2009.03.01山田俊幸さんと竹内貴久雄さん

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山田俊幸さん(左)、竹内貴久雄さん(右)

・帝塚山学院大学文学部教授の山田俊幸さん(左)と「オフィス竹内」代表でeditorの竹内貴久雄さん(右)が来社された。お二人は高校生時代からのお付き合いで、山田さんのほうが二歳年長(昭和22年生まれ。高校3年になるとき、竹内さんが入学してきた)とのこと。とにかく高校時代から、今日に至る長いお付き合い。この年齢になっても、お互いの特技を活かして仕事の分担割りをし、高めあうという羨ましい関係である。今回も、山田さんが執筆・監修を担当、竹内さんは、レイアウト、本文組みなど編集進行作業を担当する。

・わが社の編集担当は、古満温(すなお)君である。古満君は企画提案する際、当然「小林かいち」と言ったらしい。だが、僕は「ああ、あの17歳で死んだ天才・山田かまちのこと」と聞き間違えてしまった。よくよく話を聞いてみると「小林かいち」。初めて聞く名前であった。企画書をじっくりと見ると、山田さんの監修で『小林かいちのデザイン世界――京都アール・デコ幻の巨匠』(仮題)を作ろうというものであった。

・かいちは、大正末期から昭和初期にかけて活躍した画家だというが、いまだに謎に包まれた部分もある。近年、絵葉書や絵封筒に描かれた大正ロマン漂う「京都アール・デコ」の作風が人気を呼び、評価が高まっているとか。古満君もそうした機運をつかんでの企画提案だったと思う。ハンディでお洒落な作品集とし、中心となる読者対象は30代の女性、作風からして竹久夢二のファン層にも狙いをつけたいという。

・後日、編集進行のオフィス竹内(担当:竹内貴久雄さん)から送られてきたレジュメを見ると、判形は「四六判」、総ページは160ページ、カラー80ページ。序章「かいちとその時代」から始まって、第1部「かいちデザイン7つの表情」、第2部「かいちをめぐる3つの謎」、第3部「年譜・資料」と微に入り細を穿った編集内容で、好感を持った。

・竹内さんから送られた組版の見本(下)を見ても素晴らしい。文字組みも魅力的で、何よりもかいちの絵が素晴らしい。竹久夢二、高畠華宵や蕗谷虹児とも違うアール・デコ・イマジュリィ(イメージ図像を指すフランス語。挿絵、ポスター、絵葉書、広告、漫画、写真など大衆的な図象の総称として用いられる言葉)の世界が展開されている。

・山田さんは、もともと中学校教諭をしていた方である。その後、帝塚山学院大学文学部教授になり、日本近代文学、大正イマジュリィを専門分野にして活躍中。絵葉書というコミュニケーション・ツールにより旧宮家のドキュメントや、『白樺』を中心とした美術運動の展開、大正の詩と絵画の接触にあらわれるイマジュリィを研究している。

・山田さんの著書には、『アンティーク絵はがきの誘惑』(産徑新聞出版)、共著に『小林かいちの世界――まぼろしの京都アール・デコ』(国書刊行会)、編著に『論集 立原道造』(風信社)、『雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 語源』(PHP研究所)などがある。現在、日本絵葉書会会長、大正イマジュリィ学会常任委員、四季派研究会主宰、『一寸』同人。展覧会の企画監修実績も数多く持っている。高畠華宵を研究する華宵会の会報誌『大正ロマン』を見ると、毎号のように山田さんの記事が載っている。平成の世に大正ロマンが息づいているのにはホッとさせられる。

・かいちのことは本文で読んでほしいので、さわりを紹介するに留める。彼は、京都に在住の抒情版画家であった。今から85年前、大正12年の関東大震災頃から作品を世に問い始めた。京都は当時、日本の前衛文化の中心で、ヨーロッパから押し寄せる新美術の情報と京都の伝統産業の基盤としての琳派風表現が渾然一体となり、かいちの版画世界に反映して独自の世界が生まれた。山田さんをはじめ永山多貴子(郡山市立美術館学芸員)さんなど複数の執筆者は、抒情的版画の魅力を存分に書いてくれたとのこと。楽しみである。

・竹内さんも、山田さんに劣らず活発な活動をし、出版界に足跡を残した方だ。お二人は、1970年代から、「風信社」というインフォーマルな組織で、立原道造、堀辰雄らが集った近代日本文学史上の一派「四季派」の研究を続けてきた。その数年前から、初等教科書の出版社である泰流社の経営者は、竹内さんに編集長への就任を要請していた。取次店への販売委託を受けた「風信社」と「工業出版」両社の編集長をしていた竹内さんの力量を見込んでのことである。編集長に就任した竹内さんは、「風信社」「工業出版」の路線を縮小して継続させる傍ら、マイナー言語の語学書出版部門の強化を中心に文化史、思想史分野への進出を図った。また、20世紀西洋音楽の作曲家の伝記を探るなど路線変更を行なった。

・竹内さんの手掛けた本の中には、俵万智のベストセラーのもじりだが、『男たちの「サラダ記念日」』(1987年)もあった。この本は半年で20万部という実売部数。立派な数字だ。結局、竹内さんはその年、自分の編集会社の運営に専念するために泰流社を退社された。僕が評価しているのが、ライターとして音楽関係の著書3冊を刊行されたことだ。いわば音楽研究家として『クラシック名曲・名盤事典――貴重で珍しいジャケット写真が満載!』(1992年 ナツメ社)、『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』(1994年 洋泉社)、『歴伝/洋楽(クラシック)名盤宝典――CDジャーナルムック』(1999年 音楽出版社)などの著書がある。

・企画を立てた古満君に「このお二人は紹介者があったのか?」と問うと、全然ないとのこと。自分で探して連絡を取り、見つけた著者だという。やはりこうした地道な努力をしてわが社の著者になってもらうことこそ、編集者の生き甲斐であり、本筋であると思う。これからも、好漢、がんばれ!

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