〈第3回〉「平和」の利用法 - アーサーの「晴走雨録」
アーサーの「晴走雨録」
〈第3回〉「平和」の利用法

 知覧を目指して飛んで行ったわけではない。

戦争と平和と日米関係について鹿児島市内で話をすることになり、当日、羽田空港から昼の便で出かけた。講演の翌日はゆっくり桜島でも眺めながらすごして、午後の飛行機で帰京しようと思っていた。ところが、鹿児島の知人たちが「特攻隊の出撃基地はもう見たでしょ?」「え、知覧はご覧になったことない?」「それは一度見物しないとね、一度だけでいいけど」というので、足をのばすことにした。早朝出発の強行軍で。

車が南九州市に入ってしばらくすると、「特攻平和会館」の道路標識が目に飛び込んできた。かわいらしい戦闘機のマークが端のほうに添えられ、日本語の真下にはPeace Museumという英訳も書かれているではないか。たったの二語、堂々とPeace Museumとだけ。

「平和博物館」でも「平和展示館」でも「平和記念館」、「平和資料館」、「平和ミュージアム」、あるいは「平和会館」のイングリッシュ・バージョンとしてもPeace Museumは当てはまるだろう。しかし知覧の場合は、陸軍特別攻撃隊の「特攻」が頭についているのに、英語では一切それに触れずPeace Museumと呼んでいる。大胆というか、大雑把というべきか、それともズルイといったほう正確なのか。

ま、「特攻隊」を英語に置き換えるならKamikaze Pilot Corpsとなる。じゃなければSuicide Attack Squadとか。いずれにしろPeaceとは噛み合わない性質のものなので、もしそのまま合体させたら「自爆平和攻撃会館」みたいな、奇妙な看板になりかねない。そんな矛盾を回避できたという意味では、もしかしてPeace Museumはズルイながらも上手な訳といえるかもしれない。

 よくよく考えれば「特攻平和会館」という日本語名も、同じ矛盾を内包している。「特別攻撃隊」と「平和」とは相容れない関係にあり、本来ならもっと違和感を覚えなければならないはず。だが、省略された「特攻」は、それだけで毒をだいぶ抜かれているし、「平和」についても、みんなどこか慣れっこになっている。

 会館にたどりついて、五百円の入館料を払い、三つ折の案内パンフレットを日本語版と英語版と両方もらって見ると、本当の正式名称は「知覧特攻平和会館」Peace Museum for “Kamikaze” Pilotsだと分かった。この長いほうの英語バージョンも、ずいぶんと工夫されてあって、日本語にもう一度戻して訳せば、「神風の隊員たちのための平和記念館」といった雰囲気だ。つまり、前置詞のforを利用してKamikazePeaceをやんわりと結びつけることで、矛盾をうまくボカしてPeaceを「平和」よりも、むしろ「安らかに」に近いイメージに変えることができた。だれの仕事か分からないが、巧妙な訳者が雇われ、会館のネーミングにかかわったに違いない。

 「隼(はやぶさ)」や「疾風(はやて)」や「零式(れいしき)」の戦闘機の実物、基地の模型、隊員たちの写真や遺品、遺書、絶筆などが展示してあって、どれも切実で、一点一点ぐっとくるものがあった。しかし、太平洋戦争の全体を見わたす視点は、会館のどこにもなく、本当の因果関係と向き合う姿勢も、責任の所在を探ろうとする努力も、見事なまでに欠けていたのだ。結局は若き犠牲者たちが今も、あいもかわらず戦争の負担を全部押しつけられている印象が残った。

帰るころには、ぼくは漢字をちょっと差し替えてこっそり改名したくなっていた。「知覧特攻美化会館」

ついでにMuseum for Romanticizing “Kamikaze” Pilotsと、英語の新名称も作っておいた。

 東京へ戻って次の日の午後、練馬区平和台で打ち合わせがあった。今までに何十回も行っている場所だし、自転車で通過した回数も入れれば二、三百回は出かけているだろうが、平和台が「平和」のことを考えているのかなと、気になったのはその日が初めてだった。その週末にはラジオの仕事で青森へ出かけ、市内をラジオカーで巡っているときに、平和公園に立ち寄った。青森市の「平和」に対する本気度はどうかなと、やはりふと思った。

 「平和」を使った地名や公園名や通りの名前が全国津々浦々にわんさかあって、あちらこちらで「平和食堂」だの「平和湯」だの「平和不動産」だのが営業して、生活にしみ込んでいる言葉であることは間違いない。それに、日本列島には五十四基もの原子力発電所があり、どれもみんな「平和利用」という旗の下で建設され、稼動させられてきた。

実際には、核兵器開発の中で作られた原子炉と核分裂性物質が、一貫してずっと核兵器の維持と拡散と支配構造のために活躍して、今も「軍事利用」を支える土台だ。でも、そんな本性が一般市民に見えてしまうとマズイので、新商品のピース・バージョンをでっち上げる必要があった。わざわざタービンを回してエネルギー政策のパッケージに包み、「平和利用」とうたって売り込んだのだ。核兵器のカムフラージュになる核燃料、原爆の隠れ蓑になる原発――核分裂のスピードこそ異なるけれど、生み出される死の灰も、生命へのダメージもまったく同じ。

そのつながりが見えてくれば、「平和利用」の真意もやっと理解できる。要するに、「平和」のための核の「利用」ではなく、「平和」という言葉をペテンの道具に「利用」しているわけだ。そのペテンによってもたらされる被害の甚大さを思うと、知覧の「特攻平和」は、ほんの些細な矛盾に映る。

桁違いに罪深い原子力の「平和悪用」を、ぼくらが本気になって食い止めなければ、もはや「平和公園」も「平和通り」もぶらぶら歩いている場合じゃないし、「平和食堂」でもぐもぐ食べている資格もない。

 

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著者プロフィール
アーサー・ビナード アーサー・ビナード
(Arthur Binard)
1967年、米国・ミシガン州生まれ。
ニューヨークのコルゲート大学で英米文学を学び、卒業と同時に来日。日本語での詩作を始める。2001年、詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞、2005年『日本語ぽこりぽこり』(小学館)で講談社エッセイ賞、2007年『ここが家だ――ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞、2008年、詩集『左右の安全』(集英社)で山本健吉文学賞を受賞。最新刊は『亜米利加ニモ負ケズ』(日本経済新聞出版社)。翻訳詩集、翻訳絵本なども手がける。青森放送「サタデー夢ラジオ」、文化放送「吉田照美ソコダイジナトコ」でパーソナリティーをつとめる。
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