鑑賞」、「映画評論」、「手紙は愉し」、「季節のことのは」……等々、いろいろのテーマで誌面を飾っていただいた。現在、90歳になられる

 逆算してみると、先生が72歳の時、僕は初めてお会いして、月刊『清流』のレギュラー執筆者になっていただいたことになる。先生のお嬢様の佐竹茉莉子さんも、月刊誌、単行本のライター・著者としてフル回転していただいている。お二人のご協力がなければ、清流出版の今日はなかった! と言っても過言ではない。

 

・清流出版の先生の担当編集者は、ことごとく先生に接することによって鍛えられ、編集者として一人前になった経緯がある。一番古いお付き合いになるのが松原淑子(『清流』編集長)。もう一人の秋篠貴子は、近年、月刊誌のみならず、先生の単行本(『今日から自分磨き――楽しみながら、すこしずつ』)の編集担当を経験している。両名とも、先生の「ていねいな仕事」ぶりを学んだ結果、出版業界でも有能な編集者に育ってくれたと思っている。

 

・清川先生からいただいた初期の玉稿(月刊『清流』19948月号)が、特別、僕の印象に残っている。忘れもしない17年前、『伊勢物語の世界 第23段』をお書きになっている。その文章の中に、「くらべこし振り分け髪も肩すぎぬ 君ならずしてたれかあぐべき」の言葉があった。返句で女返しの言葉だ。当然、その前の句は「つつゐつのいづつにかけしまろがたけ すぎにけらしな妹(いも)みざるまに」である。

 能『井筒』の一節にある「筒井筒、井筒にかけし……」が僕にはすぐ思い浮かんだ。ゲラを読みながら、下手な謡曲を思わず唸ってしまったことを覚えている。当時、われわれ早稲田大学下掛宝生流のOBたちは、清流出版の入っていたビルの、道路を挟んだ向かい側にあった日本債券信用銀行(当時)の和室を借り、毎週火曜日に人間国宝の寳生閑先生に謡を習っていた。

 

・その後、『伊勢物語の世界 第23段』の解説で、清川先生は「化粧」(假粧=けさう)のことをお書きになっている。「さりけれど このもとの女 悪しと思へるけしきもなくて 出しやりければ をとこ こと心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて 前栽の中にかくれいて 河内へいぬる顔にてみれば この女 いとよう假粧じて うちながめて……」。いつも女性は化粧をしているほうがよい、と僕は伊勢物語、いな先生から学んだものである。

 

・この『伊勢物語』の名解説のほか、以後は一作品につき3号分で、古典の解説を清川先生に依頼した。『大和物語』、『枕草子』、『更科日記』、『蜻蛉日記』、『古事記』、『落窪物語』……。いずれも多くの読者から好評を得たが、先生には、古典以外のテーマにも挑戦していただくことになった。まず、「言葉の贈り物」として『手紙は愉し』を連載していただいた。

 素晴らしい文章、切り口で、清川ファンが増えることイコール月刊『清流』の購読者増に直結したと思う。この日は、談たまたま、お互いに好きな映画の話になった。先生は『八月の鯨』(1987年)について、リリアン・ギッシュとベティ・デイヴィース姉妹が、実際は妹役の方が年上で、撮影当時、リリアン・ギッシュは93歳、ベティ・デイヴィースは79歳だったという話をされたが、今も変わらぬ映画への思い、薀蓄に感心させられた。

 

・この日、僕は「パソコンに載った清川妙先生の著作集」のホームページ・プリントを持って行った。これをご覧になって先生は、「パソコンは私の知らない世界です。でも、このホームページを書いている方はよく知っております。私が初めて教職に就いた時、私より七つ年下の生徒さんで、クラスの中でも、一番成績が良かった方です。その後、私の教室で今も、講義を受けています。今でも成績が一番いい方です。お年は83歳。この年でパソコンを駆使できるとは、尊敬に値しますね」。僕は、そのプリントを先生に差し上げた。

 件のホームページの優れた点は、書名などのほかに、必ず本の書影を付けていることだ。全部で九十作ほど紹介されていた。その中に、わが社の本も、四点含まれている。『名画で恋のレッスン――こころのシネマ・ガイド』(1995)、『古典に読む恋の心理学』(1996)、『出会いのときめき――花、旅、本、愛する人たち』(2002)、『今日から自分磨き――楽しみながら、すこしずつ』(2008)。いずれも清川先生の人となりが横溢した素晴らしい本である。

 

・清川先生は著書、『おてんば八十八歳。喜び上手の生き方ノート』(海竜社刊)で若々しく生きるヒントを明かしている。それが「七つの提案」として提案されているからご披露しよう。1、好奇心を失わない。2、すぐに行動すること。3、小さなことも喜ぶこと。4、人との出会いを楽しむこと。5、世代を超えて若い人とも付き合うこと。6、若々しく生きる人を目標にすること。7、お洒落も忘れないこと。

 アクティブに生きる先生のご趣味というか特技は、五十三歳になって始めたという英会話を駆使しての外国旅行、それも独り旅を楽しむことだという。前述の七つの要素をほとんど網羅していることはお分かりいただけよう。先生の凄いのは、旅行会社を一切使わず、自分でスケジュールを立てること。そして、ほんのちょっとしたお土産を欠かさないこととか。

 僕は、右半身不随で血圧の変化が致命傷となる。だから飛行機での海外旅行はできない。日本の旅行では、先生が贔屓にしておられる松本・扉温泉の明神館が大好きで、ここ毎年、行っている。ここのフレンチ料理、懐石料理は素晴らしいと思う。その女将曰く、「私も毎月、上京して、山の上ホテルの清川先生の講義を聴いております」。なんと素晴らしい師弟愛であろうか!

 

・清川先生の市川市国府台のご自宅へ一度伺ったことがある。まだ、僕が健常者だった頃だ。先生は、最愛のご主人を1994年秋、心不全のため旅先で亡くされた。その悲しみの涙も乾かない2か月後、今度は最愛の息子さんの身体にすい臓がんが、さらにご本人にも胃がんが見つかった。1995年、先生の手術が成功してから10日目、ご長男が49歳の若さで亡くなった。そんな悲しみの中にありながら、先生は、気丈に振る舞われていた。蔵書の山に囲まれ、古典の世界がすぐ目の届く位置にあった。最愛のお二人の喪失感から、必死に乗り越えようという姿勢が健気だった。僕は何と言ってお慰めしたらよいか、途方に暮れていた。救いの手を差し伸べてくれたのが清川先生だった。これからも執筆の意欲をさらに高めて、清流出版とお付き合いしたいと発言されたのである。「古典」、「映画」、「手紙」……と、書きたいテーマはいくらでもあります、僕の方がかえって元気を出しなさい、と勇気をもらった気がした。

 

・清川先生は、第10回 市川市民文化スウェーデン賞(平成18年)を受賞された。この賞の受賞者は、宗左近、山本夏彦、井上ひさし等、錚々たるメンバーが並ぶ。訊いてみると詩人・宗左近と交流のあったスウェーデン大使館員が、全国でも極めて特異な市民文化賞の設立趣旨に賛同し、市川市の文化の発展と両国の文化の交流を祈念して設けられた賞だという。先生の場合、「万葉集」など日本の古典研究が、この賞で認められたと思うと嬉しいではないか。

 

・「数ある中で、ご自身一番愛着のある本は何ですか」と、訊いてみると――「難しいわね。一つあげると、『わたしの古典2 「清川妙の万葉集」』(1986 集英社刊)かしら」と答えられた。わが社は、会社設立が1994年だから、それよりずっと前の本になる。その本を刊行した年、先生は65歳。そこからザーッと九十作、よくお書きになられたものだと思う。

 そのなかでも、僕のお勧めは弊社刊行の『今日から自分磨き――楽しみながら、すこしずつ』(2008弊社刊)である。もう一冊は、他社本だが、『兼好さんの遺言』(2011 中経出版刊)である。この本を読むと、吉田兼好は『徒然草』の中で、「ものくくる友、くすし(医師)、智慧ある友」が好ましいと言う。僕にとって冒頭の「ものくるる友」は、清川先生ご自身だと、いつも感謝している。先生の本は「ていねい かつ 愛情たっぷり」だから、どの本を取っても外れはない。今後、ますます清川妙節に磨きをかけられ、われわれに感動を与え続けてほしい。

 

 

 


清川先生と愉しく語る

 


 

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