2008.02.01深田祐介さん 清川妙さん 泉三郎さん

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  • 月刊『清流』2月号から連載が始まった「あの人、あの時 深田祐介の出会い交友録」の執筆者である作家の深田祐介さん(右)が来社された。深田さんは、工藤美代子さんのご紹介で同誌昨年12月号「著者インタビュー」欄に登場し、それがきっかけで本企画に結びついた。編集担当は秋篠貴子。「人との出会いは人生の宝物。幅広い交友関係を持ち、出会いを楽しむ作家・深田さんが人生のさまざまな場面で、記憶や心に残るシーンを語ってもらう」趣旨である。
  • 僕は深田さんの近著『歩調取れ、前へ!――フカダ少年の戦争と恋』(小学館刊)を読み、1931(昭和6)年生まれの深田さんの波瀾万丈の人生の一端を垣間見た。生家は麹町一番町、父親が深田銀行、深田証券を引き継いだ身分となれば、並みの人生が待つはずもない。フカダ少年の玉砕教練あり、大空襲あり、父親の企業倒産ありと、息もつかせぬ波瀾展開の自伝的小説に一喜一憂させられた。
  • かつて深田さんと僕は何度かニア接近している。深田さんが日本航空広報室次長時代、僕が当時勤務していたダイヤモンド社の月刊誌でアンケート取材したほか、嵐山光三郎、坂崎重盛両人と同行したタイ取材旅行中、泊まった宿がバンコクのオリエンタルホテルで隣室が深田祐介さんだった。こういった偶然もあり、僕は一方的に親近感を持っていたのである。会って初めて分かったのだが、お互い身障者同士。所持している「身体障害者手帳 第1級」を見せ合って、現在の体調を確かめあった。
  • 深田さんは、1976年に『新西洋事情』で大宅壮一ノンフィクション賞を、その後、1982年に『炎熱商人』で直木賞を受賞されている。直木賞受賞をきっかけに日本航空を退社し、作家生活に専念したが、当時、あまり例のなかったエリート・ビジネスマンから売れっ子作家への華麗な転身が、僕にはなんともうらやましかった。
  • 話してみると、共通の恩師・知人が続出し、会話も大いに盛り上がった。わけてもフランス語、暁星学園、早稲田大学、パリ……などの話題で、二人は同じ人、場所、本、文化を共通体験していることが分かった。特に山内義雄先生、田辺貞之助先生、磯村尚徳ご夫妻、藤島泰輔(ポール・ボネ)さん、嶋中鵬二・行雄父子などの話は、本当に懐かしく、興味深かった。
  • その日、わが社から刊行した『聴かせてよ愛の歌を――日本が愛したシャンソン100』(蒲田耕二著)を贈呈したら、数日後、深田さんから「この本のCDを自宅に帰って聞きだすや否や、老化した涙腺がこわれてしまい、大声で泣き出したので、妻が呆然と見ておりました」というFAXを送っていただいた。「なぜ泣き出したかといえば、CD技術のすばらしさに驚愕致したからであります。選曲、解説のみごとさもさることながら、CDのマスタリングにはまったく脱帽しました。日本技術陣の大ヒットと存じますが、古いシャンソンの原盤の音質をしのぐものがある、といまだ感動醒めやりません」――深田祐介さんもズバリ認めている。やはり分かる人には分かると、この本を編集した藤木健太郎君と僕は快哉を叫んだ!

 

 

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  • 作家・エッセイストの清川妙先生(中)が、わが社から上梓された『楽しみながら、すこしずつ 今日から自分磨き』の献本作業に来社された。この本で清川先生は、わが社から4冊目の刊行になる。これまでに刊行された3冊は、『古典に読む恋の心理学』『名画で恋のレッスン』『出会いのときめき』。いずれも素晴らしい本で、女性たちに圧倒的な支持を受けてきた。
  • 清川先生とのお付き合いも、月刊『清流』創刊3号目からだから、15年の長きにわたる。はじめは、「伊勢物語」を各章毎に解説する美しい文章を『清流』に連載してくれた。清流出版の編集者で、雑誌、単行本で清川先生の担当をしなかったのはごく少数である。この本の担当編集者である秋篠貴子(左)も先生から徹底的に「ていねいな」取材、執筆、編集を学び取った。そういう意味では清流出版の各編集者を鍛えてくれた師匠とも言える存在である。
  • 先生の娘さんである佐竹茉莉子さんも、わが社の雑誌、単行本協力者としてなくてはならない存在だ。親子ともども清流出版に尽くしてくれる有難い方々である。その佐竹さんも2月初旬に、写真と文章で構成される単行本『道ばた猫ものがたり』を上梓予定。編集担当者は藤木健太郎君。猫好きの佐竹さんは、取材先で時間を見つけては、ネコ語で話しながら持っているデジカメで、道ばたの猫たちを撮影してきた。おめでたい猫、やんちゃな猫、乱暴な猫、愛くるしい猫、いじけた猫、はずかしがりの猫……、猫たちとの出会いを楽しんでいる。ユニークな「影猫」ページだけでも読者にぜひ見てもらいたい。
  • 清川先生は、いま86歳。53歳から英語学校に通い、65歳でイギリスへの一人旅をした。以来、これまでに十数回、ご自分で武者修行と名付けた外国一人旅をしてきた。精神的にも肉体的にもみずみずしい女性で、どう見ても70歳位にしか見えない。12年前相前後して、ご主人とご長男を亡くされた。その時、清川さんのご自宅(市川市)にお悔やみに行ったのがつい昨日のように思い出される。その頃は僕も健常者だったが、翌年、脳出血で右半身不随になった。清川先生との出会いは、僕にとって稀有のことで、人生の素晴らしさを実感している。清川妙先生、佐竹茉莉子さん親子のほぼ同時出版を記念して、ぜひお祝いの食事会を催したいと思っている。
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  • 久しぶりに泉三郎さん(左)がわが社を訪ねてくれた。泉三郎さんのお名前はペンネームで、本名は樫崎規夫さん、号は櫻舟である。かつて月刊『清流』で、「こころのエッセイ」や「獨楽庵随想」を執筆していただいた。
  • 泉さんとは、ダイヤモンド社時代に編集者として、『新・米欧回覧の記 一世紀をへだてた旅』を担当した。以来、二十年にわたる長い付き合いである。千利休ゆかりの茶室「獨楽庵」で有名な懐石料亭「美ささ苑」も経営している一方で、文化的な事業、著書も多い。
  • 泉三郎さんが主宰する「米欧亜回覧の会」で、約十五年前に紹介された拓殖大学日本文化研究所所長・井尻千男さんが、わが社から『男たちの数寄の魂』を刊行したのでお贈りしたところ、ちょうどその頃、泉三郎さんも樫崎櫻舟の号で『利休ゆかりの茶室 獨楽庵物語』(講談社刊)を出された。
  • その書評が数日前、産経新聞に載ったということで、直接持って来てくれた。評者は古美術鑑定家の中島誠之助さんで、《この地に安住の地を得た利休ゆかりの茶室「獨楽庵」の数奇な運命をたどる物語は、さながら絵巻物を広げるように読者を魅了してやまない》と絶賛している。僕が前に住んでいた八王子の自宅からは、美ささ苑、獨楽庵も近く、よく訪ねたものだ。泉さんの点てたお抹茶を戴いているが、いまとなっては懐かしい思い出である。
  • その日、持参されたCD「名歌でめぐる世界の旅 八十分間世界一周」を、後日、聴いてみた。歌・語り―泉三郎 ピアノ―伊勢沢ゆきとある。なんと泉さんが、イヴ・モンタンばりの美声でメドレーを歌う実況録音版。要所要所には語りで、岩倉使節団のことなどを触れている。なんとも若々しい。お見事な趣味であることが分かった。いや70歳超えるプロの歌手誕生かな。
  • 泉さんの手掛けている「岩倉使節団」関連の文化事業は、素晴らしい。とくに最近は、2004年8月にNPO(特定非営利活動法人)を取得、事業展開もますます盛ん。「日本の近代史」を学び、「温故知新」の精神を以って、現代日本の直面する諸問題についても率直に意見の交換を行い……「よりよい日本」、「よりよい世界」のために、寄与・貢献する云々の趣意書にはただ脱帽。このジャンルの成果はどしどし社会に還元してほしい。
  • いま泉さんの関心事を列挙していただいたところ、なんと約二十項目を列挙された。大雑把なところ「講演、卓話、映像語り、歌語り」の四ジャンル。僕はこの項目の中から、「旅の話」関連を本にまとめたいと思った。一橋大学在学中には、石原慎太郎さんらとスクーターで六ヶ月間かけ南米大陸横断の旅行をやったという。その後も、岩倉使節団の米欧回覧実記めぐりや、数々の世界旅行をし、豊富な旅の体験をお持ちの方。そうした旅行譚、冒険譚から、面白く、ためになる旅行術を伝授していただこうとの狙いである。