加登屋のメモと写真…: 2003年11月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2003年11月アーカイブ

今月の単行本ラインナップ

清流出版 (2003年11月 1日 17:57)

   本格的な読書シーズンを迎え、今月のわが社の単行本ラインナップは、写真集からはじまって、翻訳もの、評論、エッセイ集などバラエティに富んだもの。
   まず、日本初の女性報道写真家・笹本恒子さんの『昭和を彩る人びと――私の宝石箱から100人』で、昭和を代表する歌手、俳優、作家、スポーツ選手、政治家など100人の貴重な写真が満載された本を刊行した。次に翻訳もので『犬のいる生活「なんでも百科」』(ジーナ・スパーダフォリ著 藤崎リエ子訳)、『猫のいる生活「なんでも百科」』(ジーナ・スパーダフォリ、ポール・D・パイオン著 小田嶋由美子訳)の2冊を同時刊行した。犬及び猫の飼い方についての、あらゆる疑問に答える企画である。
   ペットを飼いたいと思ってはいても、初めてだとどのようにペットと付き合っていったらいいのかがよくわからない。これは洋の東西を問わず共通だ。少なくともイヌ、ネコに関しての疑問点は、この本があればほとんど氷解するはず。イヌ、ネコを飼いたいと思っている人は是非、活用してもらいたい。
   次は、保阪正康さん監修、江口敏さんの『志に生きる! 昭和傑物伝』である。民俗学の父・柳田國男、ダルマ蔵相・高橋是清、悲劇の洋画家・藤田嗣治をはじめ28人の傑物たちが登場する。研究家や身内など傑物を知悉した人たちが語っているだけに、知られざる人物論の趣があり興味を惹かれる。
   最後が、中平邦彦さんの『西からきた凄い男たち――と金に懸けた夢』。タイトルからして想像がつくと思うが、わが社では初の将棋の本である。すでに何ヶ月か前の本欄で「清流出版は、内容がよく売れるものだったら何でも手がけたい」と宣言したように、今後は、人気の囲碁・将棋のジャンルにも手を広げてゆくつもりだ。
   わが社の社員には将棋好きが多い。決して強いとはいえない、下手の横好きである。金曜日の夜ともなると、女性社員の秋篠貴子も含め、仕事が一段落した社員同士、「一手、お手合わせ願いたい」と盤面の前に並ぶ。その意味では、『西からきた凄い男たち――と金に懸けた夢』は、まず職場内で仕事と趣味が一致した企画として大好評。著者の中平邦彦さんは元神戸新聞社論説副委員長だった。観戦記者としても長く、「原田史郎」のペンネームで活躍し、著書『棋士その世界』『現代ライバル物語』などをはじめ、数々の名著を出している。営業の田辺正喜も、「この本を是非とも売ってみたい」と意欲満々である。さいわいにも、この本は市場(取次・書店)からの印象は好意的。まだ店頭に出て間もないが、売れ行きに大いに期待している。
 
   私が以前在籍した出版社は、伝統的に将棋好きが多かった。それもそのはず、創業者・石山賢吉(明治15年生れ?昭和39年没)翁が将棋に思い入れが深く、かつて自社のメイン雑誌に毎号、将棋のコラムを執筆していたほどだ。その他に、他社の時事新報と大阪新聞の将棋観戦記を請われて、執筆していたほどの将棋愛好家であり、名文誉れ高い書き手でもあった。
   その出版社(ダイヤモンド社)は、今年で創立90周年(わが清流出版は創立10周年)を迎えるが、私が大学を卒業して入社した年は、創立50周年に当たる記念すべき年だった。その頃は、社屋に大名人の木村義雄さん(14世名人)の個室が設けられていたほか、当時、将棋連盟の渡辺東一会長(名誉九段)が時々来社し、その門下生である二上達也九段(後に将棋連盟会長)をはじめ佐藤大五郎九段(当時六段)、勝浦修九段(当時奨励会で初段)等、錚々たるメンバーが、社員の将棋指導に訪れた。役員や社員にはアマチュアの高段者もいて、新入社員の私が下手な手を指すと、露骨に罵声・叱正を浴びた。詰襟姿の高校生、勝浦修さんには二枚落ちで指導された。勝浦少年は寡黙で、アマチュア相手でも絶対に手抜きせずというスタンスを崩さなかった。何度挑戦しても、勝たせてくれなかった。さすがプロという根性を、まざまざと見せ付けられた思いがした。
   先頃、わが社から『日本復活の救世主 大野耐一と「トヨタ生産方式」』を出版された三戸節雄さんは、私の入社時、大阪支社に赴任していた。佐藤大五郎さんに指導を受けた三戸さんによると、当時、まず大阪・北畠の将棋連盟に行き、次に通天閣下の将棋道場を訪れて真剣勝負をしたという。第一線の雑誌記者として立派な記事も書いたが、将棋の世界でも本格的に腕を磨き、精進したと想像する。それに引き換え、私など強い先輩社員には歯が立たず、入社後数年で諦め、東京本社の将棋ルームからは遠ざかった。
   だが、石山賢吉が書いた将棋に関する文章は好きで、古い雑誌を引っ張り出して読んだものだ。今も記憶の底に鮮やかなのは、坂田三吉八段と大崎七段の観戦記である。香落番の坂田八段が一手目に角道を開けないで角の脇へ銀を、三手目に角頭の歩を突いたとある。上手が初手に角道を開けるのが香落ち将棋では、古来、幾百番、幾千番指されているのに、坂田八段は新手で指した。この奇想天外な妙手を、創業者は実際に見ている。こういう歴史的な一局を見て、新入社員である私の記憶に残る名文を表わしていたのである。
 
   脱線するが、私の入社は昭和38年で、当時、石山賢吉会長は81歳の病身を厭わず、我々取材記者連中(いま思い出しても、恐るべき猛者ばかりだった)を月に一度集めて「会長文章教室」を開くのを唯一の楽しみにしている様子が見えた。海千山千の古手の猛者連中もこの時ばかりは、借りてきた猫みたいになって、会長の言う今月の本誌(メインの週刊経済雑誌)を見て「誰々の文章が良く書けていた」「誰々みたいに取材をし、話を聞き出さなくてはダメだ」「何々の文献や古典を読め」......などの苦言に素直に頷くばかり。私は特に、頼山陽の『日本外史』を創業者が情熱的に語ったのが印象に残っている。
   その後、ご病気が進み「会長文章教室」も2ヶ月に1度から、3ヶ月に1度位になり、翌昭和39年7月にはお亡くなりになった。会長の最後の薫陶を受けた新米記者として、伝統を守ることの難しさが、今になって少しは理解できるような気がする。後進を育てようとする熱意に真剣になって応えたかどうか、内心、忸怩たる思いがする。会長は最晩年まで後進を育て、自分を乗り越えていってほしいと思っていたに違いない。現在の社員や経営陣が、創業者の遺志を継いでいるかどうかは分からない。が、少なくとも創立90周年の記念すべき年に、われわれOBの一員としても何かお役に立ちたいとの気持ちはある。
   私は、創業者・石山賢吉の全貌を理解しているとは思わないが、お書きになった将棋観戦記、特に坂田八段の新手のくだりを読んで、我々の仕事にも相通じるものがあると思う。「新手一生」という。清流出版のあらゆる仕事も、かくありたいと願う。前例に囚われず、次の一手を新しく捻り出す気構えで挑戦したい。
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