2008.04.01徳岡孝夫さん 藤森武さん クーペさんほか

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  • 月刊『清流』の人気コラム≪ニュースを聞いて立ち止まり…≫を執筆していただいている徳岡孝夫さん(中)を囲んで、『清流』副編集長の松原淑子(左)と僕(右)。この日、有楽町の日本外国人特派員協会パーティールームで、文藝春秋『諸君!』主催の「徳岡孝夫さんを囲む夕べ」に僕たちも参加させてもらった。
  • 徳岡孝夫さんの記者活動、執筆活動が五十六年目を迎えたのを記念し、この会を開催したと主催者の文藝春秋『諸君!』編集長・内田博人さんの招待状の挨拶文にあった。
  • 『諸君!』といえば、刺激的な論文が数多くあり、とくに巻頭にある≪紳士と淑女≫欄は燦然として存在する名物辛口コラムで有名だ。毎号、もっともっと読みたい気持ちにさせる八ページである。創刊から二十九年、同欄は一貫して混迷を深める世の森羅万象を縦横に料理して、ますます好調である。同じ業界人としてその書き手は一体誰であろうか、と僕はかねがね気になっていた。
  • 翻ってこの「加登屋の写真とメモ…」欄は、だれにも注目されないページで、悲しいかな、読む人がまったくいないに等しい。ゆえにこの後の邪推、盲推を許してほしい。
  • わが『清流』誌でも創刊号以来、健筆を揮っている方が一人いらっしゃる。昭和平成にわたる名手(書き手)にして時代の証言者、徳岡孝夫さんだ。『諸君!』のあの切り口、明快なレトリックを読むと、僕は徳岡孝夫さんが≪紳士と淑女≫子に相違ないと確信している。ご本人と文藝春秋はそれについて公にしてはくれないのだが……。
  • その日の会は、「徳岡さんを囲み、ジャーナリズムへの思いや半世紀を越える世相の変遷を語り合いながら、楽しく一夕を過ごす」との主催者の趣旨どおり運んだ。徳岡孝夫さんもいまや喜寿を過ぎて七十八歳におなりになった。文藝春秋の足元にも及ばない弱小出版社の清流出版も、徳岡さんに対する長年の執筆の労をねぎらうと同時に、今後もますますお元気でバッサリと時代の迷妄を斬り、歯に衣着せぬ名文を読ませてもらいたい一心で馳せ参じた。
  • 当日、僕が持参した徳岡さんの著訳書『太陽と砂漠の国々――ユーラシア大陸走破記』(中央公論社刊、1965年)や『誤解 ヨーロッパvs.日本』(エンディミヨン・ウィルキンソン著、中央公論社刊、1980年)を読んで、僕は『アイアコッカ――わが闘魂の経営』(ダイヤモンド社刊、1985年)の訳出を依頼したことが、そもそも徳岡孝夫さんとの最初の出会いだった。結局、徳岡さんには翻訳中心だが八冊の単行本をお願いし、実現できた幸せな男である。
  • その日は、中野翠さん、櫻井よしこさん、田久保忠衛さんをはじめ、いろいろな著名人、論客が参集し、会場は盛り上がった。僕は、元文藝春秋副社長、現在は早稲田大学商学部と日本大学芸術学部の講師をしている新井信さんをはじめいろいろの方とお話した。新井さんとは同氏の学友で今スペインに在住している元ダイヤモンド社出版局の飯塚実さんなどの話をした。そのほか取締役、「編集委員室」室長の浅見雅男さん(つい最近、ある企画でお会いした)、取締役の立林昭彦さん(いつも年賀状をくれる)、『諸君!』編集長の内田博人さん、同編集部次長の樋渡優子さん(角川春樹さんが言うように美人編集者である)、同編集部の曽我麻美子さん(京都大学で美学を学んだ才媛。文藝春秋に就職するまで東京を知らなかった方)、旧知の宇田川眞さん、照井康夫さんともお話した。
  • 宇田川、照井ご両人は徳岡番の編集者として、これまで数々の注目される単行本を出している。照井康夫さんは来年、定年退職したら、インターネットを使っての古本屋を新しく始めたいと夢を語り、古本好きな僕をうらやましがらせた。
  • かつて徳岡さんと僕は、宇田川、照井ご両人のお招きで高尾山の野鳥料理と美味しいお酒をご馳走になった。またある時は、宇田川さんの計らいで徳岡さんと僕は、熱海にある文藝春秋の瀟洒な寮に一夕宿泊した。三人は楽しく出版業界のことを語り、お酒を呑んで囲碁を打った。その時、別室でジャズピアニストの山下洋輔さんがカンヅメになり原稿を書いていたのを思い出す。もうあれから幾星霜。そういえば僕は大学生時代、池袋東口、文芸座近くの飲み屋で池島信平さんに奢られたこともしばしばあり、以来、文藝春秋の方々にはご馳走になりっぱなし。この場を借りて厚くお礼を申し上げる。
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  • このたび写真家の藤森武さん(左)の尽力で陶芸家・辻清明さんの本をわが社で刊行できることになった。打ち合わせに3月のある晴れた日、藤森さん、臼井君(右)と僕(右から二人目)は多摩市連光寺の高台にある辻さんの陶芸工房へお邪魔した。都内には珍しい登り窯を擁して、竹林の繁る、茶室つきの居宅兼工房である。辻清明さんのお姉さまの陶芸家・辻輝子さんには、三十八年前、前の職場ダイヤモンド社時代にお会いしている。『レアリテ』誌の取材であった。また月刊『清流』でも十二年前、「いま、この人」欄で取材している。なお、辻清明さんは、一昨年、ドナルド・キーンさんたちと一緒に東京都名誉都民に選ばれていらっしゃる。
  • 本欄の今年2月号で、泉三郎さんのことを書いたが、その泉さんがかつて懐石料亭「美ささ苑」をオープンする際、入口から隅々まで辻清明作品一色で飾った。奥様の陶芸家・辻協さん(左から二人目)も、「泉さんの本名は樫崎規夫さんでしょう」とよく覚えておられた。
  • 藤森武さんは、膨大な辻さんの主力作品をほとんど撮影している。辻清明さんの世界は、信楽を中心として伊賀、唐津などの作品をはじめ、コアガラス、ローマンガラス、ラリック、江戸切子、天狗のお面、机、民族家具などのコレクションや、自らガラス作品を制作するなど幅広い。
  • 辻清明さんの活動は、日本のみならず世界での評価も高い。親日家のフランスのシラク元大統領は「絵画の国・フランス、陶の国・日本」と評価したが、そう言わしめたのは辻さんの功績に負うところが大きい。その作品は、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、迎賓館などに買い上げられるほか、ホワイトハウスにも収蔵、世界に誇れる陶芸家である。
  • 今回は、ご本人には会えなかったが、辻協さん、ご子息の辻文夫さん(左から三人目)、マネージャーの女性とお話しして、企画の趣旨をよく理解していただいた。ページ数を大枠決め、『辻清明の宇宙』という書名もほぼ決定した。刊行時期は、本年夏から秋。定価は今のところ未定だが?万円位の超豪華本にしたい。世の芸術愛好家よ、乞う御期待。
  • 打ち合わせを終わって帰る際、辻協さんは一人ひとりに一枚の葉書を渡してくれた。そこには、表には墨痕鮮やかな達筆で各人の名前と、朱色で「立春」の文字を認めてあった。裏には辻清明さんが描いた干支の鼠(墨と金)と赤い落款が押されている。この一枚は、辻清明さんと辻協さんの陶房の住所、電話を入った極めて粋な名刺代わりだった。
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    ・前項の多摩市連光寺に辻清明さんを訪ねた日の夕方、多摩市関戸にあるサウンド・カフェ・バー「Stand by me」に行って、「クーペ&Shifo(シホ)」さんに会いたくなった。その店でお二人はライブ演奏をしていることを昨年『清流』10月号の「この人に会いたくて」欄で知っていたからだ。

    ・臼井君がタクシーの中から『清流』で担当した松原副編集長に店の住所と電話番号を聞いたところ、京王線の聖跡桜ヶ丘駅のすぐ側と分かった。車だったら15分位の近距離である。クーペさんにお目に掛かって、かねてよりわが社から依頼中である単行本化の進捗状況も聞いておきたかった。忙しい方だから、僕から念押しのお願いも必要と思った。

    ・クーペさん(左)の経歴を簡単にご披露すると、今は亡き名落語家、林家三平師匠から九回も破門されたというヤンチャぶり。素行の悪さで落語家・林家クーペの名を返上し落語家ならぬ落伍家になる。借金まみれ、酒もギャンブルもやり放題、妻子に逃げられ、住所不定の風来坊となった。だが、25年前に別れた娘さんからの一通の手紙が奇跡を起こした。「働かない、だらしない、愛せない」の三重苦だったクーペさんの生活が一変した。自作の詩「25年ぶりの手紙」にシンガー・ソングライター兼従業員のShifoさん(右)が美しい曲をつけ、2003年に五十五歳で歌手デビュー。でも、2005年、思いもしなかった脳梗塞で倒れ、右半身が麻痺する羽目になる。一命を取り止め、生かされた幸運に感謝し、恩返しに生きたいとさらなる演奏活動に打ち込んだ。そして、ついに娘さんと再会。2007年7月に「奇跡体験!アンビリバボー」(フジテレビ)で放映……。ザッと振り返っただけでも、いかに強烈な人生を歩んできたかが分かろうというもの。

    ・お会いした翌日のクーペさんのホームページに、《今日、清流出版の社長が来られた。(略)俺よりひどい後遺症だがこの社長明るい。明るい上に自信持っている。なに喋ってるか分らないのによく喋るんだから。笑った。みんなで大笑い。また一人素晴らしい人に会えた》とあった。

    ・一緒に行った藤森さん、臼井君にも確かめたが、上の写真、三人はなんで大笑いしていたのか、今となってはわけが分からない。どちらにせよ、クーペさんとお会いして素晴らしいひとときが持てたことに感謝している。椅子に腰掛けながら2曲歌ってくれたが、だみ声でシャウトするような歌いっぷり。腹の底にジンジン響いてきた。演奏会のパンフレットを見ると、書や絵もクーペさんが描いている。”芸術は爆発だ”、を地でいくような味があり、つくづく書は人なりと思った次第。

    ・ここからは「クーペ&Shifoコンサート」の案内をする。来る4月13日(日)、会場はNHKホール、5:00PM開場、6:00PM開演。「50歳過ぎたら聴きたいコンサート」として、売り切れぬうちにライブチケットを! 全席指定で一枚3500円。ちなみに僕は8枚の切符を購入した。編集部の有志と、そもそもこのクーペさんを取材したいと『清流』誌へ企画を持ち込んでくれた外部編集者の山中純子さんを誘って行きたい。

     

     

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    ・外部編集者の高崎俊夫さん(左から二人目)が紹介してくれた評論家の上野昂志さん(中央)、編集者の濱田研吾さん(右から二人目)と、デザイナーの西山孝司さん(右)を囲んで会食し、企画会議をした。

    ・まず高崎さんが仕掛けたわが社の本を中心にして話は始まった。とくに、『花田清輝映画論集 ものみな映画に終わる』では、上野昂志さんがこの本の冒頭に「外部に開く 花田清輝の映画批評」と素晴らしい序文を書いてくれた。上野さんは『図書新聞』で長いインタビュー記事を引き受けてくれ、同書を宣伝してくれた。その聞き手をこの本の仕掛け人の高崎俊夫さんが務めた。上野さんは評論家だが、それも映画、文学、マンガ、写真等、文化現象全般にわたる批評を展開するオールラウンドの書き手。日本ジャーナリスト専門学校や日本大学藝術学部でも多くの若い人を指導されており、今後もわが社の単行本執筆者として、とくに書評などの書き手として期待できる。

    ・濱田研吾さんは、京都造形芸術大学芸術学科卒業後、編集プロダクションの?同文社に勤務するかたわら、昭和を彩る名優や放送タレントについての研究を続けている。自費出版した『三國一朗の放送室』(ハマびん本舗)は限定100部、230ページもあり、本文のほか、三國さんの著作一覧、年譜、三國さんが編集したアサヒビールのPR誌『ほろにが通信』の総目次、人名索引と資料も充実していた。この本を高崎さんが高く評価した。そして、わが清流出版で本格的に単行本を出せば売れるはずと提案された。

    ・往年の三國一朗ファンである僕もその話に乗り、上梓することにした。4月中に『三國一朗の世界』と題し、わが社から刊行する予定だ。濱田さんはまだ三十二歳の若さながら新刊、古書問わず本やミニコミに詳しいので、いずれ書き手として大化けする可能性がある。清流出版の若い社員たちへも付き合いを深めて刺激を受けてほしいと僕は思っている。

    ・一連のわが社の本をデザインしてくれている西山孝司さん(右)である。杉浦康平門下といえば実力はうなずけよう。高崎さんの企画した本はすべて西山さんが装丁している。一冊毎に本の内容を熟読吟味し、ぴたりと装丁をしてくれる。この西山さんも映画好きな方だ。映画専門の高崎さんと話す内容を聞くとよく分かる。古いものから新しいものまで映画をよく見ている。視点もユニークで、映画評論家顔負けのアングルから迫る。僕も映画が好きだから、この人たちと話すと燃えるものがある。

     

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  • わが社から初めて物理学関係の本が間もなく刊行される。不思議な縁で飛び込んできた話である。著者・柳瀬登さん(中)と良子さん(左)ご夫妻であるが、良子さんのほうはすでに知っていた。本欄の2006年5月で取り上げた「小熊秀雄・童話の朗読と鼎談の夕べ」や2007年5月の野見山暁治さんと窪島誠一郎さんの「『何となく……「出版記念会」』へ出席された方である。本欄の写真にも映っているはずである。それ以前、月刊『清流』の1998年10月号で、ポルトガル民謡のファドを翻訳していた柳瀬良子さんたちのグループを藤木健太郎君が取材している。いわばわが社の強力なシンパサイザーといえる存在。今回はご主人の企画である。
  • 題して『相対論的力学とローレンツ延長――ルイス・トールマンの誤り・ラウエの強弁・アインシュタインの挫折』という本である。タイトルを見ただけで、僕の理解力を超える本と思っていたが、「まえがき」に当たる「本書の読み方」と「あとがき」を読んで、これはひょっとするとノーベル賞ものの新発見に値する論文に相違ないと直感が囁いた。詳しくは本になったらじっくり読んでほしい。
  • 柳瀬登さんは、最初、中学生に相対性理論を理解してもらおうと書き始めたという。しかし、アインシュタインの『相対性理論』の「電気力学の部」を読み重ねるうち、「力の定義」のあいまいさが気になるようになっていったという。
  • 自らの発案である「電気ボール時計」を使って、思考を深めていくうち、アインシュタインが相対論的力学において最初から大きな誤りを犯し、今日に至ってなおその誤りを引きずっているのではないか、ということに思い至った。そこでこの本の読者対象を中学生から物理学者へ移したのである。だが、もともと中学生向けに書こうとしたのだから、わかりやすさが基本、多少難解でも理解不能ということにならない本だという。
  • 柳瀬登さんは、高校時代から脳の機能に興味を持ち、大学は理系に進むが、生理学的手法では脳の問題を解くのに限界があると考え、哲学へと転身された。知覚と実在の関係についての思索を重ねつつ、相対論への関心もその延長上で生まれてきたという。
  • ローレンツという名前を聞いて僕は、『攻撃――悪の自然誌』『ソロモンの指輪――動物行動学入門』などのコンラート・ローレンツのことと勘違いしていたが、この本のローレンツは全然違うジャンルの人であった。彼の「力のローレンツ短縮」は高校生でも今や知っていると聞いて、理系の知識に乏しい僕は改めて勉強不足を痛感したものである。それにひきかえ良子さんはこうした分野にもお強い。ご主人の理論をよく理解しており、本のコンセプトを噛んで含めるようにわれわれに説明してくれた。さすが夫唱婦随のカップルだと感心した。
  • 相対論誕生から100年後の2005年(世界物理学年)に出版された江沢洋さんの『相対性理論とは?』(日本評論社刊)に大いに触発されて、柳瀬登さんが新発見した新理論。日本物理学会会長の江沢さんにまず読んでいただきたいという。柳瀬さんの希望通り行けば、斯界に物議をかもす一石となるに違いない。
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