〈第2回〉放射能の都合 - アーサーの「晴走雨録」
アーサーの「晴走雨録」
〈第2回〉放射能の都合

 「規制緩和?」というと、「規制緩和」という。「郵政民営化?」というと、「郵政民営化」という。「グアム移転費払う?」というと、「グアム移転費払う」という。「TPP入る?」というと、「TPP入る」という。米政府と日本政府は「こだまでしょうか?」と疑りたくなるほど、重大な決定についていつも歩調も口調も合わせる。しかも菅政権になって、それまで以上に両国の夫唱婦随ぶりが顕著になった。でもどういうわけか、メルトダウンをきたした福島第一原子力発電所の危険に関しては、総理官邸とホワイトハウスの言い分の間に、大きな溝が生じている。
 日本政府は、原発から半径20キロの地域住民に対して、圏外へ退避するよう指示した。さらに20キロから30キロまでの地域の住民には、屋内退避をいったん命じておいて、のちに自主避難を促した。しかし風がどう吹こうと、数値がどう上がろうと、プルトニウムが検出されようと30キロよりもっと広げる決断は、気配すら伝わってこない。一方、オバマ大統領は早々と、日本にいるアメリカ人に対して福島第一原発の50マイル圏外へ避難するよう勧告した。50マイルとはおよそ80キロ、立ち入るべからざる区域のこの歴然としたズレは、いったい何を意味するのか。
 友だちの実家が福島県南相馬市にあり、去年その田んぼで育った美味しい米を、東京のわが家で日々炊いて食べていた。20キロから30キロまでの「屋内退避あらため自主避難」の狭間の地帯に、その家も田んぼもすっぽり入っているので、もし今からぼくが会いに行こうとしたら、米大使館のみならず日本政府当局からも「やめなさい」と諌められるはずだ。ただ、郡山市に住む友人の家に、ぼくがもし出かけようとした場合は、日本政府が「どうぞいってらっしゃい」とでもいうようにまるっきり問題視しないのに対して、母国の政府は「危険だ」と警告している。ぼくが講演会などで世話になっている福島市の県立美術館へも、次の企画展の打ち合わせのために行けるような、行けないような、矛盾に挟まれた状況だ。永田町のいうことを聞けばOKで、ワシントンに耳をかせばNGとなる。
 ラジオの仕事でぼくは17年前から、月に1度のペースで青森に通っている。だいたい東京駅八重洲口から夜行バスに乗って北上して、放送が終わればあれこれ道草を食いつつ、電車に乗って帰郷することが多い。でも現在はそれらの交通手段も、米国民にはオフリミットだ。日本地図を広げて、東北自動車道と東北新幹線の線路を指先でなぞり、どっちも80キロ圏内を走っていることを確認。なるほど日本政府の避難指示が30キロ圏にとどまっている意図が、このあたりだったのか。
 要するに、本当の危険がどんなに高まったとしても、新幹線と高速道路に食い込むような避難区域だけは、日本政府は避けたいに相違ない。経済への打撃は計りしれず、寸断された本州の流通は立ち行かなくなる。しかも郡山市や福島市が退避の対象となったら、とても対応できず、もちろん損害賠償など論外と、政府は判断しているだろう。人命とか安全とか以前に、コストが優先されていることを、地図ははっきりと語りかけてくる。
 ま、米国籍の一般人が郡山と福島と東北自動車道と東北新幹線から姿を消しても、天下の回りものは回せるはずだから、アメリカ政府が独自の避難勧告に踏み切ったのではないか。それもきっと日本政府と話し合って、綿密なレトリック計算の上、距離の単位を巧みに使い分けて「50マイル」と決めたのだろう。「30」と「50」とパッと聞けば、さほど大きな差異が感じられないし、追っつけマイルがキロに換算されて「80」とわかったとしても、それもまだぎりぎり許容範囲内のギャップか。オバマ大統領がもし「70マイル=110キロ」の避難勧告を出していたなら、日本国民に強い衝撃を与えたことは間違いない。
 権力者が利権をなによりも最重要視することは、まったく驚くに及ばない。歴史とは、そんな累々たる実例の山といっても過言ではない。しかし特に悲惨なのは、今の権力者たちが人命を軽視しているのみならず、相手を完全に間違えている点だ。放射性物質を向こうに回して、従来のごまかしを通そうとしているが、セシウムというヤツは東京電力やJR東日本や大手電機メーカーがぶっつぶれようと、知ったことじゃない。子どもたちの甲状腺癌と白血病の発症が爆発的に増えて、日本の医療制度が崩壊してしまっても、ヨウ素の側は一向にかまわない。銀座、六本木、新宿、白金、霞ヶ関、永田町も含めて、福島原発から半径300キロ圏内が永久に住めない荒れ地と化しても、ストロンチウムは平気の平佐だ。枝野官房長官がどんな詭弁を弄したって、石原都知事がどんなに強がったって、メガバンクが東京電力のどんなメガ融資をしたって、プルトニウムは人々を苦しめつづける。良心の呵責とは無関係に、万年単位で。
 経済産業省の原子力安全・保安院は、福島第一原発の1号機と2号機と3号機がメルトダウンして1ヶ月以上経ってから、事故深刻度の暫定評価を「レベル7」とした。現実の壁にぶつかり、原子炉が手に負えず、欺瞞の限りをつくしてはみたものの、逃げ場がなくなってやっと「最悪の7」を認めた印象だ。それでも日本政府は、原発から半径30キロというリミットに、あくまでもしがみつくのか。
 放射性物質のほうは3月11日から一貫して、すべての生物を細胞をじりじりと壊している。永田町と兜町と原子力安全・欺瞞院の都合など、眼中にないのだ。

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著者プロフィール
アーサー・ビナード アーサー・ビナード
(Arthur Binard)
1967年、米国・ミシガン州生まれ。
ニューヨークのコルゲート大学で英米文学を学び、卒業と同時に来日。日本語での詩作を始める。2001年、詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞、2005年『日本語ぽこりぽこり』(小学館)で講談社エッセイ賞、2007年『ここが家だ――ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞、2008年、詩集『左右の安全』(集英社)で山本健吉文学賞を受賞。最新刊は『亜米利加ニモ負ケズ』(日本経済新聞出版社)。翻訳詩集、翻訳絵本なども手がける。青森放送「サタデー夢ラジオ」、文化放送「吉田照美ソコダイジナトコ」でパーソナリティーをつとめる。
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