アーサーの「晴走雨録」
アーサーの「晴走雨録」

〈第4回〉ぼくの好きな原子力

 原子力発電所が動くと、厄介な核分裂性物質から、より一層厄介な核分裂生成物が大量に生み出される。なにしろ広島に投下された原子爆弾がやってしまったことを、原子炉の中でじりじりやらかすわけだから。

しかも広島の原爆では、1キロ程度のウランが核分裂を起こしたが、標準的な原発に詰まっている量はその1000倍にもなる。13ヶ月ばかり稼動すれば、ただでさえ危険なウランが、桁違いに毒性の強いプルトニウムなどに化ける。それらを「使用済み燃料」と呼ぶが、実際は長崎型原爆や水爆に、これから使える物質だし、なにひとつ「済み」にはなっていない。そのプルトニウムを核兵器に転用しないとして、ただただ保管するだけでも、数万年の間ずっと冷やしつづけなければまた暴れ出すのだ。

人間の力は、放射性物質をわんさか作ることができる。でも人間の力では、その物質の後始末はこれっぽっちもできない。「再処理工場」の名のつく施設はあっても、無毒化につながる処理は不可能だし、「最終処分場」という言葉を専門家は平気で口にするが、そんな話は絵空事もいいところだ。

 従って、原発を稼動させることが無責任極まりないとぼくは思う。新規のものを諦めて、今ある原発を即停止し、すべて廃炉にすべきだと、ぼくは声を大にしていう。日本もアメリカも他の核保有国も例外なく、原発と原爆と手を切るべきだ。

が、こんなぼくでも、問題なく容認する原子力はある。

ぼくが喜んで肯定して、みんなに広めたいその原子力は、青森県弘前市の一角にひそんでいる。寺院と杉並木が美しい禅林街の近く、閑静な住宅街を歩いていくと、やがて「原子力電機」の看板に出会う。一部上場企業ではなく有限会社で、原子炉建屋よりうんと小ぶりな2階建ての店舗だ。

正直いうと、ぼくは弘前の原子力電機のオーナーには、まだ直接お会いしたことがない。お盆のころに伺ったので、店は閉まっていた。でも、ちょうど夕涼みの散歩に出かけようとしていた隣のおじいさんと、少し立ち話をして店名の正確な読み方を教わった――「ハラコチカラデンキ」。おまけにそのおじいさんは「最近ほとんど毎日、新聞の1面に名前がのるんだなぁワッハッハ!」といって、ひとり大笑いした。

後日、「原子力電機」に電話して聞いてみると、「力」が店主本人ではなく、息子さんの名前だと分かった。天からさずかった子が力強く育つようにと、願いをこめたという。

きのうきょう流れてくる、出口の見えないニュースに、気が滅入ってしまいそうになってそこで、原子力さんのことを思い浮かべる。そしてこっそりと新聞を読み直す。「ハラコチカラ安全委員会」「国際ハラコチカラ機関」「ハラコチカラ基本法」「ハラコチカラ村」「福島第1ハラコチカラ発電所」

日本の政府も経済団体も愚劣な原発袋小路に入り、過酷事故を起こしても悔いあらためる気配すらない。けれど、日本語という言葉には、原子力を脱する出口がもうひとつ、ちゃんと備わっていた。まだまだ捨てたものではない。

 

(2011年11月4日)

 

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〈第3回〉「平和」の利用法

 知覧を目指して飛んで行ったわけではない。

戦争と平和と日米関係について鹿児島市内で話をすることになり、当日、羽田空港から昼の便で出かけた。講演の翌日はゆっくり桜島でも眺めながらすごして、午後の飛行機で帰京しようと思っていた。ところが、鹿児島の知人たちが「特攻隊の出撃基地はもう見たでしょ?」「え、知覧はご覧になったことない?」「それは一度見物しないとね、一度だけでいいけど」というので、足をのばすことにした。早朝出発の強行軍で。

車が南九州市に入ってしばらくすると、「特攻平和会館」の道路標識が目に飛び込んできた。かわいらしい戦闘機のマークが端のほうに添えられ、日本語の真下にはPeace Museumという英訳も書かれているではないか。たったの二語、堂々とPeace Museumとだけ。

「平和博物館」でも「平和展示館」でも「平和記念館」、「平和資料館」、「平和ミュージアム」、あるいは「平和会館」のイングリッシュ・バージョンとしてもPeace Museumは当てはまるだろう。しかし知覧の場合は、陸軍特別攻撃隊の「特攻」が頭についているのに、英語では一切それに触れずPeace Museumと呼んでいる。大胆というか、大雑把というべきか、それともズルイといったほう正確なのか。

ま、「特攻隊」を英語に置き換えるならKamikaze Pilot Corpsとなる。じゃなければSuicide Attack Squadとか。いずれにしろPeaceとは噛み合わない性質のものなので、もしそのまま合体させたら「自爆平和攻撃会館」みたいな、奇妙な看板になりかねない。そんな矛盾を回避できたという意味では、もしかしてPeace Museumはズルイながらも上手な訳といえるかもしれない。

 よくよく考えれば「特攻平和会館」という日本語名も、同じ矛盾を内包している。「特別攻撃隊」と「平和」とは相容れない関係にあり、本来ならもっと違和感を覚えなければならないはず。だが、省略された「特攻」は、それだけで毒をだいぶ抜かれているし、「平和」についても、みんなどこか慣れっこになっている。

 会館にたどりついて、五百円の入館料を払い、三つ折の案内パンフレットを日本語版と英語版と両方もらって見ると、本当の正式名称は「知覧特攻平和会館」Peace Museum for “Kamikaze” Pilotsだと分かった。この長いほうの英語バージョンも、ずいぶんと工夫されてあって、日本語にもう一度戻して訳せば、「神風の隊員たちのための平和記念館」といった雰囲気だ。つまり、前置詞のforを利用してKamikazePeaceをやんわりと結びつけることで、矛盾をうまくボカしてPeaceを「平和」よりも、むしろ「安らかに」に近いイメージに変えることができた。だれの仕事か分からないが、巧妙な訳者が雇われ、会館のネーミングにかかわったに違いない。

 「隼(はやぶさ)」や「疾風(はやて)」や「零式(れいしき)」の戦闘機の実物、基地の模型、隊員たちの写真や遺品、遺書、絶筆などが展示してあって、どれも切実で、一点一点ぐっとくるものがあった。しかし、太平洋戦争の全体を見わたす視点は、会館のどこにもなく、本当の因果関係と向き合う姿勢も、責任の所在を探ろうとする努力も、見事なまでに欠けていたのだ。結局は若き犠牲者たちが今も、あいもかわらず戦争の負担を全部押しつけられている印象が残った。

帰るころには、ぼくは漢字をちょっと差し替えてこっそり改名したくなっていた。「知覧特攻美化会館」

ついでにMuseum for Romanticizing “Kamikaze” Pilotsと、英語の新名称も作っておいた。

 東京へ戻って次の日の午後、練馬区平和台で打ち合わせがあった。今までに何十回も行っている場所だし、自転車で通過した回数も入れれば二、三百回は出かけているだろうが、平和台が「平和」のことを考えているのかなと、気になったのはその日が初めてだった。その週末にはラジオの仕事で青森へ出かけ、市内をラジオカーで巡っているときに、平和公園に立ち寄った。青森市の「平和」に対する本気度はどうかなと、やはりふと思った。

 「平和」を使った地名や公園名や通りの名前が全国津々浦々にわんさかあって、あちらこちらで「平和食堂」だの「平和湯」だの「平和不動産」だのが営業して、生活にしみ込んでいる言葉であることは間違いない。それに、日本列島には五十四基もの原子力発電所があり、どれもみんな「平和利用」という旗の下で建設され、稼動させられてきた。

実際には、核兵器開発の中で作られた原子炉と核分裂性物質が、一貫してずっと核兵器の維持と拡散と支配構造のために活躍して、今も「軍事利用」を支える土台だ。でも、そんな本性が一般市民に見えてしまうとマズイので、新商品のピース・バージョンをでっち上げる必要があった。わざわざタービンを回してエネルギー政策のパッケージに包み、「平和利用」とうたって売り込んだのだ。核兵器のカムフラージュになる核燃料、原爆の隠れ蓑になる原発――核分裂のスピードこそ異なるけれど、生み出される死の灰も、生命へのダメージもまったく同じ。

そのつながりが見えてくれば、「平和利用」の真意もやっと理解できる。要するに、「平和」のための核の「利用」ではなく、「平和」という言葉をペテンの道具に「利用」しているわけだ。そのペテンによってもたらされる被害の甚大さを思うと、知覧の「特攻平和」は、ほんの些細な矛盾に映る。

桁違いに罪深い原子力の「平和悪用」を、ぼくらが本気になって食い止めなければ、もはや「平和公園」も「平和通り」もぶらぶら歩いている場合じゃないし、「平和食堂」でもぐもぐ食べている資格もない。

 

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〈第2回〉放射能の都合

 「規制緩和?」というと、「規制緩和」という。「郵政民営化?」というと、「郵政民営化」という。「グアム移転費払う?」というと、「グアム移転費払う」という。「TPP入る?」というと、「TPP入る」という。米政府と日本政府は「こだまでしょうか?」と疑りたくなるほど、重大な決定についていつも歩調も口調も合わせる。しかも菅政権になって、それまで以上に両国の夫唱婦随ぶりが顕著になった。でもどういうわけか、メルトダウンをきたした福島第一原子力発電所の危険に関しては、総理官邸とホワイトハウスの言い分の間に、大きな溝が生じている。
 日本政府は、原発から半径20キロの地域住民に対して、圏外へ退避するよう指示した。さらに20キロから30キロまでの地域の住民には、屋内退避をいったん命じておいて、のちに自主避難を促した。しかし風がどう吹こうと、数値がどう上がろうと、プルトニウムが検出されようと30キロよりもっと広げる決断は、気配すら伝わってこない。一方、オバマ大統領は早々と、日本にいるアメリカ人に対して福島第一原発の50マイル圏外へ避難するよう勧告した。50マイルとはおよそ80キロ、立ち入るべからざる区域のこの歴然としたズレは、いったい何を意味するのか。
 友だちの実家が福島県南相馬市にあり、去年その田んぼで育った美味しい米を、東京のわが家で日々炊いて食べていた。20キロから30キロまでの「屋内退避あらため自主避難」の狭間の地帯に、その家も田んぼもすっぽり入っているので、もし今からぼくが会いに行こうとしたら、米大使館のみならず日本政府当局からも「やめなさい」と諌められるはずだ。ただ、郡山市に住む友人の家に、ぼくがもし出かけようとした場合は、日本政府が「どうぞいってらっしゃい」とでもいうようにまるっきり問題視しないのに対して、母国の政府は「危険だ」と警告している。ぼくが講演会などで世話になっている福島市の県立美術館へも、次の企画展の打ち合わせのために行けるような、行けないような、矛盾に挟まれた状況だ。永田町のいうことを聞けばOKで、ワシントンに耳をかせばNGとなる。
 ラジオの仕事でぼくは17年前から、月に1度のペースで青森に通っている。だいたい東京駅八重洲口から夜行バスに乗って北上して、放送が終わればあれこれ道草を食いつつ、電車に乗って帰郷することが多い。でも現在はそれらの交通手段も、米国民にはオフリミットだ。日本地図を広げて、東北自動車道と東北新幹線の線路を指先でなぞり、どっちも80キロ圏内を走っていることを確認。なるほど日本政府の避難指示が30キロ圏にとどまっている意図が、このあたりだったのか。
 要するに、本当の危険がどんなに高まったとしても、新幹線と高速道路に食い込むような避難区域だけは、日本政府は避けたいに相違ない。経済への打撃は計りしれず、寸断された本州の流通は立ち行かなくなる。しかも郡山市や福島市が退避の対象となったら、とても対応できず、もちろん損害賠償など論外と、政府は判断しているだろう。人命とか安全とか以前に、コストが優先されていることを、地図ははっきりと語りかけてくる。
 ま、米国籍の一般人が郡山と福島と東北自動車道と東北新幹線から姿を消しても、天下の回りものは回せるはずだから、アメリカ政府が独自の避難勧告に踏み切ったのではないか。それもきっと日本政府と話し合って、綿密なレトリック計算の上、距離の単位を巧みに使い分けて「50マイル」と決めたのだろう。「30」と「50」とパッと聞けば、さほど大きな差異が感じられないし、追っつけマイルがキロに換算されて「80」とわかったとしても、それもまだぎりぎり許容範囲内のギャップか。オバマ大統領がもし「70マイル=110キロ」の避難勧告を出していたなら、日本国民に強い衝撃を与えたことは間違いない。
 権力者が利権をなによりも最重要視することは、まったく驚くに及ばない。歴史とは、そんな累々たる実例の山といっても過言ではない。しかし特に悲惨なのは、今の権力者たちが人命を軽視しているのみならず、相手を完全に間違えている点だ。放射性物質を向こうに回して、従来のごまかしを通そうとしているが、セシウムというヤツは東京電力やJR東日本や大手電機メーカーがぶっつぶれようと、知ったことじゃない。子どもたちの甲状腺癌と白血病の発症が爆発的に増えて、日本の医療制度が崩壊してしまっても、ヨウ素の側は一向にかまわない。銀座、六本木、新宿、白金、霞ヶ関、永田町も含めて、福島原発から半径300キロ圏内が永久に住めない荒れ地と化しても、ストロンチウムは平気の平佐だ。枝野官房長官がどんな詭弁を弄したって、石原都知事がどんなに強がったって、メガバンクが東京電力のどんなメガ融資をしたって、プルトニウムは人々を苦しめつづける。良心の呵責とは無関係に、万年単位で。
 経済産業省の原子力安全・保安院は、福島第一原発の1号機と2号機と3号機がメルトダウンして1ヶ月以上経ってから、事故深刻度の暫定評価を「レベル7」とした。現実の壁にぶつかり、原子炉が手に負えず、欺瞞の限りをつくしてはみたものの、逃げ場がなくなってやっと「最悪の7」を認めた印象だ。それでも日本政府は、原発から半径30キロというリミットに、あくまでもしがみつくのか。
 放射性物質のほうは3月11日から一貫して、すべての生物を細胞をじりじりと壊している。永田町と兜町と原子力安全・欺瞞院の都合など、眼中にないのだ。

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〈第1回〉日米口臭協定締結?

  わが家では「口臭協定」を結んでいる。もしぼくの息が臭かったら、妻はそれを教えてくれる責任がある。気づいたらすぐに。こちらも、妻の口臭を嗅ぎつけた場合、ためらわずに知らせなければならない。
 相手が虫歯になっている可能性があるし、口は健康のバロメーターなので、異常を早くキャッチしたほうがいい。しかも口臭は、本人が自覚しないことが多く、なにしろデリケートかつパーソナルな問題だから、気づいても他人にはなかなかそのことを口にできない。なんでもいえるはずの夫婦間で、互いの探知器を請け負おうと決めたわけだ。
 実は、そもそもそんな話し合いのきっかけとなったのは、イソップ物語だった。日本ではあまり語られていない一話なのだが、生きていく上で、とても大切な智恵が詰まっている。

「ボス・ライオンとその子分たち」

 ライオンはまわりの動物たちをこきつかい、腕力にうったえたりして、みんなを支配下においていた。
 ある日、子分の羊を呼びつけて、ライオンは聞いた。
 「おい、こっちへこい。おれの息が臭いかどうか、ちょっと嗅いでみろ」
 ライオンが口をあんぐりあけて「はあああぁぁぁ」と息を吐くと、羊は顔をしかめて「ずいぶん臭いですね」とこたえた。
 「ぶれいものめ! 食ってやる!」 ライオンは羊をかみころし、ガツガツゴックンゴックンとのみこんでしまった。
 しばらくして、こんどはライオンが子分の狼を呼びつけて聞いた。
 「おい、こっちへこい。おれの息が臭いかどうか、ちょっと嗅いでみろ」
 ライオンが口をあんぐりあけて「はあああぁぁぁ」と息を吐くと、狼は無理に明るい表情をつくって「少しも臭くありませんよ。とても香ばしいです」とこたえた。
 「バカヤロウ! おべっかつかいやがって! 食ってやる!」 ライオンは狼にとびついてズタズタにひきちぎり、ガツガツゴックンゴックンとのみこんでしまった。
 しばらくして、こんどはライオンが子分の狐を呼びつけて聞いた。
 「おい、こっちへこい。おれの息が臭いかどうか、ちょっと嗅いでみろ」
 ライオンが口をあんぐりあけて「はあああぁぁぁ」と、息を吐くと、狐は表情ひとつ変えず、「すみません、先だってからぼくは風をひいていて、鼻がつまってるのでまるっきりわかりません。役に立たなくて申し訳ないです」とこたえた。
 ライオンはきょとんとして、「しょうがないやつだな。さっさと帰れ」といった。狐は、なるべく鼻声っぽく「すみませんでした」といって帰ったとさ。

 来日してからずっと日米関係を見てきて、イソップのこの「ボス・ライオンとその子分たち」を、日本でもっと流布させたい気持ちになった。とりわけ永田町あたりで、しっかり覚えてほしい、というよりも実践してほしいと思うに至ったのだ。
 ボスであるぼくの母国に、思いやり予算をふんだくられたり、基地の移設をごり押しされたり、年次改革要望をのまされそうになったりしたときに、どう対応すべきか。ストレートに、正直に向かい合ったら、食いものにされてしまう。そうかといって、こびへつらっても結果はおなじだ。でも、冷静に言い訳をつくり、はぐらかして取り合わないままひきのばし、距離をおくやり方は見出せるはずだ。
 そして本物の「対等な日米関係」が育ったアカツキには、互いの問題点を指摘しつつ向上をはかることができるだろう。
 ま、プレジデントとプライムミニスターが口臭を教え合うところまで、接近しなくてもいいのだが。
 

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著者プロフィール
アーサー・ビナード アーサー・ビナード
(Arthur Binard)
1967年、米国・ミシガン州生まれ。
ニューヨークのコルゲート大学で英米文学を学び、卒業と同時に来日。日本語での詩作を始める。2001年、詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞、2005年『日本語ぽこりぽこり』(小学館)で講談社エッセイ賞、2007年『ここが家だ――ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞、2008年、詩集『左右の安全』(集英社)で山本健吉文学賞を受賞。最新刊は『亜米利加ニモ負ケズ』(日本経済新聞出版社)。翻訳詩集、翻訳絵本なども手がける。青森放送「サタデー夢ラジオ」、文化放送「吉田照美ソコダイジナトコ」でパーソナリティーをつとめる。
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