加登屋のメモと写真…: 2011年8月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2011年8月アーカイブ

飯島晶子さん

清流出版 (2011年8月19日 14:14)

飯島1.jpg

飯島晶子さんのご招待でコンサート『未来への伝言』を観る。左から飯島晶子さん、谷川賢作さん、杵屋巳太郎さん、おおたか静流さん。(写真提供:VoiceK

 

・今回は、二つのことを書きたい。一つは飯島晶子さんの「未来への伝言」と題した朗読&コンサートのこと、もう一つは小池邦夫さんと俳優の緒形拳さんの25年間の絵手紙交流を中心にした交流展についてである。二つのイベントの背景に脈打っているのは、東日本大震災の復興支援への思いであり、ともにしみじみと感激したからである。

 

・まず、声優・朗読家の飯島晶子さん(写真をご覧になる方は、このホームページ20061月号を参照)からである。飯島さんとは、弊社から初の著書『声を出せば脳はルンルン』を刊行して以来、お付き合いが続いている。この本にはCDがついていて、早口言葉や有名な詩、歌詞、小説の一節、さらには般若心経まで、録音されている。脳の活性化には恰好の教材であり、僕も脳出血のリハビリの一環として大いに利用させていただいた優れものだ。

 

・その飯島さんは、年齢が五十代でお孫さんもいらっしゃるのだが、どう見ても四十代にしか見えない、若々しく美しい方なのだ。去る2011722日、朝日新聞の「55プラス 孫と楽しく1」欄に飯島さんが登場されていた。飯島さんは、仕事を持つ娘さんを「支えたい」と、孫の花音(かのん)ちゃんの面倒を見ておられる。そして、お孫さんから「あーちゃん!」と呼ばれているそうだ。「若くて美しい方=飯島晶子さん」の印象は、孫がいようといまいと僕には変わらない。この新聞記事が出た一週間後、「未来への伝言」のコンサートがあったのだ。招待された僕は妻と勇躍出かけた。

 

・このコンサートには過去二回、招かれている。今回の会場は、豊島区西池袋の自由学園明日館であった。あの帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの傑作で、重要文化財指定の建物である。僕は結婚するまで豊島区の住民だったが、まだここを訪れる機会がなかった。だからぜひ行きたいと思っていた。この建物の設計を依頼した羽仁吉一・もと子夫妻の深い見識が感じられる。すぐ近くには、お二人が創業された(株)婦人之友社もある。僕は木の温もりが感じられる会場の落ち着いた佇まいに痺れた。暖炉がしつらえられてあり、クリスマスのイベントでは、ここで薪が燃やされるという。パチパチと赤く燃える焚き木は、きっと人の心を解きほぐし、温めてくれるに違いない。

 

・コンサートの名称は、「未来への伝言 ひとり ひとり…ひとりじゃない」だったが、今年はその前に「東日本大震災復興支援チャリティーコンサート」の名称が付いていた。コンサートは素晴らしいの一言であった。舞台に登場した皆さんが実にいきいきと躍動していた。僕は、このコンサートを、一昨年(会場は東京ウイメンズプラザホール)、昨年(会場は文京シビックセンター小ホール)と観ているが、今年は大震災復興支援をストレートに、真剣に打ち出すことで例年以上に盛り上がった舞台の印象をもった。

 

・出演者をご紹介したい(敬称略)。 

 杵屋巳太郎(三味線・人間国宝)、谷川賢作(ピアノ、作・編曲)、おおたか静流(ヴォーカル)、飯島晶子(朗読)、ZEROキッズ(合唱)、クラーク記念国際高等学校の学生さん約80名(パフォーマンスコース)といった方々だ。

 最初のプログラムでは谷川俊太郎の詩がうたわれた。

 

ひとりひとり違う目と鼻と口をもち 

ひとりひとり同じ青空を見上げる 

ひとりひとり違う顔と名前を持ち(略)…

ひとりひとりどんなに違っていても 

ひとりひとりふるさとは同じこの地球…

 

 全員が、この詩を一節、一節読んだ。やはり谷川俊太郎の詩はよい。

 

・次に、おおしばよしこ作 じょうたろう構成の『みえないばくだん』がうたわれた。

 

むかし、せんそうがありました。

そらにひこうきがたくさんとんできて

ばくだんをおとしたり、

おとされたりしました。(略)

…えらいひとたちがべんりになるものをつくりました。

…(略)…あるひとがいいました。

「たしかにべんりになるけども、

これは『ばくだんになるもの』じゃないの?」(略)

 

・飯島さんの『みえないばくだん』の朗読に、三味線、ピアノ、ヴォーカルがかぶさる。おおたか静流の津波を表現した発声は、その迫真性に思わずぞくぞくと寒気を覚えた。この谷川俊太郎の詩と『みえないばくだん』の二曲を聴けば、コンサートの意図がはっきり分かる仕掛けになっている。それほどに、日本は現在、危機的状況に置かれている。未だ出口の見えない原発問題が、国民一人ひとりの上に重くのしかかっていることを再認識させられた。

 

・次は、谷川俊太郎作詞、杵屋巳太郎作曲『五つのエピグラム』より、『原爆を裁く』『五月の人ごみ』がうたわれた。三味線(杵屋巳太郎、杵屋長之助)、ピアノ(谷川賢作)、歌(おおたか静流+クラーク記念国際高等学校の生徒さん)の総メンバーで、中身が濃いメッセージだった。

 

・『原爆を裁く』は、長らく(約四十年間)放送・発表禁止にされてきた楽曲であるとのこと。ピアノ(谷川賢作)と三味線(杵屋巳太郎)の即興演奏が、胸に突き刺さってくる。そして、田村依里奈作詞作曲 クラークオリジナルソングの『ずっと忘れない ずっと頑張るよ』がうたわれた。僕も「東日本大震災」になぞらえて、こういうしかないと思った。これで第一部が終わった。

 

・第二部も充実した内容で、心にジーンと来た。朗読あり、歌あり、三味線あり、ピアノあり、パフォーマンスあり、で素晴らしい内容だった。来年は、清流出版の社員一同と一緒に来たいものだと思った。

 

・内容にも少し触れておきたい。おおたか静流がうたう『三月の歌』(谷川俊太郎作詞 武満徹作曲)、『明日ハ晴ハレカナ曇リカナ』(武満徹作詞・作曲)、『ピリカチカッポ』(知里幸恵作詞 おおたか静流作詞・作曲)が、何とも不思議な世界へと誘い込む。静流さんの声は、七色に変化するのだ。

『ピリカチカッポ』は、NHK教育テレビの「にほんごであそぼ」で3年前、『銀の滴ピリカチカッポ』が放映されて、幼児たちに人気となった。アイヌ語で「シマフクロウ」を表し、僕の感じでは老若男女問わずアピールする歌である。

 その後、『谷川賢作ピアノの世界』、『杵屋巳太郎三味線の世界』、『寶玉義彦(南相馬から)』と続いた。寶玉義彦は、若い詩人であり、普段は南相馬市でパッションフルーツを作っている方だそうだ。被災地の生の声を初めて聴いた。

 

・あと忘れていけないのは「被爆ピアノ」の存在である。原爆で跡形もなくなった広島で奇跡的に生き残ったピアノが、調律師・矢川光則によってよみがえり、コンサート活動を続けている。終始、谷川賢作のピアノ演奏がしっかりと音を出している。この被爆ピアノは、2010911日にはアメリカ・ニューヨークに渡り、「被爆ピアノ」を奏でて平和を願ったという。2001年の米同時多発テロの犠牲者を追悼するコンサートを開催したことでも有名になった。

 

その後、飯島晶子さんが『子どもたちの遺言』(谷川俊太郎作 ピアノ・谷川賢作)を朗読し、いよいよ最後の番組『祈り』(佐々木香作詞 谷川賢作作曲 ZEROキッズ+クラーク記念国際高等学校)へと続く。約90名の出演者が、演出(飯田輝雄)の素晴らしさもあり、一段と充実しているように感じた。

 優れたコンサートで、感動、感激した。

 

・東北の人々の底力を感じ、ともに未来を信じ、心を込めて、うたい、語りたい 復興支援オリジナル作品を! こども・大人ジャンルを超えての合唱「祈り」を!――と、プログラムにあるように、そして、ひとりひとり… ひとりじゃないとのメッセージを僕なりにきちんと受け止めた。飯島晶子さん、ありがとう!

 

・蛇足だが、飯島晶子さんの朗読の会が925日(日)、東京・神楽坂の矢来能楽堂(1230分開場、13時開演)で行われる。物語と能。二つの源氏物語が楽しめる。

 『源氏物語』の「葵・賢木」より飯島さんが現代語訳を朗読する。その後、仕舞「半蔀」「葵上」、能「野宮」を演じる。「野宮」でシテ(六条御息所)を観世流の遠藤喜久、ワキ(旅僧)を下掛宝生流(シモホウ)の工藤和哉が務める。その工藤和哉は僕より四歳下で、学生時代から一緒に謡をよくやったものだ。現在は職分として、一段と芸域が向上した。

 

飯島2.jpg

全員で盛り上がって、最高の舞台が繰り広げられた。被災地の方々にも観てもらいたいと思った。(写真提供:VoiceK

小池邦夫さん

清流出版 (2011年8月18日 13:24)

小池5.jpg

小池邦夫さんの痛々しい顔に注目。それでも会場控室で元気一杯に語る

 

・小池邦夫さんのことを7月号で書いている。続けて取り上げるのは本来、避けたいのが筋ではあるが、あまりに素晴らしかったのであえて書きたい。会場は日本橋三越本店の七階催事場である。かなり広いスペースをとりながら、タイトルは『緒形拳からの手紙。小池邦夫の師友16人展』。

 出かけたのは812日の金曜日である。大きな会場だけに余裕で展観できると思っていたら大間違い。入場してみると、人でいっぱいで動けない。圧倒的にご婦人方が多い。ほぼ、89割がご婦人であった。僕は電動の車椅子で行ったのだが、人ごみに呑まれて前にも後にも動きが取れない。間隙をぬって時間をかけながら、ようやく見て回った。

 

・入口付近には緒形拳さんの絵手紙である。『季刊 銀花』の愛読者用葉書で絵手紙通信を銀花編集部に送り続けたものだという。これが実に楽しく遊んでいて、興味深かった。いったん、文字を塗りつぶしてそこに絵を描いたり、はみ出さんばかりの書が踊っていたりする。編集部との行き違いで誤解していたことを素直に謝る言葉が書かれたものもある。緒形さんが描いたチャップリンの似顔絵なども飾られていたが、実にお上手で思わず見とれてしまった。

 

・次の会場は小池邦夫さんと緒形拳さんとの「25年間にわたる絵手紙交流」が展示されていた。小池さんは普段着の絵手紙の魅力をよく強調しておられるが、まさにそんな普段着の緒形さんからの絵手紙が目白押しだ。葉書に菊の花が書かれ、ただ、「ありがとう」と書いただけの書もある。中国のロケ先から送られたた和紙の海外便もある。また、弊社から刊行された田島隆夫さんの本を贈呈したのだろう、素晴らしい田島隆夫本を有難うというお礼状もあった。とにかく拝啓も敬具もない、フランクで自由な絵手紙のやりとりは、見ていても気持ちのよいものだ。

 

・小池さんと緒形さんとは、25年間の交流があったのだが、なんと話はほとんどしていないという。緒形さんが小池さんの新宿で行われた個展に来て、食い入るように見ていたのが25年前。そこから手紙のやり取りが始まり、細く長く続いてきた。会って話をすれば、テンションが下がってしまう。会いたいという気持ちを絵手紙に込めたからこそ、相手の琴線に触れる絵手紙となる。これが長続きした理由ではないだろうか。

 

・そして小池さんの16人の師友との絵手紙交流コーナーがあった。師として敬愛した瀧井孝作、中川一政の両御大から、樋口比庵、田島隆夫、棟方志功、北大路魯山人、渡辺俊明、高村光太郎、みつはしちかこなどまで、画家、書家、陶芸家、彫刻家、漫画家、作家と職業的にも実にバラエティに富んだもの。いずれも小池さんがほれ込み、ぶつかり稽古を繰り返してきた人たちだ。

 

・小池さんは、こうした芸術家の本業にはあまり興味がない。余儀ともいうべき、書や絵や言葉に惚れるのだ。惚れれば、雨あられと絵手紙を出し続け、ついには交流が始まるというわけだ。多少は強引でも、人を振り向かせてしまうというのが、小池流の絵手紙の力である。そのために日々に絵を鍛え、書を鍛え、言葉を磨いてきた。こうした人たちとの交流を経て、今日の小池さんがあることがよくわかった。

 

・近くの最後のコーナーには、被災地の皆さんからの絵手紙が展示されていた。小池さんが東日本大震災の被災地の絵手紙愛好者295名に送った絵手紙に、約200通余りの返事が届いたというのだ。そもそも295名に絵手紙をかく。これだけでも大変である。返事は結構だからと送ったにも関わらず、墨と硯をなんとか手にして返事を出している人がいる。

 

・肉親や親せき、友を亡くされ、食糧や水もままならない被災地の方々が、こんなにも励まされて返事を書いている。この絵手紙の持つ底力には脱帽である。葉書あり、巻紙に大書された絵手紙もある。大きさはともかく、一様に小池さんの絵手紙が届いたことに驚き、感激したことがよくわかる。生きる勇気をかきたてた一通の手紙の底力に、僕は本当に驚かされた。

 

・会場裏にある控室で小池さんとお話することができた。目についたのは、顎の部分に真っ白い包帯が見える。訊いてみると、今日狛江市役所前で転んで、病院で七針も縫ってきたというのだ。そういえば少し、歩き方もびっこを引いておられた。これだけの大怪我である。出てくることは難しい。それでもこの日がサイン会の日とあれば、這ってでも会場入りする。小池さんの強い責任感であろうか。精神力もお強い方なのだ。

 

・小池さんの絵手紙は今年で51年目を迎えている。その間、いろいろなことがあった。阪神・淡路大震災の時も全国の絵手紙仲間を募って励ましの絵手紙を描き、義捐金を届けている。そんな小池さんを僕はいつも敬愛している。絵手紙を創始してくれて感謝している。僕の周りには、絵手紙のファンが多い。小池さんの本も随分買っていただいている。これからもますます絵手紙の普及に尽力してほしいと願っている。そして思いやりの心、支えあう絆が強固になれば、日本は捨てたもんじゃない、明るい未来が待っているような気がしてくるのだ。

清川妙先生と会食

清流出版 (2011年8月 2日 12:10)

清川先生と会食.jpg

清川妙先生と会食、歓談

 

・作家・エッセイストの清川妙(きよかわ・たえ)先生(右から二人目)と久しぶりに会食しながら歓談することができた。お会いしたのは、先生が万葉集や枕草子などの講座でよく使われるという御茶ノ水・山の上ホテル別館。同席者は松原淑子(右)と秋篠貴子(左)の両名。先生は、月刊『清流』創刊以来、「古典鑑賞」、「映画評論」、「手紙は愉し」、「季節のことのは」……等々、いろいろのテーマで誌面を飾っていただいた。現在、90歳になられる

 逆算してみると、先生が72歳の時、僕は初めてお会いして、月刊『清流』のレギュラー執筆者になっていただいたことになる。先生のお嬢様の佐竹茉莉子さんも、月刊誌、単行本のライター・著者としてフル回転していただいている。お二人のご協力がなければ、清流出版の今日はなかった! と言っても過言ではない。

 

・清流出版の先生の担当編集者は、ことごとく先生に接することによって鍛えられ、編集者として一人前になった経緯がある。一番古いお付き合いになるのが松原淑子(『清流』編集長)。もう一人の秋篠貴子は、近年、月刊誌のみならず、先生の単行本(『今日から自分磨き――楽しみながら、すこしずつ』)の編集担当を経験している。両名とも、先生の「ていねいな仕事」ぶりを学んだ結果、出版業界でも有能な編集者に育ってくれたと思っている。

 

・清川先生からいただいた初期の玉稿(月刊『清流』19948月号)が、特別、僕の印象に残っている。忘れもしない17年前、『伊勢物語の世界 第23段』をお書きになっている。その文章の中に、「くらべこし振り分け髪も肩すぎぬ 君ならずしてたれかあぐべき」の言葉があった。返句で女返しの言葉だ。当然、その前の句は「つつゐつのいづつにかけしまろがたけ すぎにけらしな妹(いも)みざるまに」である。

 能『井筒』の一節にある「筒井筒、井筒にかけし……」が僕にはすぐ思い浮かんだ。ゲラを読みながら、下手な謡曲を思わず唸ってしまったことを覚えている。当時、われわれ早稲田大学下掛宝生流のOBたちは、清流出版の入っていたビルの、道路を挟んだ向かい側にあった日本債券信用銀行(当時)の和室を借り、毎週火曜日に人間国宝の寳生閑先生に謡を習っていた。

 

・その後、『伊勢物語の世界 第23段』の解説で、清川先生は「化粧」(假粧=けさう)のことをお書きになっている。「さりけれど このもとの女 悪しと思へるけしきもなくて 出しやりければ をとこ こと心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて 前栽の中にかくれいて 河内へいぬる顔にてみれば この女 いとよう假粧じて うちながめて……」。いつも女性は化粧をしているほうがよい、と僕は伊勢物語、いな先生から学んだものである。

 

・この『伊勢物語』の名解説のほか、以後は一作品につき3号分で、古典の解説を清川先生に依頼した。『大和物語』、『枕草子』、『更科日記』、『蜻蛉日記』、『古事記』、『落窪物語』……。いずれも多くの読者から好評を得たが、先生には、古典以外のテーマにも挑戦していただくことになった。まず、「言葉の贈り物」として『手紙は愉し』を連載していただいた。

 素晴らしい文章、切り口で、清川ファンが増えることイコール月刊『清流』の購読者増に直結したと思う。この日は、談たまたま、お互いに好きな映画の話になった。先生は『八月の鯨』(1987年)について、リリアン・ギッシュとベティ・デイヴィース姉妹が、実際は妹役の方が年上で、撮影当時、リリアン・ギッシュは93歳、ベティ・デイヴィースは79歳だったという話をされたが、今も変わらぬ映画への思い、薀蓄に感心させられた。

 

・この日、僕は「パソコンに載った清川妙先生の著作集」のホームページ・プリントを持って行った。これをご覧になって先生は、「パソコンは私の知らない世界です。でも、このホームページを書いている方はよく知っております。私が初めて教職に就いた時、私より七つ年下の生徒さんで、クラスの中でも、一番成績が良かった方です。その後、私の教室で今も、講義を受けています。今でも成績が一番いい方です。お年は83歳。この年でパソコンを駆使できるとは、尊敬に値しますね」。僕は、そのプリントを先生に差し上げた。

 件のホームページの優れた点は、書名などのほかに、必ず本の書影を付けていることだ。全部で九十作ほど紹介されていた。その中に、わが社の本も、四点含まれている。『名画で恋のレッスン――こころのシネマ・ガイド』(1995)、『古典に読む恋の心理学』(1996)、『出会いのときめき――花、旅、本、愛する人たち』(2002)、『今日から自分磨き――楽しみながら、すこしずつ』(2008)。いずれも清川先生の人となりが横溢した素晴らしい本である。

 

・清川先生は著書、『おてんば八十八歳。喜び上手の生き方ノート』(海竜社刊)で若々しく生きるヒントを明かしている。それが「七つの提案」として提案されているからご披露しよう。1、好奇心を失わない。2、すぐに行動すること。3、小さなことも喜ぶこと。4、人との出会いを楽しむこと。5、世代を超えて若い人とも付き合うこと。6、若々しく生きる人を目標にすること。7、お洒落も忘れないこと。

 アクティブに生きる先生のご趣味というか特技は、五十三歳になって始めたという英会話を駆使しての外国旅行、それも独り旅を楽しむことだという。前述の七つの要素をほとんど網羅していることはお分かりいただけよう。先生の凄いのは、旅行会社を一切使わず、自分でスケジュールを立てること。そして、ほんのちょっとしたお土産を欠かさないこととか。

 僕は、右半身不随で血圧の変化が致命傷となる。だから飛行機での海外旅行はできない。日本の旅行では、先生が贔屓にしておられる松本・扉温泉の明神館が大好きで、ここ毎年、行っている。ここのフレンチ料理、懐石料理は素晴らしいと思う。その女将曰く、「私も毎月、上京して、山の上ホテルの清川先生の講義を聴いております」。なんと素晴らしい師弟愛であろうか!

 

・清川先生の市川市国府台のご自宅へ一度伺ったことがある。まだ、僕が健常者だった頃だ。先生は、最愛のご主人を1994年秋、心不全のため旅先で亡くされた。その悲しみの涙も乾かない2か月後、今度は最愛の息子さんの身体にすい臓がんが、さらにご本人にも胃がんが見つかった。1995年、先生の手術が成功してから10日目、ご長男が49歳の若さで亡くなった。そんな悲しみの中にありながら、先生は、気丈に振る舞われていた。蔵書の山に囲まれ、古典の世界がすぐ目の届く位置にあった。最愛のお二人の喪失感から、必死に乗り越えようという姿勢が健気だった。僕は何と言ってお慰めしたらよいか、途方に暮れていた。救いの手を差し伸べてくれたのが清川先生だった。これからも執筆の意欲をさらに高めて、清流出版とお付き合いしたいと発言されたのである。「古典」、「映画」、「手紙」……と、書きたいテーマはいくらでもあります、僕の方がかえって元気を出しなさい、と勇気をもらった気がした。

 

・清川先生は、第10回 市川市民文化スウェーデン賞(平成18年)を受賞された。この賞の受賞者は、宗左近、山本夏彦、井上ひさし等、錚々たるメンバーが並ぶ。訊いてみると詩人・宗左近と交流のあったスウェーデン大使館員が、全国でも極めて特異な市民文化賞の設立趣旨に賛同し、市川市の文化の発展と両国の文化の交流を祈念して設けられた賞だという。先生の場合、「万葉集」など日本の古典研究が、この賞で認められたと思うと嬉しいではないか。

 

・「数ある中で、ご自身一番愛着のある本は何ですか」と、訊いてみると――「難しいわね。一つあげると、『わたしの古典2 「清川妙の万葉集」』(1986 集英社刊)かしら」と答えられた。わが社は、会社設立が1994年だから、それよりずっと前の本になる。その本を刊行した年、先生は65歳。そこからザーッと九十作、よくお書きになられたものだと思う。

 そのなかでも、僕のお勧めは弊社刊行の『今日から自分磨き――楽しみながら、すこしずつ』(2008弊社刊)である。もう一冊は、他社本だが、『兼好さんの遺言』(2011 中経出版刊)である。この本を読むと、吉田兼好は『徒然草』の中で、「ものくくる友、くすし(医師)、智慧ある友」が好ましいと言う。僕にとって冒頭の「ものくるる友」は、清川先生ご自身だと、いつも感謝している。先生の本は「ていねい かつ 愛情たっぷり」だから、どの本を取っても外れはない。今後、ますます清川妙節に磨きをかけられ、われわれに感動を与え続けてほしい。

 

 

 


清川先生と愉しく語る

 


 

« 2011年7月 | メインページ | アーカイブ | 2011年9月 »
検索
2013年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
カテゴリ