加登屋のメモと写真…: 2003年1月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2003年1月アーカイブ

徳岡孝夫さん来社

清流出版 (2003年1月 1日 17:31)

   暮れも押し迫った某日の夕刻、月刊『清流』のレギュラー執筆者のお一人、徳岡孝夫さんを会社へお招きし、語り合う機会を設けた。徳岡さんには清流出版創業以来、雑誌・単行本の各種企画で一方ならぬお世話になっている。
   実は、新春早々、文藝春秋刊行の『諸君!』編集部主催の「徳岡孝夫氏執筆五〇周年を祝う会」が東京外人記者クラブで開催される。私もその会に出席の返事を出しているが、その前に清流出版でささやかな前祝いをしたかった、というのが本音である。
   ご自身お目が不自由であり、年末のせわしない雑踏の中を、杖をつきながら横浜からお出でいただくのは大変失礼かとは思ったのだが、「一度、清流出版の新しいオフィスを見てほしい」との勝手な理由付けをし、無理を言ってお越しいただいた。オフィスから間近い「寿司政」で一献差し上げることになった。
   この日も、徳岡さんの卓抜とした話術は冴え渡った。関西弁交じりの独特なしゃべり方で、歌舞伎・能の話から始まって、映画・文学・政治まで、何を語っても興味深く、薀蓄があって、あたかも高級な漫談、いや上質の講義を聞くような雰囲気だった。特に教え子の女子大卒業生たちとの旅のエピソードは、一編の掌編傑作小説を読むような気分にさせられ、まさに至芸、「徳岡節」に酔ったものだ。
   最後に、「人生は邯鄲の夢なり。盧生がアッという間に経験した一生の如し」という故事を例に引きながら人生についても語ってくれた。私は徳岡さんの来し方をよく知るだけに、話し振りの中に達観した人生観と、先年、最愛の奥様を亡くされた寂しさを感じた。
   徳岡さんは、月刊『清流』の創刊号から「明治の女性」をテーマにした連載を4年間、その後、現在の「ニュースを聞いて立ち止まり......」を毎号、ご執筆いただいている。また、単行本でも、『三島由紀夫 世と死』
、『翻訳してみたいあなたに』の2冊を小社から刊行させていただいた。
   徳岡さんとのお付き合いは、私が以前勤務していた出版社で『アイアコッカ』の翻訳を依頼して以来、著者=編集者の関係が続き、ざっと20年ほどのお付き合いになろうか。私の編集者人生の中でも多くの交友関係が生まれた。その中でも徳岡さんは特に光り輝く存在である。数冊のベストセラーを含む名翻訳をもたらしてくれ、私にとって生涯の恩人というべき人である。
   いつもながら、徳岡さんの名文、博識ぶりには驚かされるが、つい最近も、『諸君!』誌上で山本夏彦翁の追悼文を拝読し、思わず唸ったばかりだ。あの久世光彦さんも、「徳岡孝夫氏が書いている雑誌に書きたい」と月刊『清流』を評価しているという噂を聞いたが、編集者としてこれに勝る喜びはない。
   先月、この欄に書いた安原顯も、『読んでもたかだか五万冊! 本まみれの人生』で、徳岡さんの『五衰の人 三島由紀夫私記』を書評として取り上げている。
   安原によると、《彼(徳岡さん)は当時、ドナルド・キーン『日本文学史』の翻訳者として毎月、大日本印刷の出張校正室に現れ、素早く校正を済ませると、われわれに気を遣って無駄話一つせず、さっさと帰って行った。帰り際にわれわれがタクシーを呼ぼうとすると、毎回必ず「よろし、よろし」と関西弁で断り、「じゃあ」と言って、さっと消えた後ろ姿をいまなお鮮明に思い出す......》と、徳岡さんについて活写している。
   (ヤスケンこと安原顯の病状は小康状態を保っており、入院先の慶應病院から年末年始、一時、自宅に戻ってもよいとの許可を得たと聞いて、私も一安心しているところだ)
   著者・訳者として徳岡さんは、私がこれまで付き合った「最高の人」である。締切りは必ず守る。校正ゲラも手抜きはせずにしっかりと見る。そんな人だから、細部についてもおろそかにはしない。疑問があれば、文献等を木目細かに調べて検証する。その結果を踏まえて、大胆に文章にするところも凄い。
   編集者のだらしなさ、いたらなさを責めないのも徳岡さんらしい。お付き合いをしていると、ありとあらゆるジャンルに向学心が湧く。いうならば徳岡さん自身、類まれな嗅覚の持ち主なのだ。普通の人であれば見過ごしてしまう、なんの変哲もない事象に興味を抱き、面白さを感じている。その視点の斬新さは、月刊『清流』の「ニュースを聞いて立ち止まり......」にも遺憾なく発揮されている。だからこそ、一級のジャーナリスト足りえたともいえるのだが。
   徳岡さんについては、まだまだ書き足りないが、特筆すべきは、清々しいまでのその仁者ぶりである。ヤスケンが書いていたように、出版社側が用意したタクシーを断ることにも象徴されるが、常に身銭を切る人なのだ。私は徳岡さんが毎日新聞の記者時代から、何度、奢ってもらったか、わからない。その度に「よろし、よろし」の人。こんな爽やかな著者と出会えて、私は果報者だとつくづく実感している。

 

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徳岡孝夫さんは、いつも左の写真のように機嫌のよい表情を見せている。僕がたまたま同席したドナルド・キーンさんとも、別の時、ヘンリー・スコット=ストークスさんとも、ユーモア溢れる語学力を駆使して、笑いの渦に巻き込んだ。徳岡さんのように、外国人とも丁々発止と渡り合い、上質なジョークを交えながらしゃべれる人は少ない。英会話が堪能であることは、世界的視野を広げ、一流人とのお付き合いも深めることができる。そんな徳岡さんも、影では人知れず悩みがあるはず。でも、徳岡さんはそんな気配を周りの人には微塵も見せない。人の気をそらさず、常に気遣いを忘れない。やはり人生の達人だと思う。

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