2009.10.01小山明子さんと野坂暘子さん

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小山明子さん、野坂暘子さん、僕(撮影:小尾淳介)

・月刊『清流』の人気コラム「小山明子のしあわせ日和」を連載していただいている小山明子さん(左)と、野坂昭如さんの奥様・野坂暘子(ようこ)さん(右)が対談を快く引き受けてくださり、過日、お二人に対談場所であるホテルグランドパレスにお出でいただいた。僕は美しいお二人に挟まれて、両手に花状態で言葉もなく感動するばかり。担当編集者の秋篠貴子は、このお二人の対談を単行本化したいと切望したが、残念ながらすでに「かまくら春秋社」での刊行が決まっており、先を越された。やむなく月刊『清流』の新年号企画でお届けする線で決着した。

・よって、本企画は『清流』の2010年1月号(2009年12月1日発売)の「新春対談 妻として、女性として、きらめいて生きる」(仮題)として掲載させていただくことになった。お二人は、新年号にふさわしい、艶やかな和服姿で登場され、読者にサービスできることになったのは望外の喜びである。

・お二人は異彩を放ち、共に時代を牽引したご主人(映画監督の大島渚さん、作家の野坂昭如さん)の活躍を支えてきた。数々の苦楽を共にしてこられたが、ある日突然、その夫たちが倒れ、それまでの生活ががらりと一変する。妻として最大の危機に遭遇することになる。後遺症への対処、現実を受け止めるまでの思い切り、そして、妻として、そして母としての役割、直面する介護の実態や身体的な疲労の重なり、そうした介護の日々を過ごしながら、女性として美しさを失わない秘訣、新年号にふさわしい2010年への熱い思い……等々、語り合っていただくテーマはいくらでもあった。

・対談は終始なごやかに進み、野坂さんが小山さんを介護の先輩として、敬愛しておられることがよくわかった。お互い同じような体験をされてきたので、打てば響くように通じ合える、実に気持ちのいい言葉のやりとり。時として、お二人はユーモアを交えて語っていただいた。お二人とも、夫を尊敬し、夫が少しでも気持ちよく、楽しく毎日を過ごせるよう心を砕いていらっしゃるエピソードが印象的であった。

・これまで本欄には、小山明子さんが(2008年12月分)の回で登場、ご主人のほかにお子さん(長男・武さん、次男・新さん)にも触れた。月刊『清流』の「小山明子のしあわせ日和」読者であれば、ご家族もお馴染みになったはず。一方、野坂暘子さんも月刊『清流』2009年9月号でご登場いただいたが、ご家族については触れなかった。

・野坂さんは宝塚歌劇団で「藍葉子」の芸名で活躍。タカラジェンヌのまま作家・野坂昭如さんと結婚した。それを機に退団、二女をもうける。血は争えないもの。長女・麻央さん、次女・亜未さんは、ともに母親と同じ元タカラジェンヌである。暘子さんは1991年より東京・溜池で画廊「ギャルリーymA」を経営。シャンソン歌手としてステージにも立つ。今は、介護と仕事で多忙な日々を送っていらっしゃる。

・当日僕は、野坂暘子さんに「大学生の時、野坂昭如さんが寄稿した『けのつく話』(月刊『投資生活』ダイヤモンド社)が面白くて愛読していました。”食いけ”、”色け”、……以下『けのつく話』の話です」と言ったところ、「あと残りの『け』は何だったでしょうか?」と質問された。しかし、”金け”だったか、”欲け”だったか、とっさには思い出せなかった。約五〇年前の話で、記憶が定かではない。1962年に野坂さんは結婚されたので、その年前後までは続いた連載だと思う。とにかく、この連載を一読、野坂昭如さんがタダモノではない、偉才の人であるのを、痛感したことを覚えている。また、野坂さんの傑作『火垂るの墓』『戦争童話集―忘れてはイケナイ物語り』は、後世まで燦然と輝き続ける金字塔であろう。

・小山明子さん、野坂暘子さんに共通していえるのは、夫が倒れても、介護しつつ、自分を高める仕事や趣味、自己啓発の手段を持っていることである。何と素晴らしい女性たちであろうか。心から敬服する。大島渚さん、野坂昭如さんお二人の斯界での立派なご功績もさることながら、それを支え続けた奥様たちの奮闘こそまず称えたい。