加登屋のメモと写真…: 2002年8月アーカイブ
加登屋のメモと写真…
2002年8月アーカイブ

草柳大蔵氏死去

清流出版 (2002年8月 1日 16:50)

   このホームページの原稿を書こうと思った矢先、草柳大蔵氏死去のニュースが飛び込んできた。昨秋、草柳さんの『ふだん着の幸福論』をわが社から上梓していただいたばかりだったので、正直言って驚いた。刊行直後、八重洲ブックセンターで著者サイン会をお願いしたのだが、その時も終始お元気な振る舞いだった。サイン会後、ワインを飲みながら会食し歓談したのだが、次回作の抱負などを話されたこともあり、私は草柳さんの長命を確信していた。
   私が草柳さんと初めてお会いしたのは、今をさかのぼること35年も前のことで、当時、27歳の駆け出し編集者だった。やや陳腐な「紳士の条件」というタイトルの長い雑誌原稿依頼だったが、快く引き受けてくれた。すべてを見透かすような眼光の鋭さが印象に残っている。当時最高の売れっ子ルポライターの時代だった。
   いろいろの意味で、惜しい先達、ジャーナリストを亡くしたという想いがする。草柳さんの座右の銘は「偏界カツテ蔵サズ」。草柳大蔵さんらしい、心に残る箴言である。あらためて心から合掌、ご冥福をお祈りしたい。
   話は変わるが、最近、わが社にとって二度目となるオフィスの引越しをした。今度のオフィスは、神田神保町。大学時代からよく古本屋通いで来た町で、まるで学生時代に戻ったような感じがしている。
   仕事でお付き合いのある敬愛する野田穂積氏の実家が、その昔、わが社の引越し先付近にあったようだ。石屋さんを営んでおり、石置場があって、子供のころはよくそこで遊んだという話を聞いた。半世紀を超えて、このあたりの空間の変遷を想う。
   振り返ってみれば、わが社が一番初めにオフィスを構えたのが、九段北のマンションの一室。滝沢馬琴がかつて硯を洗ったことで知られる「硯の井戸」が今でも残っている建物。出版社の出発点としては、幸さきのよい場所。平成6年、『清流』を創刊した年、偶然にも私の中学生時代の恩師(吉永仁郎氏)が、自作の戯曲『滝沢家の内乱』を紀伊國屋ホールで演出したことも奇遇。早速、同ホールへ観に行き、大滝秀治と三田和代の演技を見て、この場所がわが社の出発点であることを再認識したのも懐かしく思い出す。
   いずれにしても、「新しい皮袋に新しい酒を!」のつもりで、立派な出版社となるように精進することを心に誓った。

 

 

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草柳大蔵さんはダンディでお洒落な方であった。趣味のいいネクタイに胸元にはポケットチーフ。生地のよい背広でビシッと決め、さながらイギリスのジェントルマンを彷彿とさせた。無頼漢の多いトップ屋の頃から、身だしなみには注意していた。草柳さんの文章には気品があった。レトリックが効いており、時局ものでも格調すら感じた。これほどの論客は、しばらくは出ないであろう。時代の寵児として売れっ子の頃、久しぶりにお会いしたことがあった。その時、私を覚えてくれていた上に、「また、いいテーマを見つけたら書きますよ」とおっしゃった。その時の感動はいまも胸に熱い。その時から25年が経って、わが社から『ふだん着の幸福論』を書き下ろしていただいた。次作の教育論の執筆もお願いしていただけに、その早すぎる逝去に心が痛んだ。

 

 

 

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 八重洲ブックセンターで著者サイン会を催した際の一駒。左から、草柳さん、私、臼井出版部長。当日は、読者の列が延々と並び大盛会でした。

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